第38話 膨れた餅
天国のふもとの駅は、一瞬にしてパニックになった。
ガルルル!!
ツキノワグマの声とはほど遠い、ライオンの様な唸り声。
そして、電車2両分の大きさに変化した白い体は、元のテディーベアの様な可愛らしさを1ミリも残してはいなかった。
一瞬シロクマに見えなくもないが、それよりも“妖怪”という表現の方が合っている気がする。
妖怪は時折苦しむ姿を見せながら、駅のホームを暴れ回った。
「おわぁっ!?やっべ!」
ドッカーン!!
妖怪の足元にいたギンが、踏まれそうになった所を間一髪で避けた。
「バカタレ!潰す気か!!」
ギンは大声で叫んだが、相手の耳には届かなかった。
妖怪は何かを振り払う様に、頭をブンブン振り回しながら駅の建物へ激突した。
ドーン!!
「キャーー!!」
三角屋根が特徴的な建物全体に、衝撃が走る。
突然の事で訳がわからない一般の動物達は、悲鳴をあげながら右往左往しだした。
「オコゼ隊チームAは集合!その他の職員は直ちに避難誘導を開始!」
リーダーらしきオコゼの指示に従って、他のオコゼやネズミの車掌さんなど、沢山の動物従業員が素早く動き始めた。
「ガウ…ガウ…。(ギンさん…何これ…。)」
ギンは、弱々しく喋る熊の方を見た。
地面に倒れている熊は、耳を押さえてゴロゴロともがいている。
「ガウ…。ガウ!(色んな声が…。超うるさい!)」
「大丈夫か熊兄!?あのバカが食べた影響が出ているんだな。」
「?」
「何十年・何百年分の人々の思いが、賛否両論詰まった石を飲み込んだんだ。器がデカくなきゃ正気を保てないよ。そうか、熊兄は人間やった事があるから理不尽に耐性があるんだな?だからまだギリ大丈夫なのか…。」
「……ガウ?(え?なんて?)」
通常であれば普通に声の届く距離である。
しかし、熊の脳内には人々の七不思議石に対する感想が賛否両論響き渡っていた。
そのためギンの声は聞こえず、熊はただ耐えるしか無かった。
「ガウガウ…。(モトクマ…。)」
もがく熊の手に、何かが当たった。
七宝柄の、がまぐち財布だ。
熊は倒れたまま、財布をぎゅっと握りしめた。
どうやら、他人に共感できる優しい心の持ち主は、人一倍他人の負の感情にも共感してしまうようだ。
「(モトクマお願いだ。元のお前に戻ってくれ!)」
モトクマと繋がっている熊は、心の中で必死に語りかけた。
ガルルルルルルル!
鋭い目をした妖怪が一瞬、三角屋根の上から熊を見下ろして動きを止めた。
「お?俺らが分かるのか?」
ギンは、少し期待した声で言った。
〉〉ガオーーー!!〈〈
妖怪は、今までで一番の威嚇の声を出した。
声による風圧が、屋根の上からこちらまで届くほどである。
「だめだこりゃ。」
ギンはペタンと座り込んでしまった。
興奮した妖怪は、まだこちらを睨み続けている。
「やばっ。あの態勢は…。」
「(こっちに飛び降りてくる!?)」
あの巨体で踏み潰されてはたまった物ではない。
しかし逃げようにも、体が本調子ではない熊は、すぐには立てない。
ギンは妖怪をしっかり見据えながら、熊をどう護ろうかと、頭をフル回転させた。
だが、中々いい案が出てこない。
ガルルル!
ギンが固まって動けないまま妖怪はついにジャンプをし、2匹めがけて襲ってきた。
「っく!」
もうダメかと歯を食いしばったその瞬間、妖怪に匹敵する大きさの影が横から表れ、ガブリと噛みついて地面に叩き落としたのだった。
ズドーン!!
「!?!?!?」
一瞬何だか分からなかった。
妖怪は噛み付いてくるものに抵抗し、ゴロゴロと地面を転げ回っている。
「あら?私…アレ知ってるわ!」
駅から避難して遠巻きに見ている動物達の中から、恐怖で震える声が上がった。
比内地鶏である彼女達の脳内に、トラウマになったあの事件が思い出される。
「合体したオコゼさん達よ!」
「ほんとだ。なんか、前の合体よりデカくね?」
「合体に参加している数が多いからだろ?見ろよ。避難誘導終わったオコゼが、どんどん加わって大きくなってるぞ!」
初めはオコゼを振り払おうとしていた妖怪だが、オコゼが大きくなるにつれて動けなくなり、ついにはオコゼに咥えられる格好で持ち上げられてしまった。
グハッ!グハッ!
