第19話 バイト初日 ②

「礼桜ちゃん、お腹すいてない? 奥の部屋でお昼食べよ」

「はい。でも……あの、お店に誰もいなくなりますけど、大丈夫なんですか」

「誰か入ってきたらドアベルが鳴るから大丈夫やで」


 扉の上部に掛かっているかわいいドアベルを見た。

 カランコロンカランと澄んだ音色は、確かに事務所まで響くだろう。だけど、無人にして本当に大丈夫なのか心配になる。


 九条さんはお店を気にすることなく、すたすたと奥の事務所へと入っていく。店内がものすごく気になるが、私も九条さんの後に続いた。


「礼桜ちゃん」


 呼ばれたので、そちらを向くと、九条さんがカウンターキッチンの中から美味しそうなパンを見せてきた。何種類もあって、どれも美味しそうだ。


「どうしたんですか、このパン」

「朝、買ってきてん」


 一旦お店を開けたら、閉店まで外に出られないことも多く、今日みたいにお客さんが来ない日もあれば、ひっきりなしに来るときもある。

 どうしてもお客さんに左右されるので、食料は開店前に確保してくるのだそうだ。そして、小腹がすいたら、ちょこちょこ食べているらしい。


「燃費が悪いからすぐお腹すくし、俺、結構食べるから」と苦笑していたが、20歳の男の人なら当然だと思う。


「礼桜ちゃんの分も買ってきたんやけど、礼桜ちゃんはパン好き?」

「大好きです!」


 休憩になったら気になっているパン屋さんに行こうと思っていたことを告げると、そのお店のパンだと教えてくれた。


「俺の好みで買ってきたんやけど、食べれそうなのある?」

「はい。どれも美味しそうで迷ってしまいます」


 ハードパン、ソフトパン、総菜パンにサンドイッチまで幅広く揃っている。どれも美味しそうで、いろいろ食べたいけど、2個ぐらいしか食べられないので迷ってしまう。


「……全部半分こする?」

「いいんですか?」

「もちろん。俺もいろいろ食べたいし」


 悩んでいたのが分かったのだろうか。九条さんが半分こしようと提案してくれた。半分ずつなら4種類ぐらい食べられる。

 いろいろなパンが食べられるから、嬉しくてウキウキしてしまった。


「俺、コーヒー淹れるから、礼桜ちゃんはトースターでパンを焼き直してくれへん? 焼いたあと半分に切るから」

「はい」


 初めて入るカウンターキッチンにはコンロと流し台が備え付けてあり、反対側は小さな冷蔵庫と、腰のちょっと上までの高さの棚があり、棚の上にはオーブントースターや電子レンジ、コーヒーメーカー、ウォーターサーバーなどが置いてある。棚の引き出しや開き戸の中にはカトラリーや食器が仕舞われており、カップラーメンなどのインスタント食料もストックされている。


 九条さんは手間をかけてコーヒーを淹れているのに、コーヒーメーカーがあることに違和感を覚えた。

 そのことを尋ねると、2階の工房で制作してるときはコーヒーを淹れる時間が取れないから、ボタン一つでできるコーヒーメーカーを置いているのだと教えてくれた。2、3日詰めて作ることもままあるため、籠城するのに必要なものは何でも揃っているらしい。



◇◇



 パンを何回かに分けて焼いた後、九条さんがナイフで半分に切り分け、それぞれのお皿に盛っていく。

 コーヒーの匂いも漂い、私のお腹が空腹だと主張し始めた。

 テーブルに運び、九条さんと向い合わせに座る。テーブルの上には湯気が立っているカフェラテとコーヒー、そして、木のお皿に乗っているパンが食欲を刺激する。


「いただきます」


 焼き直したパンは香ばしく、どれも美味しそうだ。きっと九条さんが入れてくれたカフェラテにも合うだろう。

 前にはイケメン九条さんが座っているが、私はお構いなしに少し硬めのハードパンにかぶりついた。


 カリッ。ふわっ。


 う~ん、美味しい!!


「この前も思ったけど、礼桜ちゃんはすごく美味しそうに食べるね」

「はい、美味しいので」

「そっか。口に合ってよかった」


 ……もしかして、女の子たる者、イケメンの前では大口を開けて食べないのだろうか? 私も恥じらうべきなのか? でも、水筒でぶん殴って急所を蹴ったところを見られているから、今さら取り繕っても仕方がないし。

 そういえば、初めから九条さんの前では素を出している……。



 目が合ったので笑いかけると、九条さんも微笑んでくれた。九条さんの前には、ブラックコーヒーが置いてある。私の手元にはカフェラテ。朝も今も私のためにわざわざカフェラテを作ってくれたのだと今更ながら気づいた。


「あの、九条さん、カフェラテありがとうございます」

「ん?」

「九条さんはブラックコーヒーだから、わざわざ作ってくれたんですよね」

「礼桜ちゃんはコーヒー苦手かなと思って。俺が勝手にしたことやから気にせんでええよ。……余計なお世話やったらごめんね」

「いえ、ありがとうございます! コーヒーは飲めないことはないんですが、まだ美味しいとは思えなくて……。でも、この前、九条さんが淹れてくれたコーヒーはとても飲みやすかったです」


 ちなみに、九条さんが飲んでいるのは、ブラックコーヒーではなく、エスプレッソだった。どう違うのか教えてもらったけど、いまいちよく分からなかった。だけど、エスプレッソにミルクを入れたらカフェラテで、コーヒーにミルクを入れたらカフェオレらしい。


 ……なるほど。よく分からん。


 右手で取っ手を持ち、左手をカップに添えると、カフェラテの温かいぬくもりが手から伝わってくる。ふわっふわの泡が乗っているカフェラテを一口飲むと、九条さんの優しさに触れた気がした。


 カフェラテのお礼と一緒に美味しいと伝えると、極上の微笑みが返ってきた。キラキラに少し怯んだが、とりあえずお礼を伝えることはできたので良しとする。


「そういえば……、なんで私がコーヒー苦手って分かったんですか」

「ああ、この前の事件のとき、礼桜ちゃんは気合いを入れてコーヒーを飲んだような気がしたから」


 ……当たってる。苦くても平気な顔をしなければと思いながら、最初の一口はポーカーフェイスを装いおそるおそる飲んだ。どうやらそれが九条さんにはバレバレだったらしい。あの時も九条さんは私の前に座っていたが、まさか見られていたとは思わなかった。

 九条さんの観察眼すごいな!


「見られてたんですね」

「ごめんね。あの時、みんなが飲むのを見ててん。礼桜ちゃんだけじゃなくて、寺岡さんが飲むのも見てたし、もちろん椿のも見てた」


 よかった。

 私だけ見られていたわけじゃないことに少し安心した。


「……なんか探偵さんみたいですね」

「そう? じゃあ探偵になろうかな。俺が探偵なら、礼桜ちゃんは助手ね」


 小説やアニメに出てくる探偵のようだと思った心の声が、つい口から出てしまった。

 九条さんは笑いながら返してきたけど、九条さんなら探偵にもなれると思う。助手は勘弁願いたいが、涼しい顔をしてすべて解決しそうだと感じた。






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