SS5話 モリスの過去

「え、オーゴリの出身ではないんですか。」


 てっきりオーゴリの街出身だと思っていたロディ達は意外に思って聞き返した。


「オーゴリはアサラ村に近いことから住むことに決めました。アサラ村の近くに居たいと思ったからです。ですがアサラ村にはまだ一度も帰っていません。まだ、帰れなかったのです。」


 モリスはさみしそうに言った。

 なぜ、とはロディたちには聞かなかった。今からモリスが語る昔話の中に理由があると感じたからだ。


「私は商人になって成功するためアサラ村を16歳で旅立ちました。アサラは貧しい村でした。村にいても次男坊の自分は何もできない。だから外に出て一旗揚げようと決心しました。

 そのころ私には将来を誓い合った一人の女性がいました。名前はリズ。私は彼女を大切に思っていました。彼女も私のことを大切に思ってくれていたと思います。

 しかし私は彼女を残して村を出ました。私は彼女に幸せにするために。商人として成功し、そして彼女を迎えに来よう。自分は必ず成功して見せる、そう信じてました。」


 そこでモリスは言葉を区切って、すこしうつむいた。


「・・・若かった。私は世間知らずだった。世の中そんなに簡単なもんじゃないことは村を出てすぐ思い知らされました。根拠のない自信はあっという間に砕けてしまいました。

 人に騙されて大損をしたり、荷物を載せた船が沈没して無一文になったり、同僚の妬みから濡れ衣を着せられて店を追い出されたり。盗賊に出会って命の危険にさらされたことは1度や2度ではありません。もうあきらめようか、そう思ったことも両手の指に余るほどあります。

 しかし、この道をあきらめなかったのはひとえに村に残したリズがいたからです。彼女のためにあきらめるわけにはいかない。村で待っている彼女のもとに、成功して帰る、それだけを心に刻んで、転んでも立ち上がり続けました。

 やがて私は商売を何とか軌道に乗せ、王都に店を構え、安定した事業を営めるようになりました。

 そのころには、村を出てからすでに30年経っていました。」


 語り疲れたのだろうか、もしくは自分が語った過去を思い起こしているのだろうか、モリスは言葉を区切ったままなかなか続きを語ろうとはしなかった。

 しばらくたった後、おもむろにナコリナが口を開いた。


「その時、村には帰らなかったんですか?」


 ナコリナの言葉を聞いたモリスはフッと目を上げ、そして、ゆっくりと再び語り始めた。


「帰れなかったのです。その時私は一人の女性と結婚していました。リズ以外の女性と、です。だから帰れなかった。」


 モリスはリズ以外の女性と結婚したことで、その罪悪感により村に変えることが出来なくなってしまったのだった。

 

「彼女は行商のころに知り合った、小さな商店の娘でした。彼女は何かと私を気にかけ、寄り添い、私が心が折れそうな時にもいつも励ましてくれました。やがて私の心には彼女が大部分を占めるようになっていました。

 孤独に耐えられなくなった時、いつも彼女はそばにいました。つらい時も楽しい時も一緒になって歩んでくれました。私にとって彼女はもはやかけがえのない人になっていたのです。彼女と結婚したのは、私にとっては必要なことだったんです。」


 つらい世間を渡り歩くには一人では無理だった。心の隙間を埋めてくれる存在が必要だった。そしてそれはリズではなかったのだ。

 そのことをロディもナコリナも非難することはできない。その時その人の事情、心情なんて当事者にしか分からない。第三者がああだこうだと賢しげに論評する資格などないのだ。

 ロディもナコリナも黙って聞いていた。


「しかしどんなに言葉で弁解したところで、それは言い訳にすぎません。私はリズを裏切って別の女性と結婚した。その事実は変えようがありません。

 だから商人として独り立ちできても、リズを裏切った私は今更おめおめと村には帰れませんでした。私は怖かった。リズに会うのが怖かったんです。

 そのまま私は20年近く、王都で商売をしながらもリズのことを気にかけ、アサラ村の事を調べていました。幸いなことにリズも結婚しており、村で穏やかに生活していると聞きました。私はリズが私に縛られることなく幸せであると知って安心しました。けれど、それは私の免罪符にはなりません。そうと知っても私は村に行ってリズに顔を合わせる決心がどうしてもつきませんでした。

 私には村へ帰る決心ができるきっかけが欲しかった。そしてそれこそが、この小箱なのです。」


 モリスはそう言って布に包まれた包みを手に取り、布を取り去った。中にはあの小箱が入っていた。


「この小箱は50年前私が村を出るとき、リズと一緒に埋めたものです。私とリズが小箱に一つずつ何かを入れ、私が村に帰ってきたときに掘り出して開けよう、そう約束して埋めました。埋めた場所を忘れないように紙に書き留め、埋めた場所にはリズが持ってきた苗木を植えました。

