SS6話 村に咲くスイセン

 3人を乗せた馬車が村に到着した。

 村は本格的な冬が来る前にいそいで冬支度をする人々のあわただしい雰囲気があった。

 そんな中、村に場違いな豪華な馬車が現れたのだ。村人は何事かと仕事の手を止めて村の入り口に停まる馬車を見ていた。


 馬車から先に降りたロディとナコリナは、注目されていることに気づいて気恥ずかしくなった。しかし続いて降りてきたモリスは、このようなことは慣れているのか村人の注目を気に留めず、ゆっくりとあたりを見回した。


「ああ、帰ってきた・・・」


 モリスにとっては50年ぶりの故郷の村だ。感慨もひとしおだろう。しばらく立ち止まったまま、その空気を懐かしんでいた。


 村に入ったモリスとその従者、それにロディとナコリナ。村では異質の者たちは、村人たちの注目を浴びながらも歩みを止めず、まっすぐに進んでいった。

 モリスの記憶の中の村に比べ、変わったところもあれば全く変わっていないところもある。その変化と、変化のないところをゆっくりと眺めながら村の中に進んでいった。


 冬の訪れを感じさせる肌寒い空気に包まれている村をロディとナコリナも歩く。

 ふと周囲を見渡すと、視界に鮮やかな色彩が目についた。黄色や白、ところどころピンクやオレンジ。よく見ると水辺にたくさんの花が咲いていた。冬に咲くような花はなかなか珍しい。


「綺麗だな。」


 ロディがつぶやくと、それを聞いたナコリナもロディと同じく花を見て、


「素敵な景色ね。何の花かしら。」


と感動したように言った。すると、その声を聴いていた村の老婦人が、彼らに近寄ってきて親切に教えてくれた。


「あれはスイセンだよ。」

「ありがとう。スイセンってこの時期に咲くんですね。」


 ロディが教えてくれた老婦人に感謝した。老婦人は得意そうにさらに言った。


「あの花はうちの村の特産品さ。あの花のおかげで村はだいぶ豊かになった。だからリズばあさんにはみんな感謝してるのさ。」

「リズさん?」


 これから尋ねる人の名前が老婦人から出て来たため、ロディが驚いて聞き返した。


「そうさ。あのスイセンを最初に育てたのはリズばあさんだよ。若いころからずっと育てようと頑張って。苦労しながら少しずつ増やしていってねえ。

 今じゃ村の冬の稼ぎ頭で、スイセンの花や球根の売り上げで村の冬の準備が満足にできるんだよ。それにスイセン目当てで旅人も訪れることもある。いいこと尽くしさ。今では村をあげて育てているよ。」


 老夫人はうれしそうにそう語った。

 モリスが旅立った後、リズは彼を待ちながら村に貢献してきたのだ。スイセンの花を見ているとまだ会った事もないリズのひととなりがわかるような気がした。


 老婦人に礼を言い、ロディとナコリナはすぐにモリスたちに追いついて合流する。

 やがて彼らは村のやや小高い所に立つ1件の家の前にたどり着いた。どうやらそこがリズの家のようだ。

 モリスが扉の前に進み出る。手には小箱が入った小さな包みを持って。

 その後ろをロディとナコリナが続く。2人にはモリスと一緒に家に入るようあらかじめ言われていた。従者たちを差し置いて自分たちが一緒に入っていいんだろうか、とロディは思わないでもないが、依頼主の指示なので不思議に思いながらも従っていた。


 扉の前で立ち止まったモリスは、しかしなかなか扉に手をかけられなかった。様々な思いが彼の動きをためらわせているのだろう。

 やがて、モリスは目を下に落として手に持った小箱を見つめ、そして顔を前に向けた。その眼には決意が現れていた。


 コン、コン、


 モリスのノックの後、やや間をおいて扉が開かれた。

 扉を開けたのは30代くらいの女性で、空いた扉の陰から、外を恐る恐る、きょろきょろと視線をさまよわせていた。


「こんにちは。モリスと申すものです。リズさんは居られますか?」


 モリスは穏やかな口調で挨拶をした。女性が戸惑いながらも口を開こうとしたとき、中から声が聞こえてきた。


「入ってもらいなさい。」


 それはか細いながらもやさしく、それでいて芯の通ったような声だった。

 その声を聴き、女性は扉を大きく開け、モリスは「失礼する」とお辞儀をしながら中に入っていく。


 家に入り、もう一つ扉をくぐると、その部屋のベッドに老齢の女性がいた。女性は我々が来ることを聞いていたのだろう、布団によって作られた背もたれを背に、上半身を起こしてこちらを見ていた。

