第13話 九条さんからの提案
九条さんが最後の仕上げをしている。
濃厚なソースの匂い、踊る鰹節、青のり、美しい線を描くマヨネーズ、九条さんの手によってどんどん完成に近づくたびに心が躍った。
粉末状の鰹節を置いているお店も多いが、やっぱりお好み焼きには踊る鰹節のほうが私は好きだ。
どうぞと言われ一口食べたお好み焼きは、ふわっふわで、豚肉も厚いから食べ応えがある。一口噛めば、濃厚なソースのコクと分厚い豚肉の旨味が鼻孔を通り抜けていく。そして、鰹節と青のり、マヨネーズが味を引き立てていく。めちゃくちゃ美味しい~。
お好み焼きが熱くて、口の中ではふはふしながら食べる。そんな至福の時間を味わっていると、九条さんが牛すじネギコンをお裾分けしてくれた。しっかり味がついているトロトロの牛すじとコンニャクの食感、そしてネギの風味が相まって、豚玉と違う美味しさがある。
私も豚玉をお裾分けし、美味しい、美味しいと食べているときだった。
「ねぇ、礼桜ちゃん、俺の店でバイトしてみない?」
は? バイト?
お好み焼きを美味しく食べているときに九条さんがぶっこんできた一言に、私の思考は一時停止した。
キラキラな笑顔の九条さんと目が合う。とりあえず、無言のまま口の中に入っているお好み焼きをよく噛んで飲み込み、お水を飲んだ。
いきなりの提案で私の頭の中にたくさんのハテナが浮かんでいるのが分かったのか、九条さんは理由を話してくれた。
曰く、今まで大学に通いながら一人でお店を営んできたけど、徐々に軌道に乗り一人では回らなくなってきたこと。バイトを探していたところで、今日私と出会ったこと。そして、私が九条さんに対して秋波を送ることも、あからさまなボディタッチも、自分を過剰に可愛く見せることもしなかったためバイトの勧誘をしたと、そう説明してくれた。
……どこからつっこんでいいのだろう。いろいろツッコミどころがある理由だな。
とりあえず無難なところだけをつっこむことにした。
「ボディタッチなんかクラスの男子にもしないのに、初対面の人にそんなことするわけないじゃないですか」
「常識から考えたらそうなんやけどね。まあ、……そんな子もおるから」
苦笑する九条さんを見て考える。
確かに、格好いい人に寄っていく女の子たちがいることは知っている。
だけど、そうじゃない女の子のほうが多いのに、そんな人は九条さんの周りにはいないのだろうか。
正面に座っている九条さんの顔を見て、思い至った。
ハイスペックイケメンすぎて近づかないのかもしれないと。
私もきっかけがなければ九条さんに話しかけることはないだろうし、友達になろうとも思わない。だって、一言話すだけで悪意や嫉妬を孕んだ視線を向けられたら、ほんと煩わしいし、超面倒くさいから。
ここに来る途中もお姉さんたちの視線が痛くて気が引けた。九条さんは遠くから見るだけで十分だ。
そう思ったら、今こうして二人でお好み焼きを食べていることに、不思議な縁を感じた。
◇
確かに私は自分を可愛く見せるテクニックなど持ち合わせてもいないし、水筒で殴って急所を蹴るのを見られた時点で、被る猫も遥か遠くへ旅立っている。
だけど、可愛く見られたい欲求ぐらいはある!
腑に落ちないところもあるが、九条さんに少し同情してしまった。
ハイスペックイケメンすぎるのもいろいろ大変なのだろう。
◇◇
「私、平日は7時間授業で、土曜日も午前中は学校なので、バイトができる時間はほとんどないからご迷惑をおかけするだけかと……」
「それは大丈夫。さっきも言ったと思うけど、基本、土日祝日しか開けてないから。平日は、今日みたいに来店したいという電話がかかってきたときにしか開けないし」
「……私、不器用なので、作るお手伝いはできないと思います」
「ああ、ちゃうちゃう。礼桜ちゃんのお仕事内容は、うちはインターネットでの販売が主だから、商品の包装や発送作業がほとんどを占めると思う。あとお店の清掃とか、店番とか、ちょっとした雑用かな」
「そうなんですか」
「うん。バイト代は日当になるけど、時給1,150円で計算するから。土日祝日の10時半から17時半まで7時間入ってもらって、日当8,050円でどんな?」
「そんなにいただけるんですか」
「お休みの日に働いてもらうから、休日手当も含まれてるんやけどね。もちろん用事があるときは休んでもらって構わないし、礼桜ちゃんのペースで働いてくれていいから。結構融通きかせられるし。暇なときは、店番しながらカウンターの中で勉強しててもええよ」
「でも、土曜日はお昼の2時以降しか入れないので……」
「2時以降でも全然問題あらへんよ。それは礼桜ちゃんに合わせるから無理はせんでええし。ちなみに土曜日のバイトは2時から5時半までで日当4,025円でどんな?」
催事などで7時間を超える場合は、きちんとその分は計算して払うのでサービス残業になることは絶対にないと併せて説明された。
授業中の脱線で大阪の最低賃金の話になったから、最低賃金ぐらいは知っている。それより100円以上も高いバイト代をもらえるのは、とても魅力的だと感じた。
自分の生態を思い返してみると、休みの日はたいていごろごろしているので、何の生産性もない。遊びに行くわけでも、勉強するわけでもなく、ごろごろと怠惰に過ごしている。
今日、椿さんの話を聞いて、私は今とても恵まれた環境にいると感じた。
バイトだってこんな好待遇で雇ってもらえるところなんか、ほかを探してもないと思うし、九条さんといても苦痛に感じないから働きやすいだろうなとも思う。
高校受験で公立に落ちた私は、滑り止めで受けた私立の高校に通っている。
私立の授業料は高く、両親がお金のやり繰りをしているのも知っていて、申し訳ないとずっと思っていた。
今からバイトしてお金を貯めていったら、大学の受験料や入学金ぐらいは貯まるだろうか。授業料も少し補えたら更にいいのだが。
どうせ家にいても勉強なんかしないから、ごろごろしてる時間にバイト……してみようかな。
答えを出して九条さんを見ると、テーブルに両肘をつき、指を組んだ手を口の前に置いて私を見ている。
すぐに九条さんの視線と交わった。
何度も見た柔らかい雰囲気で私の答えを待っている。
「私、ものすごく不器用で要領も悪いんですけど、それでもよければ精一杯がんばりますので、よろしくお願いします。あっ、でも、一応両親に確認をとってもいいですか」
「もちろん! もし礼桜ちゃんのご両親が俺と話したいって言ってきたら、いつでも連絡して。俺からもきちんと話すし」
連絡先を交換して、これからよろしくお願いしますとお互い言い合いながら、自分の中で新しい世界が広がっていくのを感じた。
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