 この思い出の箱を探し出せたら、それを持ってリズに会いに行こう、そう心に決めました。数年前私は商売を引退し、オーゴリの街に移住て、この箱を探し始めたのです。」


 モリスは顔を上げて2人を見ながらにっこりと笑った。


「あとはあなた方もご存じのとおりです。探しても探しても見つからなかったこの箱は、あなた方が見つけてくれました。感謝してもしきれません。」


 モリスの昔話は終わった。

 それは2人の想像以上の話だった。故郷に残した恋人に会いに行けない、裏切った自分には合わせる顔がない、でも会いたい。その思いをかなえるきっかけが2人が見つけ出した小箱だった。


 純粋だな、とロディは感じた。モリス自身は自分を裏切り者と思い、自分の罪についての話だと考えているようだが、とてもそんな風には思えない。彼女のことを真っ直ぐに、真剣に思っているからこそ悩み、苦しんでいる、そう感じた。

 そして、この純粋な物語に自分たちがかかわれたことが素晴らしく幸運に思え、ロディは柔らかい満足感が徐々に湧き出て来るのを感じた。



「あの、もし差し支えなければ教えてほしいのですが。」


 ナコリナが遠慮がちに聞いた。


「小箱には、何が入っていたのですか?」


 そこはロディも知りたいと思っていたことだ。モリスは『小箱に一つずつ何かを入れ』たと言っていた。何が入っていたのか、2人は知りたいと思う気持ちを抑えきれなかった。

 ナコリナの言葉にモリスは笑顔のまま小箱のふたを開けて、中を2人に見せるように前に差し出した。ロディとナコリナは前に乗り出すようにして箱の中を見た。

 そこには、錆びた丸い輪っかと、大きさ1mmくらいのたくさんの小さな粒のようなものが入っていた。


「これは、指輪ですか。」

「そうです。この指輪は私が入れたものです。私と同じく年老いて錆びついてしまいました。」


 モリスが笑いながら、しかし悲しそうに言った。彼が入れたものは指輪。おそらく村に帰って再び箱を開けたときに、リズにプレゼントするつもりだったのだろう。


「この小さな粒は何でしょう?」


 ナコリナが不思議そうに尋ねた。


「詳しい者に聞いたところ、それはどうやらポピーの種のようです。」

「花の種ですか。」

「はい。油紙で何重にも包まれていましたので、腐りもせずこのまま残っていたようです。」


 モリスが入れたのは指輪。リズが入れたのはポピーの種。そこには別れ別れになる2人の想いが詰まっていたのだろう。


 蓋を閉め、小箱をもとの布にくるんで袋にしまい、モリスは大きく息をついた。


「この老人の古い話に付き合ってくれてありがとう。おかげで気持ちがだいぶ楽になりました。これまでにないくらいに、軽く。」


 2人に自分の昔話をしたのは、モリスにとっておそらく”懺悔”のようなものだったのだろう。モリスとリズという自分たちの過去の姿をロディとナコリナに重ね、語ると同時に許しを乞うていたのではないか。ロディにはそんな気がした。



 馬車はやがてアサラの村が見えるところまできた。あとわずかで村に到着する。

 窓から見える村の姿を見ながら、モリスはボツリとつぶやいた。


「彼女の最期に、間に合った・・・。」


 ロディとナコリナはその言葉を聞いて目を見開いてモリスを見た。聞こえてきた声の中に『最期』という言葉が含まれていたからだ。

 その視線に気づいて、モリスは馬車内に視線を戻した。


「リズは長く体を悪くしてましてな。今ではもう余命いくばくもないと言う話です。」

「「え?」」


 2人は驚きの声を上げる。今から会いに行くリズはもう死期が近いらしい。目の前のモリスがまだ元気だったのでイメージとしてリズも同じだと思っていたのだ。しかしそうではなかった。

 モリスは2人を見て、首を横に振りながら言った。


「人の寿命は、人がどうこう出来るものではありません。出来るのは、安らかに最期が迎えられるよう見守るだけです。」


 そして、モリスは2人をまっすぐに見て言った。


「彼女の最期の刻に、私に会いに行く勇気をもたらしてくれた2人に、改めて感謝します。」


 そう言ってモリスはわずかに頭を下げた。


 それから馬車が村に着くまで、モリスは何も言わず窓の外の村を眺めていた。

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