 

「リズ・・・。」


 モリスは女性の名前を呼んだ後、次の言葉が出なかった。

 リズと呼ばれた女性は、それを見て微笑んだ。


「モリス、遅かったじゃない。」


 それは、昨日約束した時間に遅刻したことをからかうかのような言葉だった。老人とは思えない、まるで少女のようなかわいらしい声で。


「あ、ああ、すまない。お前に会う決心がつかなくてな。」


 モリスがこわばった顔で謝ると、リズも変わらぬ口調で言った。


「おかげでこんなしわくちゃのおばあさんになったわよ。」

「そうだな、すまん。」


 それは何の変哲もない普通の会話だった。おそらくリズの気遣いだろう。50年前と同じようなお互い気の張らない会話をすることで、モリスの緊張がほぐれていった。


「お互い、変わったわね。」

「ああ、年を取った。でもリズは今でも昔の面影がある。きれいだったあの頃の。」

「フフッ、ありがとう。」


 リズがはにかんだように微笑んだ。


「商売は成功したの?」

「ああ、成功した。お前が想像もつかないくらいにな。」

「よかった。村を出た甲斐があったわね。」


 そう言ってリズはモリスを祝福した。リズはどうやら全く恨みや怒りなどないように見えた。

 本当は50年の間、様々な思いがあっただろうし、恨みや怒りもあったに違いない。しかし長い時間を経てそれが全て溶けて消え、今は純粋に再会を喜んでいるようだった。


「俺は、お前にまだ謝らなきゃいけないことがある。」


 モリスがリズに頭を下げる。


「リズに待っていてくれと言いながら長い間帰らず、そしてお前を置いて結婚までしてしまった。だからどんな顔をして会えばいいかわからなかったし、顔を合わせるのが怖かったんだ。本当に済まない。」


 それを聞いてリズはモリスを真っ直ぐに見て言った。


「謝罪はいらないわ。私もあなたを待てずに結婚してしまったもの。そう、お互い仕方のないことだったのよ。」


 リズはそう言うとわずかに視線をそらし、虚空を見つめた。


「・・・実はね、私もあなたに会うのが怖かったわ。」

「え?」

「あなたが帰ってくるのを待てずに結婚して、もし帰ってきたらなんて言われるか、心の奥で恐れていたわ。でも」


 そう言ってリズは視線をモリスに戻すとフフと口元に笑みを浮かべながら言った。


「あなたが部屋に入ってきたとき、その顔話見て分かったの。『ああ、モリスもおんなじ気持ちだったのね。』って、そう感じたわ。」


 それを聞いて、これまで緊張の面持ちだったモリスの顔が崩れ、ようやく顔に笑みが浮かんだ。


「そうか。そうだったのか。・・・お互い、いらぬ心配をしていたんだな。」

「ええ、無駄な時間でしたね。」

「もっと早く会いに来ればよかったよ。」


 モリスとリズは会話をすることで、お互いの心を少しずつ近づけていくようだった。

 少し会話が途切れ、モリスは思い出したように手元を見た。


「これを覚えているか?」


 おもむろに、モリスが手にしていた包みを取りはらって小箱を見せると、リズは驚いたように目を見張った。


「それは、あの時の・・・・。」


 リズは小箱に顔を近づけるようにゆっくりと上半身を前に傾けた。


「ええ、覚えているわ。もちろん、覚えている。」


 リズの目に涙が浮かんでいた。


「これをお前に見せたくてずいぶんと探したんだ。これがないとお前に会う資格がないと思ってな。それで、こんなに遅くなってしまった。」


 モリスはリスに近づき、リズの手にそっと小箱を置いた。リスは懐かしそうに手にした小箱をゆっくりと眺めている。モリスは何も言わずにそれを見ていたが、はっと気づいたようにロディたちを振り向いた。


