■Launch(5)
〈スピカ〉のオフィスがあったビルを飛び出した私は、ビルの屋上をいくつも渡りながら徐々に北西へ。途中で、
おおざっぱに『都市』と呼んだ場合、中心部から約二十キロメートルの範囲を指す。今や都市の広さを決めるのは川ではなく、ドローンの無充電航続距離だ。
もちろん、行政上の線引きや、NFL-セキュリティの
タワーの周囲は、高いビルと低い建物が入り交じり、商業施設も多い。徐々に低いビルへと飛び移っていき、最終的には
「あのまま上を走ってたら、ドローンに見つかるしね……」
補足されてしまえば速度勝負になる。負けるつもりはないが、追跡をかわせるならその方が良い。
『藍さん、誰か追いかけてきてる?』
『ドローンはいない。人は解らないから、もう少し歩いて』
『了解』
社長たちの方がどうなったかは、聞かない。私にとって重要なのは、荷物をしっかりと届けることだ。そう言い聞かせる。
意地でも撒く。
追ってきているとすれば、黒いハーネスの仲間だろう。ハーネス自身が街を練り歩いていれば流石に目立つ。
今の段階では特殊な動きは入れず、ただ、深夜でも明るい大通りを早足で歩いていく。この辺りは商業施設が多く、どちらを向いても煌びやかだ。馴染みの屋台は、残念ながらこの時間ではやっていないだろう。
しばらく歩くと、広い車道に出る。都市の移動を支える環状道路だ。
「さて」
信号待ちで、一度止まる。交差点には車輪が付いた円柱が立っていて、様々な方向に建物名と矢印を投影していた。頼めば
矢印の数が示す通り、環状道路を渡った先にもいくつも商業施設や公園があるから、この辺にも人は多い。土地柄、ストリート系の
『捕捉してるドローンが三機。一機は不明。一機は多分生活課。もう一機はマスコミ系の
『ハーネス持ち出してくるような相手だし、高高度ドローンとか、望遠監視は?』
『今のところ気配なし。
藍さんとやり取りして、追ってきている相手をイメージ。ひとまず相手はドローンが一機と、こちらが気付いていない人間一人、と仮定する。
通りがかったバス停、ちょうど停まっていた無人バスへ、扉が閉まる直前を狙って乗り込む。
「ふう」
一息。バックパックを背負いなおし、目的地を確認。リンクスに送り込まれるバスの走行ルートと見比べる。バスでしばらくは進めそうだった。乗客は、一人、二人。一番奥の席に陣取って、少々行儀は悪いが、脚を持ち上げた。スニーカーを脱ぐ。
「いたた。やっぱりちょっと凹んでる……」
リンクスを通して、
自己診断の結果、一応、内部は無事のようだった。走るのに支障はない。
『鷹見だ。こちらはNFL-セキュリティが到着。ひとまず無線連絡の許可は貰ったよ』
『社長! ……北楽さんは?』
『不明だ。所属不明のハーネスと共にいなくなっている。拉致された可能性が高いと、NFL-セキュリティには伝えてはおいた』
『そっ、か……』
『先ほども言った通り、ティコくん、君は正しい選択をした。今は荷物を届けることに集中したまえ』
『……了解』
会話する間にもバスは環状道路を進み、港湾地区と
『不明のドローンだけ追従してきてる』
『
バレているのは承知ということだ。別系統の監視があるか、ダメ元か。あるいは……ドローンを撒ける人間はいないと思っているか。
「上等。追いかけっこで私に勝てると思ってるなら、お仕置きだね」
スニーカーを履き直す。
車道に着地、一回転だけ転がり、勢いのまま走り出す。監視しているドローンが、昇降口ではないところから飛び出した動体を私だと確認するまで、コンマ数秒。スタートダッシュには十分な時間だ。
下層住宅地区は、無人バスのルートを中心に、多少の商店と多くの住宅が並ぶ地区だ。ドローンの恩恵は受けながらも、生活の場として、半世紀前の生活スタイルがまだまだ残っている。
静寂の中を、駆け抜ける。
「……いける!」
走りながら後ろを伺うと、ドローンが一機、追ってきているのが見えた。港湾地区や
『怪しさ満点……さて。藍さん、この条件で検索よろしく!』
『はいはい。……この手か。しくじって捕まらないでよ』
『楽勝楽勝』
数秒で、藍さんから、条件に合いそうな
