第37話 天国のふもとの駅

「何ぼーっとしてんだよw行くぞ?」


後ろ足で立ち上がったまま紫電車を見ている熊の背中を、ギンはポーンと叩いた。

ギンとしては軽く叩いたつもりだった。

しかし……。


「おわっ!?大丈夫かよ熊兄。」


ギンの何倍も大きいその巨体は、いとも簡単にふらついて倒れそうになった。


「ガオーンw(ちょっとめまいw)」


「!?」「!?」「!?」


3匹が同時に驚いたため、一瞬時間が止まったかのようだった。


「オーン?ガオーン!?(えぇ?何これ!?)」


熊は人間の言葉を喋ることができなくなった。


「やべえな。お前ら本格的に融合し始めてんぞ?」


パニックになりそうな熊の空気をいち早く察したギンが、背中を優しくさすりながら言った。

実は、はざまの世界で動物達が使っていたのは人間の言葉ではなくテレパシーの様なものだった。

それが半分人間だった男性の耳から聞くと、動物達がみな人間語を話している様に脳内変換されていたのだが、今は熊語として理解できているのだ。

本格的に熊になってもギンと話せるのは、テレパシーが公用語であるこの世界ならではだった。


「(急がなきゃ!このままだと兄ちゃんになっちゃう!)ねえ、このままだと兄ちゃんになっちゃう!急いで切り離し作戦の準備に入らなきゃ!兄ちゃん、歩ける?」


「ガウ、ガウガウ。(う、うん。なんとか歩けるから。2回言わなくてもいいよw)」


「え?」


モトクマはギンと目を合わせた後に、不思議そうに質問した。


「兄ちゃん?僕何か2回言った?(かわいそうに。兄ちゃん疲れてお馬鹿さんになっちゃったんだ…。)」


「ガウガウ!(誰がお馬鹿さんだよ!)」


熊のツッコミに、モトクマは驚いた。


「兄ちゃん。僕“お馬鹿さん”なんて言ってないよ?心では思ったけども。」


「え!?」


3人は驚き、また一瞬時が止まった。

いくらテレパシーが公用語のこの世界でも、さすがに伝えるつもりの無い思いは、言葉として相手に聞こえるはずは無かった。


「マジかよ。お前ら頭の中まで繋がり始めてんじゃん!」


想像していなかった出来事で力が入らなくなった熊は、手に持っていた財布をポトリと落とした。






………………。


そんな絶賛混乱中の3匹を、遠くから見つめる影が1つあった。

アナグマだ。


アナグマは今回、モトクマ達の行動には不満があった。

いくら人助けとは言え、いくつもルールを破っている事は事実である。

ここまで乗ってきた電車内では、彼らを黙認しようという空気が流れていたため、なかなか反論出来ずにいた。


しかし、どんどん天界へ近づくにつれ、アナグマは“神様に見つかったらどうしよう”という思いが強くなっていった。

“勝手な彼らが腹立つ”や、“周りが不公平にならないように”という他人への思いからでは無い。

ただ単に“神様からモトクマのグルだと思われて、自分もお仕置きの対象となるのでは無いか”という、恐怖があったのだ。

アナグマはその事を、一つ前の無人駅でコイジイ達に相談してみていた。

するとコイジイからは「車掌達ならともかく、一般客への天罰は無いのではないか」と答えが帰ってきた。

一時は納得したアナグマだったが、紫電車乗車中にまた不安が襲ってきた。

よく考えたら自分は一般客では無い。

モトクマやコイジイと同じ、“夢の解析員”である。

正社員では無いが、依頼を受けている関係者だ。

アナグマの中で再び、“バレたら自分がヤバいのではないか”という思いが膨れていった。


「…他人なんか知らんし。」


天国のふもとの駅で遠くからモトクマ達を見ていたアナグマは、駅の改札口にいるオコゼに向かって歩き出した。


「まって!あなぐまさん!」


小さな子供がアナグマを引き止めてきたが、知った事ではない。


「何でしょうかおチビさん。私は正しい事をしようとしています。」


そう言うと子ダヌキは、何も言えずに固まってしまった。






そんなやり取りがあるとはつゆ知らず、モトクマ達は切り離し作戦の準備を進めていた。






「ガウガウ?ガウ?ガウガウ?(大丈夫かな?ギンさんは、ちゃんと成功すると思いますか?モトクマは痛い思いをしないでしょうか?)」


ホームの物陰に隠れた熊が、隣にいるギンに聞いた。

2匹ともオコゼに見つからないように、伏せの状態になっている。


「こればっかりは、やってみないとわからんなー。」


