シロとスモーク

 とある遊園地の繁華街エリア。多くの人間が酒に溺れ、煙に巻かれて鈍く瞳を光らせている中で1人、鋭く周囲を見渡しながら店の中でも一際強い酒で喉を焼いている男がいた。その男は場所に見合わず上等そうなジャケットを羽織っている。そして男はゆっくりと口を開いた。

「変わんねぇな此処も」

「てかこの酒マズ、俺昔こんなの飲んでたのか」

頼んだ酒を一気に飲み干すと、男はすぐに店を出ようとする、が、バーのマスターに話しかけられる。

「お久しぶりですね」

「ん、あ"ぁ〜変わんねぇのはお前もだなリキュール」

「えぇ、変わった事といえば貴方が今はスモークであるという事ぐらいでしょうか」

「……まぁ、そうだな」

「ところで本日は如何されたんですか?いつもお仕事で忙しいでしょうに」

「あぁ、シロ…シロさまが有給消化しろってさ」

脳裏にそういえば、と言って有給消化の話をいきなりし始めたシロの事が思い浮かぶ。アイツの言う事はいつも突拍子もないし、意図が読めない。

「……此処の従業員って大概おかしい奴ばっかだが、シロ様はなんか別格なんだよなぁ」

「まあ、否定はしません」

「マスター、煙くれ」

「はい、余り吸うと身体に障りますよ」

この遊園地のバーのマスターであるというのに体の心配をしてくるリキュールに男は肩を窄める。

「よく言えたもんだな、リキュール」

「お客様と仲間は違いますので」

ニヤリと口を横に引いてそういうと、リキュールはカウンターの下から手のひらサイズの箱を取り出してくる。

「どうぞ。お気をつけて」

「そっちもな」

ヒラヒラと手を振り、一日中暗闇とネオンに包まれる繁華街を歩いてゆく。自らの口腔から吐き出される煙草の煙を眺めながら裏通りへと歩みを進めていると、くらりと軽く酒気が頭まで回ってくる。ザルとはいえ流石にチャイサーは挟むべきだったかもな。グラっとと崩れそうになる視界を正常な角度に立て直す。

「噴水、か」

正常な視界を取り戻した男の脳内に懐かしい風景が映し出された。


 ぐずぐずと溶けてゆく視界と埃っぽい空気。ちょろちょろとお情けばかりの水が噴水を構成する石に当たる音だけがくぐもった脳の中で鮮明に響いていた。ふと、目の前を真っ白な何かが通り過ぎる。飲みすぎて幻覚でも見え始めたか、と思い、生理現象で溢れていた涙を拭う。すると、広場の端に白い布を被った化け物が立っていた。2m程の体躯に左手には布の間から機械質の長い爪が覗いている。表情を見ようにも顔にはヒラヒラと揺らめく白い布をつけていて何も分からない。ベージュ色の腰紐は白の布の上にゆらゆらと揺れ、キラキラと夜のネオンを反射している金属光沢を持った銀色の月桂樹が短く切られた黒髪の上で輝いていた。それは此方から注がれている視線に気付くとゆらりとその長躯をこちらへと向け、ゆっくりと此方に近づいてくる。衣擦れの音が止まったかと思うと機械質の長い爪に自らの体を持ち上げられる。首の辺りを掴まれ、半ば無理矢理立たされる形となった男は呼吸が出来なくなっていく感覚に思わす体を捩らせる。しかしその力が弱まる事はない。

「……っ、は”ぐぁ」

声にならない呻きをあげていると、ふと目の前の化け物が話し出す。

「僕を見つけなかったら痛く無かったのに、まあ、しょうがないよね、”覚めている”君が悪いんだよ」

化け物がギラリとその目を光らせたように見えた。

「ん?君、もしや……無いのか」

何か化け物が言っている気がする。ぼんやりとしてくる視界の端に顔布から覗く三日月の様に弧を描く口が見えた。

どさりと音が鳴る。長い爪をパッと開いた其れはひゅうひゅうと息を吸う男に向かってこう言った。

「君、此処の従業員にならない?」

どこからともなく取り出した万年筆を機械質の爪にぶら下げ、男の前に差し出す。もう片方の人間の形をした手にはA4サイズの紙をペラペラと揺らしていた。そして

「スタッフになってくれたら痛くないよ、なってくれるよね?」

と上機嫌に告げた。

少しの沈黙の後、男は乾いた笑みを浮かべるとぶら下げられた万年筆を手に取る。そして……


カラン、そう、音がした。

ふと目を音がした方に向けると、酒の缶が足元に転がっている。飛んできた方を見やれば男たちが取っ組み合って喧嘩を始めていた。そういえば、もうすぐ終わる時間だったな。既に所々ネオンが落とされ、この街に夜が来る事を知らせている。

「夜の此処は治安クソ悪いからな、そろそろずらかるか」

思い出に浸るのはこの辺りにしておこう、男はそう呟き。裏路地を進んでいき、街の外れの潰れた酒場にたどり着く。従業員用の勝手口の方へと足を進めるが、その勝手口には目もくれずに、勝手口の隣の壁を指でなぞる。そのままトン、と壁を押し込むと小さくピッと言う音がして酒場の壁が左右に吸い込まれていった。男が薄暗い道が続いている従業員用通路の中に入ると、自動的に扉が閉まる。更に暗くなった通路は右に曲がるとその先に長い階段が続いていた。階段の先の方は霞んでおり、どこまで続いているのか分からない。

