第4話 出逢い

 男を倒す算段を頭の中でシミュレーションしていると、「大丈夫?」という掛け声とともに私の肩に手が置かれた。

 神経がたかぶっていた私は、手が置かれた瞬間にその手を払い除け、勢いよく振り返りながら間合いを取った。


 そこには、私を気遣うような、面白がるような目をした長身の男の人が立っている。

 身長180センチ以上はゆうにあり、すらっと引き締まった体と長い足、クラスの女子は間違いなくキャーキャー騒ぐほどルックスが良い。顔だちもかなり整っている。髪はダークブラウンの落ちついた色味で、ふわふわのパーマがかかっていた。今流行りのツイストパーマというやつだろうか。サイドは短めなので、髪型も重苦しくない。全体的に見てとても爽やかで雰囲気も何もかもが格好よすぎるので、芸能人かモデルさんだろうか。



 「大丈夫?」


 手を払い除けた私の不躾な対応を責めるでもなく、もう一度柔らかい表情で聞かれた。


「…大…丈夫…です。ありがとう…ございます」


 口の中が乾燥していたようで声は少し枯れており、やっと出た言葉はたどたどしかったが、とりあえず返事をすることはできた。


 道路には、相変わらず男が股間を押さえ、呻き声を上げながら蹲っている。


「あの、この人ひったくりなんです。危ないですから、下がってたほうがいいと思います」


 優しそうなイケメンお兄さんを巻き込むわけにはいかない。


「大丈夫やで。こう見えて、俺、結構強いし。それよりも怪我してへん? 大丈夫?」


 当たり前のように伝えられた「強い」という言葉に私は安堵を覚え、緊張していた体が一気に弛緩していくのを感じた。


「ありがとうございます。私は大丈夫です」


 気遣ってくれたお兄さんにお礼を言うと、お兄さんはにこやかな顔のまま私をじっと見て、その後、私から顔を背け、肩を震わせながら……笑っている?


 お兄さんが突然肩を振るわせ含み笑いし始めた理由が分からず、私は唖然としながらも、その成り行きを見守ることしかできなかった。


 しばらくすると落ち着いたのか、お兄さんは目に溜まった涙を指で拭きながら、また私を見てきた。


 涙が出るほど面白いことがあったのだろうか。


 戸惑いながらもお兄さんを見ていると、


「あー…、涙が出るくらい笑ったん久しぶりやわ。いきなり笑うてごめんね。ちょっと思い出したらおかしくて。……ふふふふふ。水筒で燕返しする女子高生、初めて見たわ。めっちゃ格好よかったで!! ……水筒で燕返し…、しかも最後はキン蹴り。清々しいほどに卑怯やし」


 思い出したのか、また肩を震わせて笑っている。


 ……なるほど。

 笑いの対象は私だったのか。

 もしかして、笑いをかみ殺しているのは、私への配慮だろうか。もしそうなら、そんな配慮は必要ございませんと言いたい。



 見た目は爽やかだけど中身は全然爽やかじゃないお兄さんに見られたことが恥ずかしくて、いたたまれない。

 ここから走り去りたい……。


 穴があったら入りたいくらい恥ずかしいのに、肩を震わせて笑っているお兄さんを見ていたら、現実に戻ってきた感覚がして、昂っていた神経が落ち着いてきた。


 そして、少し冷静になった頭で、水筒で攻撃した自分を想像してみる。


 ……うん、確かに清々しいほど卑怯だな。


 羞恥と安堵で気が緩んだ私は、自分がしたことがおかしくて、お兄さんと一緒になって笑うことにした。9割が恥ずかしさを紛らわすためだけど、笑うほど頭の中がクリアになる。


 ちなみに、男はまだ大きく呼吸しながら蹲っている。少し回復してきたのだろうか。あとどれくらいで復活するか分からないけど、このお兄さんがいれば大丈夫だろう。



 それよりも、一つここできちんとお兄さんに訂正をしておかなければいけないことがある。


「あの、燕返しではないです。燕返しは上から振り下ろして、下から振り上げるんですよね? 私は側面に当たるように振り切って、下から振り上げたので」


 「え!? そこ?」


 お兄さんはとうとう声を出して笑い始めた。


 ……なんか解せぬ。



◇◇



 男の様子を確認しながら笑っているお兄さんを見ていると、バッグを盗られたおばあちゃんがようやくやってきた。


 ……おばあちゃん、ごめんなさい。このお兄さんの登場で、おばあちゃんのこと頭から抜けてました。


 ぱっと見、おばあちゃんも怪我はないようだ。打ち身は分からないけど、大きな怪我はなさそうでよかった。お兄さんのせいでおばあちゃんの存在を忘れていた私は、気まずさを感じながらも、手に持っていたバッグを渡した。



「お嬢ちゃん、ほんまおおきに!! お金よりも大事なもんが入ってたから、お嬢ちゃんが取り返してくれへんかったらと思うと……。ほんまありがとうね!!」


 私の手を握り上下に振りながら体全体で感謝の言葉を伝えてくれるおばあちゃんに、私のほうがたじたじになってしまった。


 おばあちゃんの話では、バッグの中には今度結婚する孫娘にプレゼントするためのネックレスが入っていたそうだ。普通に販売されているネックレスではなく、おばあちゃんが結婚するときに貰った婚約指輪を今時のデザインへとリフォームした、思い出の詰まった世界に一つだけのダイヤモンドネックレス。


「新品を贈ると言うたんやけどねえ。孫娘はどうしても私の婚約指輪でリフォームしたものを持っていきたいって聞かなくて。将来女の子が生まれて大きくなったら譲るんや言うてくれて」


 どこか照れたような感じで、でもとても嬉しそうに教えてくれた。そして、それを受け取りに行った帰りにひったくりに遭ったそうだ。


 見て見ぬふりをしなくて本当によかったと心から思った。


 男を見ると、変わらず蹲ったままだが、静かになっている。私たちの話を聞いているような気がした。少しは反省しているのだろうか。だからといって許すことはできないけど。


 私は、おばあちゃんのバッグを取り返せたことに満足していた。






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