友達の思い出はアーカイブ上に

 暗い事情を抱えた友人とは疎遠になりがちだ。弘子の兄、光一も、己の状況が変わり、私とそれまでのように付き合うことが辛くなっていたに違いない。その後、私は何度か、電話してみたり、メールを送ってみたりしたが、次第に返信が滞るようになり、私も積極的に連絡を取ることがいつしか億劫になっていった。

 お互いに現実を知る重みが、思い出を共有する者同士で際限なく増してしまうのを本能的に恐れていたのだった。私は彼に連絡を取らないことで忖度し、彼もそれによって友情という名の枷を一つ取り払うことができたのだ。幾分身軽になって事態に対処できる。

 そして、光一が電話をかけてきたのは重荷を降ろしたからだった。

「…で、あいつ、いつの間にか離婚していたみたいでさ、一人でアパート借りて、暮らしていたみたいなんだけど、生活が苦しくて、食うにも困っていたみたいなんだ。それで、病気になって、部屋で倒れているところを集金に来た業者に発見されてさ、こっちに連絡が回ってきたわけなんだ…」

 まるで絵にかいたような不幸話で、しかも、その主人公が自分のよく知っている人物という、笑えもしなければ、そこに教訓も見いだせない、ただただ暗い、沈鬱な景色が心を支配していった。

 弘子は明るい子だった。私と話しているときは絶えず笑みを浮かべ、楽しさを全身から発散していた。三人で山に行ったこともあった。思い出が蘇る。


 あの時は大して下調べもせずに、適当に目的地を定めて電車に乗ったんだった。僕らは〇〇山という駅で降りた。ハイキングコースがありそうだから、という単純な発想だった。実際それは存在したが、まずバスで30分ほど揺られねばならなかった。地方のバスは悪路でも平気飛ばすので、上下運動が厳しかった記憶がある。

 登山口に着いた。バスの運転手に文句を言いつつも、僕らはこの時まだ元気ではしゃいでいた。しかし、ここからは大変だった。すぐに山頂に着いてそこで食べ物を広げてくつろいで帰るつもりだったが、一向に着かず、時間ばかり過ぎてゆく。吊り橋を渡ったり、鎖を頼りに急勾配を登ったり、思いがけず大冒険になってしまい、僕らは汗だくになっていた。僕と光一は弘子を連れていることもあって、都度下山の相談をしたが、その度に弘子は反対した。途中、光一があまりに長い道のりに嫌気がさして、大声で歌い出した。僕もそれに付き合って音程度外視で歌った。弘子もそれに付き合ったが、歌い慣れている曲なのか、美しい歌声を山に響かせた。すれ違う登山客がギョッとして僕らを見たので、それが面白くて三人で大笑いした。

 なんとか頂上まで着いたが、その後のことはよく覚えていない。下山の道のりはみんな疲れ切って、ほぼ無言で歩いていたと思う。帰りのバスで弘子が気絶するかのように眠り込んでしまい、僕の肩を枕がわりにして寝息を立てていた。光一が何度も何度も自分の肩に眠らせようとムキになっているのがおかしかった。


 彼女が何かについて話すとき、笑うとき、怒って見せる時、その純粋な感情が私の心のポジティブな部分に響いた。一緒にいて楽しかったし、その幸せな気分をもたらしてくれる存在であり続けるのだとばかり、その時は勝手に思っていた。

 その思い出が、今聞いたばかりの暗い沈鬱なイメージと交互に重なって、私は混乱した。どっちが本当の弘子だろう?

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滲色の空 TARO @taro2791

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