09 行方不明の連鎖

 しまむねゆき所長に、本日の外出予定はない。

 現在は夜で、もう定時も数時間を過ぎているが、所長は経営者であり技術者であり、趣味は仕事で息抜きも仕事で、いつもならまだ館内にいる時間だ。

 実際、社用門を通過して入館した記録はあるが、退館記録はまだない。

 つまり、あらゆる面から志木島所長はまだこの館内にいるとしか考えられないのだ。

 だというのに所長室にはおらず、あちこち探しても見つからず、館内呼び出しにも応じず。

 改めて入退館記録を確認しても、やはりまだ館内にいることになっている。


「所長、どこへ消えちゃったのかなあ……」


 のりまきさぶろう青年ととりは、先ほどまでいた整備室へと戻ってきていた。

 無駄にうろうろしていても埒が明かないから、と。

 といっても心落ち着くはずもなく、無駄におろおろしてしまうばかりであったが。


「ミヤちゃんが所長室に来ちゃうよどうしよう、って恥ずかしくなって逃げ出しちゃったのかなあ。それかどうやって姿を見せようか、なんていおうか、考えているのかもよ」


 他のスタッフのためにお茶を運びながら冗談っぽく微笑んでいるのは、眼鏡が印象的な女性スタッフしらゆうである。

 発言は、美夜子の気持ちが傷付かないように、先回りしてフォローしたものだろう。

 いつもいるはずの父親が、いざ決心して会いに行ったら消えていた。そんな状況に置かれた年頃の娘がどう思うかを想像して。


「いやあ、逃げるわけないでしょお。所長はミヤちゃんにあんな会いたがっていたんだからさあ」


 と手のひらパタパタ返すのは典牧青年だ。

 白木優子のフォローを台無しにするような言葉ではないにせよ、彼女のその細やかさには微塵も気付いていなさそうな感じだ。まあ典牧青年も、物腰こそやわらかいけど男性ということだろう。


「あたしに、会いたがっていた?」


 美夜子は、白衣姿でボサボサ頭の典牧青年へとちらり弱々しい視線を向ける。


「うん。もう一ヶ月くらい直接は会ってないけど、会えばいつも聞かされる。でもこれ何度もいってることでしょ? ミヤちゃんと一緒で所長だっていつも会いたがっているよ、って」

「そうだっけ? ってか、いつあたしが会いたいなんていった?」


 お父さんも、会いたがってる? そんなこといわれたっけ? このことに関してはずっと心の耳を塞いでいたから、なにかいわれていたとしてもよく覚えていないな。

 塞いでいた、ではないか。現在進行形だ。

 だってそうでしょう。お父さんの方から娘に会いに来ないだなんて、おかしいじゃないか。

 わたしをこんな機体からだにして、そのあとまったく顔を見せないのもおかしいけど、そういうこと関係なくおかしい。


 だって、お父さんに会おうとして、わたしは飛行機事故に遭ったんだよ。

 一緒に乗っていたお母さんは、助からなかったんだよ。


 そうだよ。

 わたしのことなんかよりも、お母さんのためにこそ、わたしに会いに来るべきじゃないのか?

 なのにどうして、こっちからばっかり歩み寄らないといけないの?

 それでも今日は起きたことが起きたことだから、そんな場合じゃないとお父さんに会おうと思ったんだ。

 嫌だけど、折れたんだ。

 それなのに、会いに行ってもいやしないだなんて。

 入館しているはずなのに、どこにも姿が見えないだなんて。


 優子さんは気が利くから、さっきは優しくああいってくれたけどさ。

 やっぱりお父さんは、わたしに会いたくなんかないんだよ。

 頑張ったのに。

 会おう、そう思うことだけでも、わたしには必死の思いで頑張ったことだったのに……

 なんだよ、もう。


 この通り、美夜子の気持ちはすっかり落ち込んでしまっていた。

 さっきまでは、あの白い相手に襲われた件はこれまで重い腰だった父に会うことへのよいきっかけになる、前向きになるための運命だったのかも知れない。そう思っていたというのに。

 気持ちは元通りどころか、頑張りの絶対値の分だけ曲線すとーんと落ち込んでしまっていた。

 美夜子にしてみたら当然のことだ。

 父が自分を避けていることが、こうして明らかになってしまったのだからだ。


 もう、お父さんのことなんかどうでもいい。

 どうでもいいけど……でも謎の敵に襲われて、その機体がお父さんの技術であったこと、それについてはどうすればいいのだろう。

 現実的に考えて、わたしに出来ることなんかはなくて、ただ待つしかないのだろうけど……


 ふう。

 ため息を吐く美夜子。 


 なんとはなしに、見もせずに横へ腕を伸ばしていた。

 なんとはなしというか、早苗の手に触れようと思ったのだ。「なにすんねん!」と払われてもいいし、もしかしたら同情してくれるかも知れない。

 いずれにしてもなんらか反応が欲しくて、早苗へと手を伸ばしてみたのであるが、しかし伸ばしたその手は空を切る。

 ここに座っている、と思っていた早苗の姿がなかったのである。


「あ、あれ、さ、早苗、ちゃん?」


 美夜子はきょろきょろ見回すが、室内には見当たらず。


 いつの間に……

 ぼーっとしていた自分が悪いのだけど。

 さっきまでこの部屋で一緒にいて、所長室へも一緒に行ったはずだけど、実はそこからよく覚えていない。

 これからお父さんに会うんだというドキドキ、いなかったというモヤモヤで、気持ちそれどころじゃなかったこともあって。

 振り返れば、妙に静かだなとは思っていたけど。


「そういえばいないね」


 典牧青年も遅れて周囲をきょろきょろ。


 こうして見ていないのだから、この部屋にはいないのだろうけど。

 ならば、どこへ行ったのだろうか。

 わたしのお父さんを、ひょっとしてまだ探してくれているのだろうか。

 または、自宅へ帰ったのかも知れないな。もう時間も遅く、わたしが襲われたということでここへ再び呼び出されてしまったのだから。

 いや、それなら一言あるはずだろう。


 父とのことで生じた不安感や不快感を忘れようという無意識であるのか、今度は姿を消した早苗の心配ばかりしてしまう美夜子だった。


 居場所を確認しようと、美夜子は制服上着のポケットからカード型のスマートガジェットを取り出して画面を表示させる。

 そして、ちょっとびっくり。

 早苗のいる場所は、この建物どころかこの部屋だったのである。

 でも考えてみれば不思議なことでもなかった。

 早苗の上着が、部屋の隅に掛けてある。おそらく、そのポケットにでも彼女のデバイスが入っているのだろう。


「よかった。それじゃあ、まだ中にいるんだ」


 この部屋に姿は見えないけれど、掛けられた上着にデバイスが入っているのだから建物のどこかにはいるのだろう。

 ここにおらずとも別に問題はないのだが、ともかく何事もなさそうであることに、美夜子はほっと胸をなでおろした。

 すぐにぞぞっと胸をなで上げられてしまうのであるが。


「いえ、退館しているね」


 という白木優子の言葉によって。


「じゃあ上着の忘れ物? ドジだなあ早苗ちゃんは。あたし帰りの方向違うけど、届けてあげた方がいいかなあ。追えば間に合うと思うけど、引き返した早苗ちゃんと行き違いになっても困るしなあ。そもそも、今どの辺りにいるんだろう」


 早苗が黙って帰ったという、ただそれだけでなんとも嫌な予感を覚えてしまい、美夜子はそんな気持ちをごまかそうと作り笑顔でちょっと早口に喋り続けた。


「彼女の現在地ならすぐに分かるよ」


 典牧青年は、整備室内にある大型画面を切り替えた。


「ああ、そっか……」


 美夜子は思い出した。

 早苗に仕事を手伝って貰うことになった際の取り決めで、彼女自身の位置情報や、有事の際には行動記録まで知ることが出来るのだ。

 早苗個人の信用性云々は関係なく、一般的なセキュリティとしてスパイ活動の抑止のため。また、早苗自身が緊急事態に巻き込まれた際に迅速な救助が出来るように。


 大型画面に、さいたま市の地図が映る。

 典牧青年がさらに操作をすると、赤く塗り潰された二つの円ポインターが表示される。

 ポインターの一つはここ、志木島機械工学研究所。

 そしてもう一つは、大宮区の外れにある低い山を示している。


「この山に、早苗ちゃんがいるってこと? え、あれ、でも、住んでるところは住宅街のはずだよね」


 早苗は、おじであるこうみようじん博士とアパート暮らし。遊びに行ったことはないが、前を通ったことなら何度かあり場所はよく知っている。だから今だって、忘れた上着を届けに行こうかと思っていたのだから。


「そのはずだけど。……あ、あれ、この場所ってまさか……え、あ、あ、消えたっ!」


 美夜子は、謎めいたことをいう典牧青年の顔を覗き込んだかと思うと、続く驚きの声に今度は大型画面へ視線を向けた。


 青年のいう通り、早苗の現在地を示すポインターが消えていた。


「な、なんだろう、一体なにが起きた……」

「早苗ちゃんっ!」


 美夜子は聞くも聞かずの大慌てで、金切り声のような叫びを上げながら整備室を飛び出していた。

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