腹部をオコゼに咥えられている妖怪は、圧迫されて胃の中の物を吐き出しそうになっている。
グハッ!!
ポトッ……。
「あっ!?」
間近にいたギンは、妖怪の口から七不思議石が吐き出されるのを目撃した。
プシューー!!
妖怪の身体から湯気の様な煙が出る。
すると、あんなに大きかった妖怪はみるみる小さくなってゆき、いつものモトクマの姿に戻った。
どうやら気を失っているようだ。
体が小さくなったモトクマは、オコゼの牙をするりと抜けて、うつ伏せに地面に倒れ込む。
「ガウ?(モトクマ?)」
頭の中に響く無数の声が止んだ熊は、モトクマの名前を呼んだ。
「ぷはぁーー!!」
モトクマは大きく息をしながら目覚めた。
地面に突っ伏しながら顔を上げ、周りをキョロキョロ見渡す……。
自分の頭上にいる、巨大オコゼさん。
心配そうにこっちを見ている、ギンと兄ちゃん。
離れたところにとまっている、くまどり電車。
くまどり電車のドアが開いている。
兄ちゃんは、しっかりと切符が入った財布を握っている…。
まだ湯気が出ているモトクマは、最後の力を振り絞って幽霊の尻尾を動かした。
熊との繋がりであるその尻尾はムチの様に動いた。
「ガウ!?(おわっ!?)」
熊はモトクマとの繋がりに持ち上げられ、そのままくまどり電車へ放り投げられた。
ドーン!!
「ガウ…。(痛え…。)」
突然の事で受け身を取れなかった熊だったが、体が頑丈だったため怪我は無かった。
「(ごめんね兄ちゃん。)」
熊の脳内に、モトクマの心の声が聞こえた。
電車内で転がりながらモトクマの方へ目をやってみる。
衝撃のせいでメガネが飛んだため、モトクマがぼんやりとしか見えない。
弱々しく浮遊し、こちらを見ている気がする。
「(兄ちゃんが美しい犠牲を嫌っているのは、一緒にいてなんとなく分かるよ。そんなのハッピーエンドじゃないって言うんでしょ?めでたしじゃないって。何か他に手があるはずだって。でも時間が無いんだ。悪いね。)」
モトクマが心の中で言い終えると同時に、何か大きな影が出てきた。
そしてぼやけて見える白い影が一瞬で隠された。
「え?」
熊は自分の勘違いであって欲しいと思った。
ぼやけた白い影が消える直前に聞こえた、オコゼ達の「確保!」という声。
必死にモトクマの名前を呼ぶ、ギンさんの叫び。
慌てる熊の手に、眼鏡が触れた。
熊はそれに気付き、すぐに眼鏡をかける。
「!?」
熊の目に飛び込んできたのは…。
ほっぺを大きく膨らませて口を閉じている巨大オコゼ。
そしてオコゼの口からは、白い帯状のものが出ている。
プチン!
オコゼが噛みちぎった白い帯状の物は、ちぎれた部分から光を出して消えていった。
そして、どんどんと熊の方へ迫ってくる。
「ちょ!?待ってよ!!」
熊は、導火線の火を消すかの様に帯を両手で押さえるが、止まらない。
光はやがて熊まで到達し、体を包み込んだ。
バタン!
一気に疲れと眠気が襲ってきたのを感じた熊は、その場に倒れ込んだ。
自分の大きな手が、みるみると縮んでいく。
男性は、久しぶりに人間の姿を取り戻した。
「(モトクマ…。ギンさん…。)」
2匹の事を確認するために、男性は倒れたままホームの方を見た。
おかしい。
メガネはかけているはずなのに、視界がぼやけている。
きっと、汗が目に入ったのだ。
ガラガラガラ…。
ガシャン!
くまどり電車のドアがゆっくりと閉まった。
「(もう…限界……。)」
異常な眠気に耐えていた男性のまぶたも、ゆっくりと閉まってゆく。
ガタン……ゴトン……。
ガタン……ゴトン……。
くまどり電車はそのまま、眠った男性を乗せて走り出した。
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