第32話 モトクマの夢
デコピンをくらった男性は、風とプロペラ音でいっぱいの機内へ落ちた。
「兄ちゃん遅いよー!もう皆んな、外に出たよー?」
そう話すモトクマは、風除けのゴーグルをつけている。
「俺、スカイダイビングなんかやんないよ!パイロットさん!地上に戻ってください!」
「Let's try!good luck!」
「外国!?ここ。」
だめだ。
いつの間にかパラシュートを背負った格好をしている男性は、飛行機の奥に引きこもろうとした。
しかし見えない壁に阻まれ、なかなか奥へ行く事が出来ない。
「無理だよ兄ちゃん。仮想空間の端っこより先には行けないって、前教えたじゃん。」
必死に逃げようとしている男性をモトクマは困った様に見た。
男性は一生懸命に手足を動かすが、ランニングマシーンで走っているかのように、前には進めない。
それどころか、ムーンウォークの様に後ろへ下がっている気さえする。
「何で見えない壁が動いているのー!?」
「それは、この夢の主役がどんどん落下して飛行機から離れているからだよ。仮想空間は主役を中心として展開されているんだ。だから、主役が動けば端っこも移動するんだなー。」
そうこう言っている間に、必死の抵抗も虚しく、男性は扉の前まで来てしまった。
「じゃあ、兄ちゃん。行ってみようか!」
モトクマは男性の頭にしがみつき、カウントダウンを始める。
「いっくよー!…3、…2、…1、…発射!」
「発射じゃ、なぁぁぁーーい!!」
モトクマと男性は、ついに外へ出た。
怖すぎる。
目が開けられない。
モトクマが何か言っている気がするが、ものすごい風の音で聞こえない。
モトクマは落ちながら、男性が背負っている1回目の小さいパラシュートを出した。
ググッ。
落ち方が少し安定した気がする。
「兄ちゃん目を開けて!きれいだよ!」
耳に入り込んで大声で叫ぶモトクマの音量に驚いた男性は、ビクッとした後うっすらと目を開けた。
広い空。
どこまでも続く大地。
飛行機の小窓から見る景色とは違う、360度の世界…。
(「すげぇ…。」)
息を呑む美しさとはまさにこの事なのだろうか。
感動と恐怖と強風で言葉も出ない。
バフォン!
モトクマが男性のパラシュートを開いた。
体がうつ伏せ状態から、ブランコ状態になる。
「すごいね兄ちゃん!ここどこだろう?」
「知らん。外国。」
興奮気味のモトクマとは対照的に、顔が空よりも真っ青な男性が答えた。
「すごい。僕、外国飛んでるぅー!これができるのは、渡鳥か人間だけだよね?人間って楽しいね!」
「楽しいか。」
まぁ、確かに。
生まれてこの方外国には行ったことがない男性だったが、行こうと思えば地球の反対側に行けないこともない。
山に住む熊にとっては、夢のまた夢であろう。
モトクマと一緒にいると、人間としての人生がどれだけ驚きと感動に満ちた、楽しいものなのかを気付かされる。
「ねぇー、ギーン!地元の空飛ぶ夢のかけら無いのー?」
モトクマが、藍色電車にいるギンに向かってリクエストした。
「無いわ、んなもん。」
声の届かないモトクマに向かってギンが答える。
「ねーねーギーン!聞いてるー?無いのー?秋田。」
男性の頭をバンバン叩きながら、モトクマが催促した。
「痛えって。」
男性は片手でモトクマを掴み、自分の頭から引き剥がした。
「何で罰ゲームでリクエストしてんだよ。秋田でスカイダイビングできる場所なんて無いんだから。海の方の寒風山(かんぷうざん)にパラグライダーできる所があるけどさ。そう都合よくギンさんが夢のかけらを持ってるはずが…。」
男性がそう言いかけると、途端に周りの景色が一気に変わった。
海が見える丘が足元に広がる。
よく見ると、丘には今まさにパラグライダーで空へ飛び立とうとしている人達が見えた。
「え、寒風山??」
「さすがギン。兄ちゃんもナイス降りだったね。打ち合わせしてたの?」
「いや、してないから。ギンさんの無茶振りに対する対応力の高さコワッ!」
さすが、できる男は違う。
もし会社の先輩に彼がいたら、とても頼りになるだろう。
「よし、兄ちゃん。このまま森吉山に行こう!」
モトクマが男性につかまり、遠くの山を指した。
「このままは無理だって。こっから50~60kmはあるもん。仮想空間の壁で行けないでしょ。」
「もー、わがままだなー兄ちゃんは。仕方ない。…ギン。なんとかして!」
「「わがままはどっちだよ!」」
ギンと男性の心の声がシンクロする。
ギンはため息をつくと、沢山の星の絵が描かれている石を窓際にセットした。
グイィーン!
