第3話 ひったくりと水筒

 その革小物専門店は、白壁の2階建てで、1階は外からでも中がよく見えるように少し大きめの窓が2つ、一枚板の扉には黒の取っ手がついており、とてもお洒落な外観をしている。

 周りを見ずにこのお店だけを見ると、ヨーロッパの風が吹いているような、そんな感じのお店だった。


 外から覗いた店の中は、いろいろな種類のバックや財布、ポーチ、キーケースなどがセンス良く配置されてある。

 一枚板の扉は、木目も色もお店に合っており、モノがいいのがド素人の私にも分かる。


 テンションが上がるほど素敵なお店だけど、私みたいな高校生が気軽に入るにはハードルが高く、扉の取っ手を握るのでさえ躊躇われた。



 お店に入るために気合いを入れ、扉の取っ手に手をかけようしたそのとき、



「ひったくりーーー! 誰かぁ」


 

 遠くから声が聞こえてきた。声がしたほうへ顔を向けると、おばあちゃんが転んだ体勢で片手を前に伸ばし、必死に声を出している。


 私の視界には、バックを右手で抱え、四天王寺のほうからものすごい速さで走ってくる金髪の男が映った。男が向かう方向には、ついさっき利用した谷町線の出入り口がある。

 男は谷町線に乗って逃げるつもりなのだろうか。


 ぶっちゃけ関わりたくはない。自分の命のほうが大事だし、3、4人いた通行人同様、私も男が走り過ぎるのを見届けようと思った。


 そう思ったのに、必死に叫んでいるおばあちゃんを見たら、見て見ぬふりなんかできなかった。



 私はすばやくリュックを下ろし、邪魔にならないように店の壁のところに置くと、踵を返して道の真ん中へと進んだ。旧街道は一方通行の道が多い。車1台と人が通るくらいの幅員しかない。


 手に持っている水筒ケースの肩紐をしっかりと握りしめ、道の真ん中に立った。



 幸い手には、ショルダーストラップ(肩紐)付きの水筒ケースに入れている350ミリの水筒がある。

 学生がよく使う水筒メーカーのケースだから、ケースの底は衝撃に耐えるぐらいの強度もある。しかも、水筒はいつもリュックの中に入れているので、肩にかける必要もない肩紐はきっちり二重になっていた。

 さっき飲んだ後リュックに入れなくてよかったと思いながら、肩紐をしっかりと右手に巻き付け、重さを確認するようにぶらぶらと前後に振った。

 水筒全体の重さは、未開封の500ミリペットボトルより若干軽いぐらいだろうか。この重さなら死ぬことはないだろう。

 思いっきり振れることを確かめて男を見据えた。



 私は男と向き合う体勢を取ると、冷静でいるために大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出しながら自分自身に言い聞かせる。



 先生も言っていた。


 倒そうと思うな。

 生き延びることだけを考えろ。


 命は大事。


 こんなところで死ぬつもりはない。



 大丈夫! 水筒は最強アイテムだ!!






「どけぇぇぇぇぇぇぇ」


 男も道の真ん中に立つ私を認識したようで、大声で威嚇してくる。

 私は水筒を前後に揺らしつつ、叫びながらこちらに向かってくる男をすばやく観察した。手にナイフ類は持っていないことにホッとする。

 あと数秒で私に近づく男との間合いを見極める。私に触れることができない、かつ水筒が当たる距離を測り、男の肩付近をめがけ思いっきり水筒を横面からフルスイングした。


 うわっと言いながら、男はとっさに一歩下がり水筒を避けたため、ダメージはない。



 しまった! 外した!!



***



「……あっぶね」

 男は全身から冷や汗が出るのが分かった。ものすごいスピードでいきなり水筒が飛んできたのだ。実際に飛んできてはいないのだが、体感としては飛んできたとしか言いようがない。

 避けられてよかったと思うと同時に怒りが湧き上がり、男は水筒で攻撃してきた女子高生を確認すると睨みつけた。



***




 男は血走った目で私を睨み、一歩、二歩と近づいてくる。


「てめぇ、何す…」


 間合いに入ったその瞬間、私は振り下ろしていた水筒を下から上へ、男の顎をめがけ力の限り振り上げた。


 ガンッ!!!


 顎に当たった水筒の衝撃で男がよろけた瞬間を見逃さず、私はその男の股間を思いっきり蹴り飛ばした。



 グニュリ



 蹴り飛ばしたときの男の股間の感触が靴底から伝わってくる。柔らかいが弾力もある、なんとも言えない気色悪い感触は、私の足の裏から頭の先まで全身鳥肌となって駆けていく。


 ひぃぃぃ、気持ち悪いぃぃ。


 蹴り飛ばした足を振って感触を忘れようとするも、気色悪い感覚がまとわりつき、グニュリとした感覚がよみがえる。

 やばい、気色悪すぎて全身に鳥肌が立っている。

 ……みぞおちを狙えばよかったかな。でも、みぞおちのほうが早く回復しそうだし。



 私がその気色の悪さと戦っている間、男は声にならない悲鳴を上げながら、股間を押さえて蹲ってしまった。

 顎と股間だから相当痛い……はず。

 私は女の子だから、どんな痛みかは知らんけど。



 私は男が手から離したバックをすかさず拾い上げると、そのまま男を見下ろし観察した。


 男は股間に手をやり唸っている。蹲っているので、私からは顔は見えず、金髪のプリン頭しか見えない。


 あと何分くらいで立ち上がるのだろうか。男が完全復活する前にどうにかしなければ、回復したら女の私には勝ち目はない。よろよろしながら立ち上がる隙を狙って首を絞めて落とすか、もしくは、そのときに蹴り飛ばすことは可能だろうか。もしよろよろしていなければ、私のほうが危ないのでは。それとも、何か技をかけて、もう一度股間を蹴るか。でも、またあの気持ち悪い感触は勘弁願いたい。それなら今度は、股間めがけて水筒を振り下ろすか。でも、それもなんかばっちいから嫌だ。



 男を見下ろしながら頭をフル回転させ、この後どう倒すべきか、それだけを考えていた。

 110番通報をするということさえも思い至らず、男が回復した後どうやって倒すか以外は何も考えられないくらい私もテンパっており、全く周囲のことが見えていなかった。




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