「久しぶりに見たけどなっがいな、流石、園内一の高低差」

こうなるといつものワープが恋しくなるな、などと思いながら男は長い長い階段を上がってゆく。しばらく階段を登っていると段々と終わりが見えてくる。一見行き止まりに見える、階段の終わりをまたトン、と押し込めば、ピッという音がして壁が左右に吸い込まれていった。従業員用通路を出るとそこは野球場の放送室を彷彿とさせる小さな部屋に辿り着く。部屋から外を覗けば野球場のような扇形の客席が見えた。その奥には長く細い滑り台がくねくねと曲がりながら上から下へと続いており、滑り台の下には大きなトランポリンが階段状に続いている。時々滑り台から人が落ちてはトランポリンに受け止められ、ポーンと跳ねていた。そのまま少し立て付けの悪い片開きの戸をギィと開け、外に出る。先程のエリアとは違い、明るい光と穏やかな風が彼を出迎えた。

「流石に疲れたな」

そう呟き、胸ポケットから煙草を一本取り出すと、シュポッという音を立て、火を付けた。ふぅと一息ついて長く細い滑り台と大きなトランポリン、そしてその隣に続いている真っ暗な溝を眺める。シロによるとあの真っ暗な闇に落ちると下の世界に行くそうだ。あまりにも漠然とした説明でよく分からなかったが、とにかく落ちたら戻ってこれないらしい。そんな事を考えながら、どこまで続いているのか分からない闇をぼんやりと見つめていた。

「あの……」

女の声がした。ぼんやりとした視界を声のした方に合わせる。すると、そこにはまだ大人とは言えない少女がおずおずとこちらを顔を覗き込んでいる。

「どうしたの?楽しまなくていいの?」

迷子にでもなったのだろうかと尋ねてみる。すると少女は少し目を泳がせた後に口を開いた。

「あ、…聞きたい事があって」

「なんだい?」

やはり迷子か、そう、早合点する。

「もし、下手をして、あそこに落ちたらどうなるんですか?」


……⁉︎

思わず眼を見開く。…まさか、休暇中にイレギュラーに出くわすとは思ってもみなかった。真っ直ぐこちらの目を覗き込んでくる少女の顔を見てふう、と溜息が洩れる。一瞬少女と自らの顔が重なって見えた。

「さぁ、誰も知らないさ」

「……」

そう答えても、目の前の少女は何も言わずにこちらをじっと見つめてくる。まるで、俺が何かを知ってる事を確信しているかの様に。

……従業員規定第18項、感情面特殊個体(以降イレギュラーEと呼称)を発見し次第、処分、その旨を報告せよ。

考え込む様な素振りをしながら、煙草をポトリと床に落とす。

「でも一つ、確かなことがあるんだ」

「何ですか?」

さりげなくジャケットの内側のサスペンダーから小ぶりのハンマーを手に取った。

「あそこに落ちた人は帰ってこないし、帰ってこれない。他の所で下手をした人もね、あの暗闇に落ちるそうだよ」

このぐらい、最期に教えてやっても良いだろう。

「でも、下手をする人なんて、居ませんもんね」

彼女は何かに縋るように尋ねた。

「……そうだね。知られなければいないも同然さ」

あぁ、気が付かなければ良かったのに。

「それって、どういう……」

「……こういうことさ、お嬢さん」

言いかけた彼女の言葉を遮り、後頭部をハンマーで殴りつける。彼女は驚いた様な表情で体勢を崩した。地面に倒れ込む彼女を先ほどまでもたれていたフェンスと地面との間からあの、暗闇へと蹴り飛ばした。

「え……」

少女は茫然とした表情を浮かべて暗闇に落ちてゆく。


「下手をしたら"死ぬんだよ"」


思わず、口から言葉が洩れた。

小さな呟きだったのにも関わらず、彼女は穏やかに微笑んだ。聞こえて、いたのだろうか。暗いくらい底へと落ちて行く彼女の笑みはまるで憑き物が落ちたかの様に酷くスッキリとしていて、ひどく、美しかった。


男は業務を遂行したにも関わらず、自らに付き纏う背筋が凍えるような寒気と虚無感を投げ捨てるかの様に彼女を殴ったハンマーをあの暗闇へと投げ捨てる。そして、大きな溜息をつき、新しい煙草に火を付けた。暫くフェンスにもたれてふわりと煙をふかしていたが、ふと、あのやけに晴々とした彼女の最期の微笑が頭をよぎる。


「知らない方が幸せなんだよ」


そうポツリと言葉を吐き出す。吸っていた煙草を床に落とし、踏み付ける。床に転がるもう一つの煙草、先程吸っていた物の火はもう、消えていた。そのままゆっくりと歩き出した男は

「周囲に呑まれない察しがいい奴って1番嫌い」

そう、呟いて頭を掻いた。あーあ、報告書書かないとなぁ。そんな、漠然とした思考を巡らせながら、男は従業員用通路の方へと姿を消した。


小さな赤い染みの上で今日も楽しそうな人々の声が遊園地に響いている。

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