「そうだ、紹介してなかったな。この2人はロディ君とナコリナさんだ。彼らがこれを探し当ててくれたんだ。彼らは私の、いや我々の恩人だよ。」

「あらあら、そうでしたか。ロディさん、ナコリナさん。私たちの思い出を見つけてくれてありがとう。」


 モリスの紹介でロディとナコリナに顔を向けたリズは、小さく頭を下げた。


「いえ、お二人の思い出の品を見つけることができて、私たちもとてもうれしいです。」


 ナコリナがリズの礼に応えるように言った。

 リズはしばらく2人を穏やかな表情で見つめていたが、モリスに向かっていった。


「2人を見てると、なんだか昔を思い出してしまうわね。あの頃のことを。だから来てもらったのね。」

「ああ、彼らには運命を感じたんだ。お前もそう感じてくれると思っていたよ。」

「でも、こんな美男美女じゃありませんでしたけどね。」

「そうだな。こんな美男じゃなかった。」


 そう言って、二人はくすくすと笑いあった。

 穏やかな会話の中、リズは手に持った小箱のふたを開けた。中を見たリズは少し驚いたような表情で顔を上げた。


「あなたが入れたのは、指輪だったのね。」

「そうなんだ。帰って来た時に、その・・・お前に渡したくてな。今更だけど、受け取ってくれるか。」


 モリスがはにかんだような表情で言った。それは昔言えなかったプロポーズの言葉だったのかもしれない。

 リスはその錆びてしまった指輪を指でそっとつまんで目の前に持ち上げた。


「これを指に填めたら、死んだあの人がヤキモチを焼くわね。」


 リスは指輪を眺めてからモリスを見て、


「だから隠して持っていくわ。見つからないように。」


 と、少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「受け取ってくれるか。・・・ありがとう。」

「プレゼントを貰ったのにお礼を言われるなんて変ね。」

「それもそうだな。」


 二人は再びくすくすと笑いあう。


「私のポピーの種も、無事だったのね。」


 自分のプレゼントである種を目にとめ、リズは懐かしそうな顔をした。


「この種はうちの庭に植えるよ。どんな花が咲くのか楽しみだ。」

「黄色い花が咲くわ。きっときれいだと思うから楽しみにしててね。」


 おそらく2人の脳裏には、一面に咲くポピーの花が見えているに違いない。そしてそこにはおそらく2人が楽しそうな顔をしてたたずんでいるのだろう。ロディにはそんな光景が思い浮かんでいた。


◇◇


 二人の会話は尽きない。

 ナコリナがロディの脇を肘でつつき、そして小声でそっと言った。


「二人っきりにしてあげましょうよ。」


 ロディはナコリナを見て無言で頷き、そして部屋にいたもう一人の女性に目くばせをした。それに気付いた女性はコクリと頷き、静かに扉へと移動していく。それに続いてロディ、ナコリナも部屋を後にした。


 ロディとナコリナは家の外に出て、モリスの執事に


「中では今モリスさんとリズさんが2人で話をしています。我々は邪魔にならないよう出てきました。」


と伝えた。執事は意図を察して表情をわずかに緩め、


「承知しました。」


と穏やかに答えた。


 ロディとナコリナは外でモリスを待つ間、村の景色を眺めていた。

 リズの家は村のやや高いところにあるため、村の低い場所が一望できる。ロディたちがリズの家を出たときに真っ先に目についたのは黄色や白、ピンクなど色とりどりのスイセンの花のだった。2人からはまるで鮮やかな色彩の絨毯のように見えたのだ。

 リズはこの季節には毎日この景色を眺めていたのだろう。そう思うとなんだか羨ましい気分だ。


「リズさんの想いがこの景色を作ったのね。」

「ああ、モリスさんもきっと感じると思うよ。」


 モリスとリズが心行くまで過ごす短くとも長い2人きりの時間、その間ロディとナコリナも美しい村の景色を心行くまで眺めているのだった。

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