第12話 お好み焼き「善」

 九条さんが「こっち」と示した道は、天王寺駅前商店街の暗く狭い路地で、木造の建物や長年営んでいるような飲み屋がギュッと並んでいた。飲み屋さんは夜営業のためシャッターが閉められている。人通りもない。何が一番怖いかって、この路地は暗すぎる。何気に上を見ると、アーケードのように屋根がついていた。


 ……あれ? もしかしてここも商店街の中なのか? 


 商店街の中かもしれないけど、足がすくんでしまう。


 ここは絶対に入ったらダメなところ! 絶対にこの道には入りたくない!


 頭の中で警報音が響く。


 一歩を踏み出すのにかなり勇気がいる道を久しぶりに見た。


「礼桜ちゃん、この路地に入るの怖い? 暗いもんね。すぐそこに見えてるんやけど、怖いならやめとこか。違うところに行こう」


 九条さんが気遣ってくれた。


 私一人ではもちろん、友達と一緒でもこの路地は歩かない。初対面ということもあり、九条さんと一緒に歩くのも正直かなり怖い。


 でも、九条さんは大丈夫だという安心感がなぜかあったので、恐る恐る一歩を踏み出した。


 行きつけのお好み焼き屋さんは、そんな暗い道沿いにあり、昔ながらの木造の建物やスナック、居酒屋などが軒を連ねているところに佇んでいた。周辺の店よりも新しく、屋根に「ぜん」と書かれ、臙脂色の暖簾がかかっている。


 高校生ではもちろん大人になっても絶対に立ち入らないだろう場所に、お好み焼き屋「善」はあった。



◇◇



 余談だが、大阪市内は、場所によっては、あまり治安がよろしくない地域もある。1本なかの道に入ったら、がらっと雰囲気が変わることも珍しくない。

 なので、基本的に知っている道や大きな道路以外、私は通らないようにしている。初めて通る道のときは、土地柄を考慮し、周りを見回して観察し、大丈夫かどうか判断している。


 一言で言うと、直感で通るか通らないか決めているだけなんだけど。



◇◇



 「準備中」の札がかけてあったが、九条さんはお構いなしに暖簾をくぐると引き戸を引き、「善さん、2人やけどいける?」と尋ねている。


 九条さんの後ろから店内を覗くと、カウンターに5席、壁側に4人席のテーブルが2つ置いてあった。カウンター席の前には1枚の大きな鉄板があり、テーブル席にも鉄板が備え付けてある。よく見かけるお好み焼き屋さんの店内だった。


「おう、湊か。準備中やけど、かまへんで。好きな席にすわ……」


 野太い声に導かれるように九条さんが店内に入ったので、私も後に続いた。

 善さんと呼ばれた人は、大柄で体格が良く、頭には白いタオルを巻いており、熊みたいな人だった。

 善さんは私達2人を見るなり固まっている。どうしたのかなと思ったが、九条さんは構うことなく善さんの前を素通りし奥のテーブル席へと向かっていった。

 いいのかなと思いつつも、通り過ぎるときに善さんにペコッと頭を下げ、九条さんの後に続いた。



◇◇



「礼桜ちゃん、俺のお勧めは、牛すじネギコンかな」

 牛すじにネギにコンニャク。美味しそうだけどボリューミーだなと思いながらメニュー表を探したが、テーブルにもカウンターにもメニュー表は置かれていない。

 九条さんが指を斜め上に指したのでそちらに視線を向けると、艶のある木の板に太字の達筆で書かれたお品書きが店の壁を囲むように貼ってあった。

 お品書きはこんなにも主張しているのに、固まっている善さんに意識が向いていたため全然気付かなかった。



「……いろいろあるんですね」

「そうやね。ここにないのも言えば作ってくれるよ」

「そうなんですね……」


 壁のお品書きを見ていたいが、九条さんをお待たせしているので早く決めなければ。そんな焦りもあり、無難な豚玉にした。



 善さんを呼ぶ九条さんの声で、私も善さんを見た。善さんはカウンター越しにニカっと笑うと、注文に応じてくれた。

 熊みたいな厳つさと強面で最初はおっかない人に見えたが、内面は優しい人なのかもしれない。歳は……30過ぎくらい?



◇◇



 お好み焼きが来るまでの間、今度はじっくりと壁面のお品書きを見ることにした。種類豊富なお好み焼きのメニュー以外に、定番の焼きそば、そばめし、オムそば、とん平焼き、土手焼、から揚げ、ポテト、広島焼きまである。そして、たこ焼きもあれば明石焼きもある。本当に種類豊富で、一つ一つ見ていくだけでも面白い。


 ふと視線を感じたので前を向くと、九条さんが優しい表情で私を見ていた。

 九条さんがいるのに、一人楽しくお品書きを読んでしまった。なので、とりあえず謝っておくことにした。


「……すみません」

「何が? 礼桜ちゃん、あっち見て。焼肉定食とか煮魚定食とかもあるんやで。お好み焼き屋ちゃうやんね」


 そう言って笑いながら、焼肉定食などがある箇所を指差している。後ろを向いて確認すると、和食屋さんですかと言いたくなるようなメニューが並んでいた。コロッケやオムライスといったメニューまであり、こちらも多種多様なお品書きが掲げてある。

