エフェメラー忌わく憑き掌編集ー

燐寸の奏でる

 

 刺すような外気に負けじと暖房の働く店内で、透明なビニール越しに隙間無く詰め込まれた色彩が尚更暑苦しい。

 綾太はカートの取手に前のめりになって身体を預けながら、紫乃が手にした花火セットを見る。次いで、思案するように唇に添えられた華奢な指と伏せられた長い睫毛をそっと見つめた。

「楽しそうですね、新年の花火。皆でやらない?」

「えっ、今冬だよ。外寒いじゃん」

 微かにうんざりとした気配を滲ませて綾太は言った。

「花火やるの?良いなぁ、俺やりたい」

 カセットコンロ用の小型ガスボンベを買い物籠に入れながら、戻ってきた昴が横から朗らかに笑う。

「ほら、二対一の多数決で可決ですよ」

 態とらしく食い気味に紫乃が綾太を振り返ると、綾太は更にうんざりとした表情をした。

 この季節特有の風流な店内BGMと、はしゃいだような二人と相対して、それはいっそう憮然として見えた。

「宣言が無かったから無効票でしょ」

「酷いなぁ、俺達の清き一票はどうなるの?」

 木炭の入ったダンボール箱を二つ、片手でカートへ積みながら昴が言う。

「そんなにやりたいわけ?」

「うん」

「それはもう」

「しょうがないなぁ」

 やったぁ、と控えめな歓声を上げて昴と紫乃は掌を合わせて音を立てる。綾太は溜息を吐いた。

 時折、年長の人間でも自分よりも子どもじみた振る舞いをするのだという事を、綾太は良く知っていた。そして、この二人に限って綾太は、それのみならず他の事までも許容できるのだという事も良く分かってきた。

◆◆◆

 見上げた空に綾太は小さく白い息を吐いた。手持ち花火も同時に、最後の炎を吐き出した。刻々と色を変えゆく冬空に、吹けば飛ぶような小さな星が瞬いている。

「冬はやっぱり良いなぁ、星が見やすくて」

 火の消えた花火をバケツに放り込んで、昴も空を仰ぎながら言った。

 昴と出逢い、過ごしていく内に、星を見る度に綾太は彼の姿が頭を掠める様になっていることに気が付いた。ふと、今まで綾太の側を過ぎ去って帰らぬ人を思い出す。毛糸に鉤針を通す時、ゲーム機の電源を入れる時、その人達の姿が記憶の中に現れては消えていくのだ。

 この人も、と綾太は自分よりも幾分高い位置にある、穏やかな相貌を見上げて思う。いつか遠く離れたその後に、星を見る度、綾太の中に現れてくれるのだろうか。

「あれはなんて星?」

 己の思考を遮るように綾太は光を指差した。それを、傍らにしゃがみ込んで昴も見る。

「金星かな、一番星でしょ。もう少し暗くなったら冬の大三角が見えるよ」

「ふぅん。ねぇ、昴さんの星は?まだ見えないの?」

「それはもっと暗くなってからじゃないと見えないよ。あと、星じゃなくて星団ね」

「それって街灯りに負けてるって事だよね。…なんかさ、ぽい、よね」

「ぽい、って何」

 二人を静かに見つめながら、紫乃は燃え尽きた線香花火のこよりを海水の入ったバケツに浸けた。それから、上着のポケットからブックマッチを取り出す。昔懐かしいデザインに、小洒落た書体で店の名前が描かれている。

 あ、と綾太は声を上げた。まだ新しい記憶に、轟々と燃え盛る炎が、焼き付いた光景と残響が蘇る。

「それって、あそこのやつ?うそ、持って来ちゃったの?」

「記念に」

 軽やかにブックマッチを左右に振って見せると、昴も微かに眉根を寄せた。紫乃は片眉を上げてそれに応える。SNSで見掛けた、困った顔をした洋犬とよく似ていた。

「燃え殻みたいな…火薬みたいな匂いがしてたと思ったらそれ?花火と混ざってたから見逃してた。迂闊だったよ」

 綾太は溜息を吐いた。こちらは不服そうな猫と同じ目で紫乃をじっと見つめている。

「どんな神経してるの」

「褒め言葉として受け取っておくね」

「ねぇ、ところでそれ…まさか使うの?」

「ものは試しですよ。お正月の三ヶ日で何とも無かったので、持っているだけなら問題なさそうだしね。二人と霊気管も強く危険を感じてなかったみたいだし。折角なので一本だけ」

 半ば呆れたような二人をよそに、紫乃はブックマッチを一本引き抜いた。薄く、横幅の太い軸に演奏者のイラストが刷られている、よく見れば凝った造りをしていた。

互いの身が危険に晒されれば、必ず守りに入る二人の反応を窺い、静かに視線を寄越すだけの様を見てから、紫乃は勢いよくマッチを擦った。

◆◆◆

「このタイプのマッチにしては、良く燃えますね」

「やめてよ、まじで洒落にならないから」

 急速に暗くなってゆく寒空の下、ごく小さな灯火がぽっつりと立つ。と、黙って見つめていた昴がすん、と鼻を鳴らした。

「…匂いが変わった」

 瞬間、ぼっ、という小さな音を立てて火の色が変わる。青く爆ぜた火と共に、大音響の不協和音が砂浜を震わせた。真っ先に耳を塞いだ綾太の、鼓膜を突き刺すように聴こえるそれは音楽だった。

 劫火の中、燃え、溶けて死を迎えようとする楽器達の断末魔だと、不思議と綾太には感じられた。

 顔を顰めながら、紫乃は素早く海水で満たしたバケツにマッチを放り込む。火が消えた途端、ぷっつりと不協和音が鳴り止んだ。

 三人は、揃って背中から砂浜に倒れ込む。しばらく、三つの荒い呼吸だけが静寂の中を漂っていた。

「…二度と使わないでよ、これ」

 強烈な不快感と耳鳴りを抑え込むように、きつく目を閉じながら綾太は唸った。

「肝に、銘じて、おきます」

 息も絶え絶えの紫乃は心臓を抑え、そしてなんとか綾太を向いて言った。

「綾太くん、立てる?」

 綾太は力無く首を振ってみせた。最も、僅かに頭を動かすだけで強烈な眩暈が襲ってくるので、紫乃には微かな身じろぎにしか見えなかった。

「...絶対に、無理」

 紫乃は視界の隅で、ふらつきながら昴が身を起こすのを捉えた。こんな常人を逸した振る舞いですら、とうに当たり前として受け容れてしまう。

「き、強烈だったな。とりあえず、どっかで休もう。二人のこと運ぶよ」

 風邪引いちゃうよ、と言うなり昴は綾太を慎重な手つきで抱え上げた。

「吐きそう」

「ちょっと!」

 慌てたように声を上げる昴と、まだ大丈夫、と言う綾太をぼんやりと見上げる。紫乃は、背中に優しく腕が差し込まれるのを感じた。

「私よりも、綾太くんを先に休ませてあげてくださいよ」

「二人一緒に運べるから大丈夫」

「あぁ、若い人に苦労をかけますねぇ」

「やだなぁ、そうしてるとおばあちゃんみたいだよ」

 取ってつけたしおらしい態度に苦笑しながら、昴は二人を抱え上げて砂浜を歩きはじめた。

 後片付けと鎮火されたマッチのことを頭の片隅に置きながら、昴は両腕に二人分の体温をそっと抱く。子どもが醸す柔らかくて甘い匂い、それから草花と果実の瑞々しいような香りが、昴の嗅覚を優しく撫でた。

 濃紺に閉ざされた闇の中、冷たく輝く星の下、二つの柔らかい灯だけが暖かかった。

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