第5話 お兄さんとコーヒー

 おばあちゃんと話している間とても静かだったひったくりの男は、回復したのか、立ち上がりそうな動きをし始めている。


 お兄さんがやおら男の横に立ち、背中をポンポンと叩きながら

「大丈夫か。抵抗せんとは思うけど、逃げようとしても無駄やで」

と優しい口調で声をかけている。


 口調は優しいのに言っていることは全然優しくないと思ったが、そのとおりなので黙っておく。


 男は、はぁぁとゆっくり息を吐いて立ち上がると、姿勢を正し、私たちを正面から見据えた。

 男の双眸から反撃してこないことは一目瞭然だが、万が一もある。私はおばあちゃんを背に隠し身構えた。




「バックをひったくって申し訳ありませんでした」



 勢いよく90度に頭を下げ、謝罪する男。

 まさか謝罪するとは誰も思っておらず、少しの間、沈黙が流れた。


「今さら謝られても……。警察は呼ばせてもらいます」

「はい。分かってます。僕がきちんと謝りたかっただけです。本当に申し訳ありませんでした」

「……何でこないなことしたん?」

「……どうしてもお金が必要で。……本当に申し訳ありませんでした」


 震えながら、それでもきちんとおばあちゃんの目を見ながら話すこの男にも何か事情があるのだろう。

 そう思わせるほど、とても真摯な態度で謝罪を繰り返している。

 苦しそうな表情の男は、何か言おうと口を開くも、結局何も言わずに下唇を噛み俯いた。


 それにより再度流れる沈黙。



 ふとお兄さんを見ると、お兄さんは少し距離を取って誰かと電話で話していた。


 電話が終わり、私たちのほうへ来るなり、


「立ち話もなんですから、よかったらうちの店で少しお話ししませんか。警察の方が来る間だけでも。美味しいコーヒーを淹れますので」


 柔らかい口調で話すお兄さんの提案に異議を唱える者は誰もいなかった。



 そして、お兄さんが扉を開けたのは、私の目的地である革小物専門店だった。




◇◇




 外から覗いた以上に明るい店内には、さまざまなバッグや小物がお洒落に陳列されている。

 つい見入ってしまいたくなる気持ちを抑え、革製品独特の匂いに包まれながら店の奥のほうへと進んでいった。


 私の前を歩くひったくりの男も店内を見回している。きっとこの男も革製品に興味があるのだろう。

 時々私の視界に映る男の横顔が、目が、純粋に輝いていた。そして、お兄さんもそれに気づいているようだった。




 案内されたのはお店の奥にある20畳程度の広さの部屋で、入って左手にローソファとテーブルが配置されており、右奥には小さめのカウンターキッチンがある。

 そして、カウンターキッチンの横、左奥のスペースにはデスクが置かれていた。

 この部屋は、事務所兼応接室兼給湯室のようだった。


 私たちをソファーへと案内したお兄さんは、カウンターキッチンの中へ入り、これまたお洒落なやかんでお湯を沸かし始めた。


 私の隣にはおばあちゃんが座っている。おばあちゃんは、自分の正面に座っているひったくりの男を見ていた。

 男は俯いたまま黙って座っている。


 お話をする雰囲気でもないので、私は部屋の中をさりげなく観察することにした。


 今座っているソファーはチーク材で作られており、アーチを描いているフレームのゆるやかなカーブは木の風合いや温かみを感じられ、また背面は縦格子となっていて、とても素敵なデザインだと感じた。

 ブルーグレイで落ち着いた色合いのクッションも奥に向かって傾斜がかかっていて、とても座り心地がいい。


 私とおばあちゃんは二人掛けのソファーに、男は対面の一人掛けのソファーにそれぞれ座わっている。

 私の前の一人掛けソファーは空いているから、お兄さんはそこに座るのだろう。

 

 ソファーの前のテーブルは、姿勢よく書き物をしたり、ご飯を食べたりできるぐらいの丁度いい高さがある。低すぎるテーブルだとコーヒーを取るときなど少し前のめりにならないといけないが、高さがあるので腰への負担もない。


 そして、奥にあるデスク&チェアも、置かれている一つ一つの小物や観葉植物の配置でさえも、お兄さんの抜群のセンスが光っており、木のぬくもりを感じる統一感のある部屋となっていた。


 ソファーの座り心地と部屋の雰囲気で、つい居心地よく感じてしまった。




 部屋を見回していたら、コンロの前に立っているお兄さんと目が合った。クスリと笑われたので、あわてて目線を外した。


 そっと視線を戻すと、お兄さんはお湯を注ぎながらドリップし始めている。

 センターで分かれているふわふわの髪の毛から見えるおでこと下向きの目線、すっと通った鼻筋に口角が上がっている口元。背筋を伸ばして姿勢よくコーヒーを淹れるお兄さんはものすごく絵になっていた。



 芸能人かモデルさんかと思ったら、まさか店長さんだったとは。



 お兄さんは確かに格好いいが、私は格好いい人を見てもキャーキャー騒ぐ性格ではないし、外見で好きになることもほとんどない。

 一つ感じたのは、地味な女子高生の私とは住む世界が違う人なんだろうなということだけ。



◇◇



 次第に部屋中にコーヒーのいい匂いが立ち込め始めた。



 私はコーヒーについての造詣なんか微塵もない。

 安売りのときに母が買ってきてくれる山の名前がついているメーカーのカフェラテを飲むぐらいだ。


 そんな私でも、匂いだけで、お兄さんが淹れているコーヒーは美味しいに違いないと感じる。


 コーヒーの匂いに触発され空腹だったのを思い出した。


 これから話をするなら、お昼ご飯を食べられるのはいつになるだろう。


 空腹からため息が出そうになったが、私はぐっと堪えた。



 「せっかくなので、美味しいコーヒーをと思って淹れてみたのですが」



 「どうぞ」とどこか照れながら、お兄さんはみんなの前にコーヒーを置いていった。

 そのコーヒーは想像どおり美味しくて、カフェラテ一択の私でも飲みやすいものだった。

 みんなが一息つく中、ひったくり犯だけはコーヒーに手をつけず俯いている。お兄さんに促され、ようやく一口飲んでいた。




 私たちが喉を潤し話し出そうとしたそのとき、勢いよくドアがバンッと開いた。







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