 端から読んでいると、あることに気が付いた。ラーメンやうどん、カレーなどが見当たらない。

 それを九条さんに伝えると、「善さんの中で越えてはいけない一線らしい」と笑いながら教えてくれた。

 お好み焼き屋さんの範疇を超える多種多様なメニューがあるにもかかわらず、超えてはいけない一線があることが可笑しかったが、なぜか少しだけホッとした。



◇◇



「ほい、サラダ」


 善さんは、私を見てニカっと笑いながら、ガラスの深めの小鉢に入ったサラダを置いてくれた。


「あの、私、頼んでない、です」

「ああ、これは俺からのサービスやから、気にせんと食べてな。この店に女の子が来ること自体、奇跡やねん。しかも、めっちゃ可愛い子が来てくれたし! 毎日徳を積んどった甲斐があったわ」


 尻すぼみになりながら話す私に善さんは豪快に笑って答えたが、徳を積んだ結果が私とか全然笑えない。


「俺は、湊の知り合いで、ここの大将のぜんっていいます。よろしくね。よかったら名前聞いてもええかな」

「礼桜です。よろしくお願いします」

「礼桜ちゃんか~。名前も可愛らしいな」



 九条さんに追いやられて厨房に戻った後も、カウンター越しに善さんはいろいろ話しかけてくれた。声が野太くて、ニカっと笑いながら豪快に話す内容は、明るく優しさに溢れていて、無神経なことも言わない善さんにすぐに好感が持てた。


 最初は、女の子がおるだけで雰囲気が明るくなるわ~とか、女子高生の来店は初めてやからウキウキするわ~とか、湊が女の子を連れてくるのは初めてだとか、俺に敬語は要らんとか、そんな感じの会話だったけど、そこから話がどんどん膨らんでいく。善さんとお話をするのはとても楽しく、私はずっと声を出して笑っていた。


「礼桜ちゃんは、土手焼きと枝豆、どっちが好き?」

「どっちかと言われれば、枝豆です」

「分かった! 湊は土手焼き?」

「……俺も枝豆」


 九条さんの声色が少しぶっきらぼうだったから、九条さんのほうに顔を向けると、少し不貞腐れているように見えた。でも、目が合うと柔らかい雰囲気の九条さんがいる。


 ……気のせいかな。


「九条さん、どうかしました?」

「なんで? 何もないよ」

「そうですか……」


 どうやら気のせいだったみたいだ。


「それよりも、はい、お箸」

「ありがとうございます。でも、私だけサラダをいただいて、なんかすみません」

「そんなん気にせんでええよ」

「じゃあ、……いただきます」


 中鉢のボウルには、レタスや紫タマネギ、プチトマト、コーンに海藻など、いろんな野菜が入っていた。柑橘系のドレッシングとの相性もよく、とても美味しい。


 「美味しいです」と九条さんに伝えると、「そっか」と言って微笑んでくれた。

 厨房にいる善さんにも美味しいと伝えると、「せやろう」と言って、またニカっと笑った。


「はい、枝豆~。それと、今から鉄板で焼くから気いつけてね」


 そう言いながら枝豆を置いてくれた。もしかして、これもサービスだろうか。


「礼桜ちゃん、気にせんで食べえ。この店には、幻の女子高生ランチメニューがあんねん。この後、飲み物とデザートもあるから楽しみにしといてな」

「でも、九条さんもいるので……」

「礼桜ちゃんは、ええ子やなあ。しゃあないから湊も大学生ランチメニューにしといたるわ」


 善さんは「しゃあないなー」と言いながら、九条さんのところにも枝豆を置いている。あらかじめ九条さんの分も準備されていたようだ。一緒に食べたほうが気兼ねなく楽しく食べることができるから、私だけのサービスじゃないことに胸をなでおろした。

 善さんにお礼を伝えると、またニカっと笑ってくれた。



◇◇



 ジュュュュ~~~~~


 鉄板にお好み焼きのタネを入れる音は、いつ聞いてもテンションが上がる。

 しばらく待っててなと言って、善さんは奥にあるもう一つの厨房のほうへと引っ込んでいき、店内は私たちだけとなった。


 ゆっくりとした時間が流れ、私たちはまたいろんな話をし始めた。


 九条さんが阪大の学生と聞いたときは、驚きのあまり目を見開いてしまった。阪大に行くぐらい頭が良くて、お店も経営してて、学業と仕事の二足の草鞋を履いている。

 話を聞けば、高校生のときに投資でひと財産築いたので、そのお金を元手に、昔から趣味で制作していた革小物専門店を開いたそうだ。お店にあるものは全て九条さんが手がけたものだった。オンラインショップでの販売が主で、たまに百貨店の催事に呼ばれることもあるらしい。大学もあるし、お店は土日祝日ぐらいしか開けてないと言っていたが、毎日ヒーヒー言いながら勉強している私とは大違いだ。


 少しだけ距離が縮んだような気がした九条さんは、本当にすごい人で、やっぱり私とは別世界の雲の上の人のように感じた。




 善さんが戻ってきて、お好み焼きをひっくり返すと、いい焼き色がついている。


「湊、あとは頼むわ。俺は奥で夜の仕込みをするから、何かあったら言うてな」


 私にも笑いかけながら「ごゆっくり」と言って、善さんは奥へと入っていった。




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