隠れている場所に転がっている夢のかけらを端によせながら、ギンが答えた。

いつもは自信たっぷりで頼もしいギンも、今回は少し不安げな声色で話す。

熊は、チケットがはみ出ているいつものがまぐち財布を、ぎゅっと握って前を見た。


モトクマが、隠れながら十数メートル先で手を振っている。

手を振りかえす熊との間には線路があり、その上にはモトクマの体である、幽霊の尻尾が薄く長く置かれていた。

この上を神様所有の電車が通る事によって、

どうやっても切れる事のなかった2匹の繋がりを切ってもらうのだ。

神様が所有するものなら、縁切りなど容易い(たやすい)だろう……。


という、予測である。


今更だが熊は、なんて恐ろしい事をしているのだろうと思った。

生きている良い子は真似してはダメだし、もちろん悪い子も真似してはいけない事である。

生きていれば、大怪我だけでは済まない可能性が高い迷惑行為だ。

例えそれが、天国行き志願者だとしても同じである。

駅という公共の場には多くの人がいて、子供がいる場合も少なくない。

一生のトラウマをその場に居合わせただけの人に植え付けて良い権利など、誰も持っていないはずである。

そして、誰よりもショックを抱える可能性のある一番可哀想な者は、実際に電車を操作している運転手であろう。


彼ら運転手は恐らく、大好きな電車を操縦するために難しい勉強や訓練を一生懸命してきたに違いない。

そして毎日沢山の人の命を安全に運ぶという、とてもストレスのかかる重大な仕事をしてくれている。

電車は色々な人が乗る物だ。

通勤通学に使う人。

面接や受験会場に向かう人。

初デートに向かう人。

初孫に会いに行く人…。

運転手は命だけでは無く、人の夢や希望も一緒に運んでいる。

今日も皆んなが会いたい人に会えるようにと。

新しい人生に出会えるようにと。

地域の人を思って、地域に寄り添い、地域の中を走る。

どの運転手さんも、私達のために頑張ってくれているのだ。

その思いを無視して、踏みにじって、線路内に入って良いわけがない。

本当の事故以外、そんな事があってはならない。


以前は電車の事を、ただの冷たい鉄の塊ぐらいにしか思っていなかった。

しかし今は、電車はもっと人間味のある温かい物なのだと理解できる。

中の人は皆、良い人たちばかりなのだ。

もし次に来る電車の運転手さんが、オコゼさんだったとしても申し訳ない。


熊は、ネズミさんの同僚に失礼な事はしたくないという気持ちが大きくなっていった。


「おい、熊兄!!どうした!?」


「ガウ?(え?)」


知らないうちにボロボロ泣いていた熊を見て、ギンが驚いた。

そして、本人も驚いている。


「ガウ?(何でだろう??)」


「熊兄はもう、ほとんど人間要素が無くなっていたのに……。」


動物は、こんな風に涙を流したりしない。


「(兄ちゃんの子供心が、この作戦を嫌がっているんだね?)」


十数メートル離れたモトクマの心の声が、熊の頭に届いた。


「ガウガウ(そうか。俺、嫌なのか…。)」


しかし、やらなければ自分が消えてしまう。

でも、勝手にやれば運転手さんの思いを踏みにじるのではないか。

やっぱり、やめた方がいいのか。

でも、せっかくここまでモトクマが協力してくれたのだから、やるべきではないのか。


……。


熊の脳内がぐちゃぐちゃしてきたため、繋がっているモトクマも混乱し始めた。


ガタン…ゴトン。


気づけば向こうから、電車が迫ってきている。

熊はうつむき、頭を抱えてしまった。


「熊兄!?どうしたんだ?」


「ウォーン。」


「(ねーー!兄ちゃんどうするの?)」


「ウォーン。」


どうしよう、やりたくない。


ガタン…ゴトン…。


電車はもう、すぐそこまで迫っていた。


「ガウガウ(もし失敗したら…。)」


熊はモトクマの方を見た。


「(兄ちゃん?)」


心配そうにこちらを見ているモトクマが目に入る。

ついに熊は、今まで考えないようにしていた想像をリアルにしてしまった。

それは、電車に中途半端にひかれたモトクマが、真っ赤な血を流して痛がっているシーンだ。


「!!!」


急激に熊の息が荒くなっていく。


「おい、どうした熊兄!?過呼吸になんぞ?」


ギンは熊をなだめようと、優しく抱きついた。


「兄ちゃん!落ち着いて!それ、妄想だから!僕の血はまだ赤くないから!!」