男性とモトクマの体が一気に加速する。
山を越え、田を越え、また山を越えて…。
2人がさっきまでいた寒風山(かんぷうざん)は、あっという間に小さくなっていった。
「あ!見て兄ちゃん。あれ、森吉山だよ!」
「あぁ、あのスキー場がある山?」
男性は手を額に当て、遠くを見た。
秋の紅葉が見事に色づく山で、スキー場のゴンドラが動いている。
森吉山のゴンドラは、登山客のために秋も動いているのだ。
「みんな、ヤッホー!!」
ゴンドラに近づくと、中にいる登山者に向かってモトクマが声をかけた。
超スピードで移動しながら全力で手を振るモトクマに、登山客は戸惑いながらも手を振り返す。
「あれ?森吉山すぎちゃった。」
「なんかスピード上がってね?この夢のかけらって、テーマ何?」
さらに2人のスピードが、どんどん上がってゆく。
そして、高度もどんどん上がっていく。
「え、まさかこのまま…?」
男性とモトクマはそのまま、大気圏外へと出た。
「すんごーい!宇宙だぁー!!」
興奮して喋るモトクマの声がこもっている。
見るといつの間にかモトクマは、小さな宇宙服を着ていた。
そして、モトクマの宇宙服から延びたコードを目でたどると、男性が着る宇宙服へと繋がっている。
「え、何コレ!?…カッケー!」
男性は、いつの間にか着ている宇宙服を見ようと、からだをくねらせる。
「きっとこの夢は、“宇宙に行きたい”だね。」
2人の側を浮遊するスペースシャトルの窓からは、目を輝かせた男の子の顔が見える。
「きっとあの子だ。素敵な夢だね。」
男の子を見て、優しい笑顔でそう言うモトクマ。
「なあ、モトクマ。モトクマは夢とかって無いの?」
男性がなんでもない風に話を切り出した。
電車でギンと話してからずっと気になっていた事を、ここで聞いておかなければならない気がしたからだ。
いや、本当は心のどこかで赤色電車に乗った時から気になっていたのかもしれない。
自分が考えないようにしていただけなのかもしれない。
「夢?あるよ!僕は人間になりたいの♪」
「ですよね。」
まずは、予想通りの解答が帰ってきた。
「あのさ…。今更なんだけどさ。人間界行きの電車に乗ろうとしてるじゃん?俺。…モトクマが持ってるその切符って、お前のなんだろ?お前もしかして、人間に生まれ変わる予定だったりする?」
聞いてしまった。
何と返ってくるのだろうか。
答えを聞くのがとても怖い。
もしイエスだった場合、どうしたらいいのか。
自分は、他のお宅の赤ちゃんに産まれる予定だったモトクマを差し置いて、生き返ろうとしているのか。
だとしたら、申し訳ない。
しかし、申し訳ないと言う気持ちを持つ事自体が、自分の家族に対しても申し訳ないとも思う。
人間界に自分を待つ人がいるのは、こちらも同じである。
「……。兄ちゃん、僕の切符使うの気にしてるの?」
男性の気持ちを察したモトクマが、なるべく明るい声で喋った。
「気にしなくていいんだよ、兄ちゃんはw僕はまた次の機会まで、待てばいいだけだもん。でも兄ちゃんは、うかうかしてると本当に死んじゃうんだよ?僕より兄ちゃんを優先するべきだよ。」
モトクマが男性の体を、優しくさすった。
「それに、これは僕がやりたくてやっている事なんだ。ぜんぜん我慢なんてしていないんだよ?」
“我慢していない”という単語に引っかかった男性が、モトクマをじっと見た。
「え、やだなーホントだよ?嘘じゃないよー?」
男性の表情を見て、モトクマが慌てて続けた。
「人間って不思議なくらい愛情が深いよね。自分の群れだけじゃなくて、他の種族まで助けちゃうし。会ったことのない人のために行動できるでしょ?未来の子孫が生活しやすいように、研究したり、伝えて残したりするでしょ。そう言う所、とても素敵だと思うんだ。他の生き物じゃ、なかなか出来ない事だよw」
確かに。
普段忘れがちだが、人間は産まれた瞬間からすでに、過去に生きていた多くの人に支えられている。
「そう言う所、本当に人間ぽいって思うんだ。だから僕も真似する事にしたんだよ。」
「真似って何を?」
「自分と関係ない人を助けるっていう習性の真似だよ!…まぁ、兄ちゃんはもう友達だから“関係ない人”ではないけれども。」
“もう友達”というワードに、男性はなんだか恥ずかしくなった。
「兄ちゃんを助けると、会ったことのない兄ちゃんの家族も助ける事になると思うんだよね!それって僕、超人間ぽくない?」
モトクマは嬉しそうにクスクス笑った。
「だから僕は、今夢を叶えている最中なんだよ。兄ちゃんが心配する事なんて、何もないのさ~♪」
モトクマは無重力空間を利用して、クルクル回りながら言った。
「……。ありがとうモトクマ。」
男性はもっと、胸の中いっぱいに広がる感謝の気持ちをモトクマに伝えたかったが、どう伝えたらいいのかわからなくなった。
「本当に…ありがとう。」
あたりが白い光に包まれていく。
「時間だ!電車が駅に停まるね。兄ちゃん戻るよー。」
「うん。」
結局、自分達の繋がりをどう切り離すのかまでは聞けなかった。
モトクマが、最初から自信満々で“人間界に帰す”と言っているからには何か秘策があるのだろうが…。
(「もし切り離しに失敗しても、モトクマだったら人生を渡すのもいいかもしれない…。」)
希望はまだ捨てたくなかったが、万が一の時はそれもまた楽しそうな気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます