第17話 バイト初日〜開店前〜

 今日からバイトする革小物専門店を改めて外から眺めた。

 2階建ての白壁に、1階には大きめの窓、一枚板の木の扉、そして、少し目線を上げると、そこには「BlueberryFlowers」の看板がかかっている。

 Blueberry Flowers――直訳すると〝ブルーベリーの花〟。文字の横に、小さくブルーベリーの花の絵も描かれている。お店の名前だけ見ると、お花屋さんかファンシーな雑貨屋さんを想像するけど、大人の人を対象とした革小物専門店なので、そのギャップがすごい。



 私は大きく深呼吸をして扉を開けた。


 カランコロンカラン


 澄んだ音色のドアベルが迎えてくれる。

 この前こんなのあったかなと思いながらドアベルを見上げ、店の中へと入った。


「おはようございます」


 店内には革製品の匂いが漂っている。

 やっぱりこの匂い好きだなと思いながら、どこにいるか分からない九条さんに聞こえるように大きな声で挨拶をすると、奥の事務所兼応接室兼給湯室から九条さんが顔を出した。


「礼桜ちゃん、おはよう。仕事の内容とか説明するから、こっちに来てくれへん?」


 ひったくり事件以来の事務所だったが、相変わらず落ち着く空間が広がっている。

 事務所に入るときに再度「おはようございます」と挨拶がてら声をかけると、カウンターキッチンの中にいた九条さんはソファーに座るように促してきた。


「礼桜ちゃん、今日の格好も可愛いね」

「ありがとう、ございます。……こんな格好で大丈夫ですか」

「全然問題ないよ。むしろ可愛い」

「ソウデスカ」

「ん? どした?」

「いえ。九条さんからもらったメッセージですが、……私、ヒョウ柄とか派手な服とか1枚も持ってないので、あまり参考にならなかったな、と……」


 九条さんはにやにや笑っている。やっぱりあのメッセージは半分揶揄っていたのだろう。

 チベットスナギツネが降臨してジト目になったのが分かったが、仕方がない。このまま文句を言ってやろう。


「それに、大阪に住んでても、ヒョウ柄とかショッキングピンクとか派手な服を着ている人、見たことないですよ」

「えっ? 見たことないの? おるところには、おるんやけどね」


 九条さんはクスクスと笑いながら、この前と同じ2人掛けのソファーに座っている私の前にカフェラテを出してくれた。

 ふわっふわの泡が乗っているカフェラテに、一人心の中でテンションが上がる。一瞬でチベットスナギツネもどこかへ行った。自分のチョロさ加減が憎い。

 お礼を言って一口飲むと、甘くて、ほんのり苦いコーヒー味が口の中に広がる。カフェラテの温もりが喉を通り、心のもやもやを溶かしていく。……美味しい。


 私の前に座った九条さんも、私が飲んだのを確認するとコーヒーに口をつけた。


 ほっこり一息ついていたが、バイトをしに来たことを思い出した。くつろいでいていいのだろうかと不安になったが、九条さんもゆったりコーヒーを飲んでいるから多分大丈夫なのだろう。そう思い直し、そのまままったり空間に身を委ね、カフェラテをまた一口飲んだ。お互い何も喋らなかったけど、なぜか気にならず、優しい空間とゆったりとした時間だけが流れていく。


 半分ほど飲んだとき、九条さんと目が合った。九条さんは私に微笑みながらコーヒーカップを置いたので、私もカップを置いて、九条さんが話し始めるのを待つ。



「まずは、今日からバイトに来てくれてありがとう。改めて、自己紹介するね。九条 湊です。ここの店長をしています。これからよろしくね」

「高丘礼桜です。学校がお休みの日にしか入れませんけど、精一杯がんばりますので、こちらこそよろしくお願いします」

 そう言って、私は座ったまま頭を下げた。


「出逢ったときから名前で呼んでるから今さらだけど、このまま礼桜ちゃんって呼んでいいかな」

「はい」

「俺のことも名前で呼んでくれてええよ。あだ名つけてくれてもええし。でも、店長とか肩書で呼ぶのだけはやめてほしいかな。悲しくなるから」

「あ、……じゃあ、九条さんって呼んでもいいですか」

「九条さんか……、ええよ」


 一瞬、九条さんが気落ちしたような気がしたけど、笑ってるし気のせいだろう。


「じゃあ、早速、手続から始めよか」

「はい」


 履歴書を渡し、必要な書類の確認をする。

 一通り終わったところで時間を確認すると、10時30分だった。



「ちょうどいい時間やね。じゃあ、今から開店前にすることを教えるね。まず、お店にいるときは、このエプロンをつけて」


 渡された黒のエプロンは、膝ぐらいまで長さがあり、2つの大きなポケットがついている。シンプルだけど、生地がしっかりしていて機能的なエプロンだった。

 九条さんも同じエプロンをつける。

 エプロンをつける理由は、小物やバッグを磨いたりするので、服が汚れないようするため。そして、エプロンのポケットの中に都度必要なものを入れられるから、効率がいいらしい。



◇◇



 私たちは店内に移動し、開店前の清掃の仕方などを教えてもらいながら、一緒に開店準備をした。

 陳列している商品をずらしながら、はたきをかけ、レザートリートメントが染みついた布で商品を軽く拭いて元の場所に戻していく作業を繰り返した。軽く拭くだけでも革製品に艶が出て美しい。

 陳列している商品は売らず新品をお客様に渡しているから、ここに置かれている商品はあくまで見本らしい。その説明に頷き、私は商品を手に取り、丁寧に拭いていく。


 黙々と開店準備をしながら、母がこのお店の革製品ばかり買っているのを思い出した。



***



 母は、百貨店の催事でバッグに一目惚れして以来、Blueberry Flowersのバッグや小物ばかり買っている。確かに九条さんの手で一つ一つ作られる革製品はお洒落で、機能的で、細部にまでこだわって作られている。バッグなどは一番安いものでも2万5,000円を超えるため私のお小遣いでは到底手が出ないが、モノがいいから妥当な値段だと母は言っていた。

 革製品は、使えば使うほどいい味を出す。母も小まめに手入れをしながら大事に使っている。そんなところも革製品の醍醐味らしい。

 気に入った革製品だと使用頻度が高くなり、その結果、損傷も出てくる。そのとき、新しくほかのモノを買うのではなく、修理できるなら修理すると母は言っていた。愛着が湧いて手放せなくなるそうだ。



***



 そんなことを思い出しながら一つ一つ手に取って丁寧に拭いていると、だんだんと魅力を感じ、革製品の世界へといざなわれていく。


 バイトに入る前、お店のホームページで九条さんが作る商品の写真や情報を頭に入れていたが、実物はいい意味で全然違った。

 実際に手に取ることで革の質感を感じることができ、どの商品も手に馴染み、機能性に優れ、使い勝手がいいと気付く。そして、画面で見るより実物のほうが何倍も素敵だ。丁寧で美しい縫製は、写真よりも実物のほうが目を奪われる。

 私には革製品の良さがまだよく分からない。だけど、Blueberry Flowersの商品はどれも素敵で、ときめいてしまった。ここでバイトをしていたら私も革製品にハマるのだろうか。そんな未来も素敵だなと感じた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る