モトクマは隠れている事を忘れて、夢中になって熊へ声をかけた。


「そういう事か。」


瞬時に状況を理解したギンはすぐに、体全体を使って熊の目と耳を塞いだ。

妄想に囚われてもがいていた熊だったが、ギンの行動にピタッと動きを止め、我に返った。


「(そう言われればこの妄想は、リアルに欠ける…。気がする。)」


熊はそう心の中で思う事にした。


「良かったー。」


落ち着きを取り戻してきた熊を見て、モトクマは安堵の表情を浮かべた。

これで一安心だ…。



「いたぞーー!!」

「あそこだー!」


突然大きな複数の声が、ホーム中に響き渡った。

驚いたモトクマは、声のする方を見る。

そこには、血相を変えてこちらに飛んでくるオコゼの姿が何十匹といた。

オコゼの向こう側には、こちらを心配そうに見つめる動物達の姿が見える。


「やばい、見つかっちゃった。」


モトクマは隠れていた物にがっしりとつかまった。


「電車が通り過ぎるまでは動かないんだから!」


しかし空を泳ぐオコゼ達のスピードは凄まじく、あっという間にモトクマまで到達すると、力尽くで剥がされた。


「わあーーっ!!」


剥がされたモトクマはそのまま凄い勢いで放り出され、線路の反対側にいる熊とギンめがけて飛んでいった。


「ガウー!(うわー!)」

「どわー!」


その直後、駅のホームに電車が入ってきた。


ガタン…ゴトン…。


3匹が考えた、車輪による切り離し作戦は失敗に終わった。


「ガウガウ?(え、何?どうなったの?)」


目隠しをされていたので何が起きたか分からなかった熊だったが、周りの状況を見てひとつだけ理解できた。


「ガウガウ。(なんか、非常にまずそう……。)」


四方八方にオコゼさん達がいらっしゃる。

熊はとっさに、目を回して地面に伸びているモトクマを掴むと、自分の後ろに隠した。


「熊兄、無理だよ。囲まれてる。」


ギンが落ち着いて、慎重に言った。


「ちょっと君達に聞きたい事があります。我々と一緒に事務所まで来てもらって良いですか?」


オコゼの中の一匹が熊に声をかけた。


「ガウガウ。(いえ、僕達急いでますので…。)」


オコゼ達の怖い顔が、より怖くなった。

熊は苦笑いをしてごまかしてみるが、通用しない。

周りを取り囲んだオコゼはジリジリと距離を詰めてくる。

今にも取り押さえられそうな雰囲気に、お座り状態だった熊は背中をそわせた。


「すごい!自力でここまで来たんだね!?」


熊の後ろに隠されたモトクマが、何やら小声でブツブツ言っている。


「おい、お前~。何言ってんだよ~。」


オコゼに硬い笑顔を向けているギンが、表情を崩さずに小声で聞いた。

なにやらごそごそ動いているような気がする。

ギンはチラッとモトクマを確認した。

見るとモトクマは、熊の背中に隠れながら転がっている石を拾っている。


「見て見てギン!新しい七不思議石の夢のかけらだよ!今回のいしは強いみたい。自力でここまで来てるもん!」


モトクマは小声で嬉しそうに話し、石をギンの方へ見せた。

通常の物よりも、なんだか少しキラキラしている気がする。


「だから何だよ!今はそれどころじゃ……。!?!?!?」


少しイライラモードだったギンが、急に固まった。


モトクマが、七不思議石を丸呑みしたのだ。


「ばか!!お前、すぐ吐き出せ!!」


急に大声になったギンに驚き、その場の全員がギンとモトクマを見た。

ギンはモトクマを乱暴に振り、何かを出させようとしている。


「ちょっとギンさん…。何してるの?モトクマが苦しそうだよ?」


体を丸めているモトクマは、小さい声でウーウー唸っている。

やがてモトクマの唸り声は、どんどん野太くなっていった。


「ガルルルル!!」


「痛ってえ!」


暴れるモトクマに引っ掻かれたギンは、手を離した。

逃げたモトクマの目が、真っ赤になっている。


「モトクマ?」


熊の呼び掛けに、モトクマは一瞬大人しくなり、地面にうずくまった。


「グルルル……。」


熊はそっと背中を撫でようと手を伸ばした。

しかし、その時。


バーン!!


巨大な破裂音が駅に響き渡った。

そして、さっきまでモトクマがいたその場所には、電車2両分ほどの大きさの獣が立っていたのだった。

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