■Launch(5)

 都市シティの喧噪は、夜も尽きることはない。むしろ、夜こそが本番かもしれない。


 〈スピカ〉のオフィスがあったビルを飛び出した私は、ビルの屋上をいくつも渡りながら徐々に北西へ。途中で、港湾地区ミナトの中心地であるタワーに差し掛かる。十年ほど前に改修された都市最大の建物は、今日も鮮やかな灯火に彩られていた。光と各種電波によってドローンや各種機器にとっての灯台の役目を果たす、地上の目印ランドマークだ。

 おおざっぱに『都市』と呼んだ場合、中心部から約二十キロメートルの範囲を指す。今や都市の広さを決めるのは川ではなく、ドローンの無充電航続距離だ。

 もちろん、行政上の線引きや、NFL-セキュリティの所轄契約ナワバリなど、もっと明確なラインはあるけれど。生活している人間にとっては、街の空気が違う、という感覚の話だ。

 タワーの周囲は、高いビルと低い建物が入り交じり、商業施設も多い。徐々に低いビルへと飛び移っていき、最終的には地面グラウンドへ着地。そのまま人込みに紛れ込む。


「あのまま上を走ってたら、ドローンに見つかるしね……」


 補足されてしまえば速度勝負になる。負けるつもりはないが、追跡をかわせるならその方が良い。


『藍さん、誰か追いかけてきてる?』

『ドローンはいない。人は解らないから、もう少し歩いて』

『了解』


 社長たちの方がどうなったかは、聞かない。私にとって重要なのは、荷物をしっかりと届けることだ。そう言い聞かせる。


 追跡トラッキング尾行フォローを受けての仕事は、ままあることだ。相手は警察企業イヌだったり、探偵ネズミだったり、裏稼業の人間だったりする。荷物の行先を知りたいとか、荷物を奪いたいとか、仕事を頼む前に私の性能スペックを知りたいとか、目的は様々だ。そういう時、私の対応は決まっている。

 意地でも撒く。

 追ってきているとすれば、黒いハーネスの仲間だろう。ハーネス自身が街を練り歩いていれば流石に目立つ。


 今の段階では特殊な動きは入れず、ただ、深夜でも明るい大通りを早足で歩いていく。この辺りは商業施設が多く、どちらを向いても煌びやかだ。馴染みの屋台は、残念ながらこの時間ではやっていないだろう。

 しばらく歩くと、広い車道に出る。都市の移動を支える環状道路だ。無人オートバスがこの時間でも律儀に走っている。


「さて」


 信号待ちで、一度止まる。交差点には車輪が付いた円柱が立っていて、様々な方向に建物名と矢印を投影していた。頼めば案内ガイドもしてくれる移動案内板ナビゲーターは、商業地区のあちこちの交差点に立っている。

 矢印の数が示す通り、環状道路を渡った先にもいくつも商業施設や公園があるから、この辺にも人は多い。土地柄、ストリート系の不良バカも結構いる。まだ、若くて可愛い魅力的な女子……私のことだ……が歩いていても、不自然ではない場所だ。


『捕捉してるドローンが三機。一機は不明。一機は多分生活課。もう一機はマスコミ系の闇ドローンモスキートかな』

『ハーネス持ち出してくるような相手だし、高高度ドローンとか、望遠監視は?』

『今のところ気配なし。受動探査パッシブは強めにしてある』


 藍さんとやり取りして、追ってきている相手をイメージ。ひとまず相手はドローンが一機と、こちらが気付いていない人間一人、と仮定する。

 通りがかったバス停、ちょうど停まっていた無人バスへ、扉が閉まる直前を狙って乗り込む。古典的レトロな技だけど、これが意外に効くのだ。


「ふう」


 一息。バックパックを背負いなおし、目的地を確認。リンクスに送り込まれるバスの走行ルートと見比べる。バスでしばらくは進めそうだった。乗客は、一人、二人。一番奥の席に陣取って、少々行儀は悪いが、脚を持ち上げた。スニーカーを脱ぐ。


「いたた。やっぱりちょっと凹んでる……」


 リンクスを通して、自己診断セルフチェックを実施する。銃やハーネスを蹴りつけたせいで、つま先近くの外装が少し凹んでいた。痛みはないのだけど、実際に見てしまうと少し痛く感じるから不思議だ。

 自己診断の結果、一応、内部は無事のようだった。走るのに支障はない。


『鷹見だ。こちらはNFL-セキュリティが到着。ひとまず無線連絡の許可は貰ったよ』

『社長! ……北楽さんは?』

『不明だ。所属不明のハーネスと共にいなくなっている。拉致された可能性が高いと、NFL-セキュリティには伝えてはおいた』

『そっ、か……』

『先ほども言った通り、ティコくん、君は正しい選択をした。今は荷物を届けることに集中したまえ』

『……了解』


 会話する間にもバスは環状道路を進み、港湾地区と下層住宅地区シタマチの境界を走っていく。


『不明のドローンだけ追従してきてる』

当たりビンゴだね。目立っても構わないってタイプかな?』


 バレているのは承知ということだ。別系統の監視があるか、ダメ元か。あるいは……ドローンを撒ける人間はいないと思っているか。


「上等。追いかけっこで私に勝てると思ってるなら、お仕置きだね」


 スニーカーを履き直す。靴紐不要ジャストフィット機能が自動で心地よく締め付けてくれる。バスが緩やかなカーブを曲がるために少し速度を落としたところで、窓を開けて飛び降りた。一瞬遅れて、リンクスを通じて停車リクエストを送っておく。開け放した窓から、ぴんぽーん、という音と、『無理なご乗車はご遠慮下さい』というアナウンスが聞こえた。ボタンを押せなかったのは残念だ。

 車道に着地、一回転だけ転がり、勢いのまま走り出す。監視しているドローンが、昇降口ではないところから飛び出した動体を私だと確認するまで、コンマ数秒。スタートダッシュには十分な時間だ。


 下層住宅地区は、無人バスのルートを中心に、多少の商店と多くの住宅が並ぶ地区だ。ドローンの恩恵は受けながらも、生活の場として、半世紀前の生活スタイルがまだまだ残っている。地下鉄メトロの駅の前には雑居ビルが立ち並び、昼間はそれなりに賑わうが、この時間に開いている商店は多くない。深夜の住宅街は、静まり返っている。

 静寂の中を、駆け抜ける。


「……いける!」


 極道ヤクザやハーネスを相手に立ちまわった後だ。自己診断では見つからない傷みがないか心配だったが、今のところ問題はなさそうだ。あとでレビューを送ろうか。『サブマシンガンを蹴りつけても無事でした!』。

 走りながら後ろを伺うと、ドローンが一機、追ってきているのが見えた。港湾地区や工業地区コンビナでは常に複数空を飛んでいるけれど、寝静まった住宅街で一機だけ飛んでいるのは目立つ。視界に捉えても所属が表示されない、闇ドローンだ。ちらりと見えたメーカーのステッカーは、見覚えのない会社のもので、どうせダミーだろう。


『怪しさ満点……さて。藍さん、この条件で検索よろしく!』

『はいはい。……この手か。しくじって捕まらないでよ』

『楽勝楽勝』


 数秒で、藍さんから、条件に合いそうな地点ポイントが送られてくる。運送ルートと重ねて実行する場所を設定。ネタバレすると通じない手口ワザだから、慎重に。

 少し走ると、目標の場所が見えてきた。広い敷地に三階建ての家。高い塀で囲われた庭に、物置まである、まあまあの豪邸だ。歩幅を調整、僅かに速度を下げて、ドローンを追い付かせる。


 踏み込み、ジャンプ。途中で塀の出っ張りにつま先をひっかけ、一気に登る。塀の一番上に足を乗せた瞬間、警報が鳴り響いた。解析通りの家庭警備ホームセキュリティ。ならば当然――来た。強烈な電波が、塀の上のあちこちから空へ向けて照射される。

 対ドローンの妨害電波は、ドローンの操縦、情報収集、データ送信を妨害ジャミングする。家庭用だから墜落させはしないものの、強制的に滞空状態むぼうびにさせてしまう。ドローンの普及に伴って、秘密プライバシーを気にするご家庭に大人気。


「あっは! のんびり寝てな!」


 狙い通り、私を追いかけるのをやめて浮かぶドローンを置き去りに、私は塀の上を駆ける。電流が流される気配がしたけれど、スニーカーの靴底は絶縁仕様だ。防犯レベルの電流などものともせず、塀を蹴り、物置の屋根に着地。広く平らな屋根で助走し、逆側の塀へ跳ぶ。ドローンの死角に入って更に一跳びし、道路へ着地。あとは一気に駆け抜けるだけだ。


 住宅街は、港湾地区ほど明るくはない。目を凝らせば、夜空に僅かに瞬く星も見えた。

 ひとまず、追跡を気にしなくて良くなった私は、走ることに集中する。住宅街は高低差もあまりないし、道は細いが縦横に走っている。夜気を裂いて、集中して、ただ走るのは心地よい。


「はっ……はっ……」


 静かな住宅街に、私の足音と、呼吸音だけが響く。

 義足が地面を踏み、固いアスファルトを蹴って、一歩一歩先へ進む。

 そのうち、少しずつ家がまばらになってくる。代わりに現れるのは、物流拠点やちょっとした工房、それに様々な事務所だ。

 人口は減り、都市に集った。結果、都市中心部から少し離れた、郊外と呼ばれる土地は広く空くことになった。都市でもない、田舎でもない。名付け難い空間には、『物質的な価値交換にこだわらない者』……情報のやりとりで価値を生み出せる者が多くなる。


『届け先の情報も出たぜ。弁護士の、各務かがみ 那一ないち。情報工学の博士号持ちで、AI関係の訴訟に強いって評判だ』


 羽刈からの情報が入る。走るのに集中したいから返事はしないが、耳は傾けておく。


『聞いたことあると思ったら、反AIの連中が時々引き合いに出してるな』

『反AI?』

『各務本人はそこまで過激じゃないが。過剰なAIへの依存とか、AIへの権限付与を戒めてる言説を結構出してる』

『ふむ。何故そのような考えの持ち主に、データを託したのだろうね』

『素直に考えれば、封印して欲しかった……ってことですかね』

『グレーなモノを作っちゃって、意見を聞きたいとか』

『元々友人と言っていたし、あり得る可能性だ』


 皆が好き勝手に相談するのを聞きながら、バックパックに詰められたデータを意識する。それなりの重さを背負ったまま激しく動いたせいで、私の肩には鈍い疲れが溜まってきている。それでも、届けるまで降ろすつもりはない。


『藍さん、そろそろだよね!』

『二ブロック先だ。自宅兼事務所みたいだから、看板は出てないかも。見落とすなよ』


 思考に浮かぶ地図に、藍さんからのナビをプロット。

 程なくして建物が見えた。シックな感じの一戸建て。塀はなく、小さな庭と駐車場がある。最悪、先ほどの極道やハーネスの仲間が待ち構えているかもと思ったけれど、その気配はなかった。

 走る速度を緩める。長距離を走ってきて、義足には熱が溜まっていた。本当ならしばらく動きを止めて排熱したいところだけど、まだ警戒は解けない。


 玄関に近付き、インターホンを押す。

 ……。

 ……返事がない。もう一度押す。


「……はい。どちらさまでしょうか?」


 いかにも眠たげな女性の声が返って来た。勢い込んで言う。


「〈スピカ〉の北楽さんから、各務さんにお届け物です!」

「はぁ……各務なら、今はおりませんが」

「……え?」


 思わず、間の抜けた声を上げてしまった。


「いない、って……?」

「各務は今、家族で旅行中です。必要なら預かりますが、大事なお荷物でしたら後日にお願いします」

「……、そう、します」


 女性は、お手伝いさんのようだ。寝ているところを起こされたにしては丁寧な対応かも、などと、思考停止した頭のどこかが考える。荷物を置いていくわけにもいかず、そのままふらふらと扉を離れた。


「……どういうこと?」


 夜空に、私の呟きが空しく溶けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る