少し走ると、目標の場所が見えてきた。広い敷地に三階建ての家。高い塀で囲われた庭に、物置まである、まあまあの豪邸だ。歩幅を調整、僅かに速度を下げて、ドローンを追い付かせる。
踏み込み、ジャンプ。途中で塀の出っ張りにつま先をひっかけ、一気に登る。塀の一番上に足を乗せた瞬間、警報が鳴り響いた。
対ドローンの妨害電波は、ドローンの操縦、情報収集、データ送信を
「あっは! のんびり寝てな!」
狙い通り、私を追いかけるのをやめて浮かぶドローンを置き去りに、私は塀の上を駆ける。電流が流される気配がしたけれど、スニーカーの靴底は絶縁仕様だ。防犯レベルの電流などものともせず、塀を蹴り、物置の屋根に着地。広く平らな屋根で助走し、逆側の塀へ跳ぶ。ドローンの死角に入って更に一跳びし、道路へ着地。あとは一気に駆け抜けるだけだ。
住宅街は、港湾地区ほど明るくはない。目を凝らせば、夜空に僅かに瞬く星も見えた。
ひとまず、追跡を気にしなくて良くなった私は、走ることに集中する。住宅街は高低差もあまりないし、道は細いが縦横に走っている。夜気を裂いて、集中して、ただ走るのは心地よい。
「はっ……はっ……」
静かな住宅街に、私の足音と、呼吸音だけが響く。
義足が地面を踏み、固いアスファルトを蹴って、一歩一歩先へ進む。
そのうち、少しずつ家がまばらになってくる。代わりに現れるのは、物流拠点やちょっとした工房、それに様々な事務所だ。
人口は減り、都市に集った。結果、都市中心部から少し離れた、郊外と呼ばれる土地は広く空くことになった。都市でもない、田舎でもない。名付け難い空間には、『物質的な価値交換にこだわらない者』……情報のやりとりで価値を生み出せる者が多くなる。
『届け先の情報も出たぜ。弁護士の、
羽刈からの情報が入る。走るのに集中したいから返事はしないが、耳は傾けておく。
『聞いたことあると思ったら、反AIの連中が時々引き合いに出してるな』
『反AI?』
『各務本人はそこまで過激じゃないが。過剰なAIへの依存とか、AIへの権限付与を戒めてる言説を結構出してる』
『ふむ。何故そのような考えの持ち主に、データを託したのだろうね』
『素直に考えれば、封印して欲しかった……ってことですかね』
『グレーなモノを作っちゃって、意見を聞きたいとか』
『元々友人と言っていたし、あり得る可能性だ』
皆が好き勝手に相談するのを聞きながら、バックパックに詰められたデータを意識する。それなりの重さを背負ったまま激しく動いたせいで、私の肩には鈍い疲れが溜まってきている。それでも、届けるまで降ろすつもりはない。
『藍さん、そろそろだよね!』
『二ブロック先だ。自宅兼事務所みたいだから、看板は出てないかも。見落とすなよ』
思考に浮かぶ地図に、藍さんからのナビをプロット。
程なくして建物が見えた。シックな感じの一戸建て。塀はなく、小さな庭と駐車場がある。最悪、先ほどの極道やハーネスの仲間が待ち構えているかもと思ったけれど、その気配はなかった。
走る速度を緩める。長距離を走ってきて、義足には熱が溜まっていた。本当ならしばらく動きを止めて排熱したいところだけど、まだ警戒は解けない。
玄関に近付き、インターホンを押す。
……。
……返事がない。もう一度押す。
「……はい。どちらさまでしょうか?」
いかにも眠たげな女性の声が返って来た。勢い込んで言う。
「〈スピカ〉の北楽さんから、各務さんにお届け物です!」
「はぁ……各務なら、今はおりませんが」
「……え?」
思わず、間の抜けた声を上げてしまった。
「いない、って……?」
「各務は今、家族で旅行中です。必要なら預かりますが、大事なお荷物でしたら後日にお願いします」
「……、そう、します」
女性は、お手伝いさんのようだ。寝ているところを起こされたにしては丁寧な対応かも、などと、思考停止した頭のどこかが考える。荷物を置いていくわけにもいかず、そのままふらふらと扉を離れた。
「……どういうこと?」
夜空に、私の呟きが空しく溶けた。
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