第7話 昔話を実行せよ!
鮮やかな黄緑色の原っぱを、メガネをかけたツキノワグマが全力疾走する。
熊といえばのそのそトコトコ歩いているイメージだが、実は普通に犬みたく走れる。
男性は、風でビラビラしながら絶叫するモトクマを引っ張り、馬の飼い主がいる小屋まで来た。
止まる時に慣れない巨体へ急ブレーキをかけてみたが、結果的に一回転する事になった。
「スカイダイビングってこんな感じなのかなぁ~?」
モトクマに元々あった寝癖が、さらにひどくなっている。
「あ、あの…。はぁ。すみませーん!」
男性が、ぜーはー言いながら小屋に向かって声をかけた。
「はーい、どちらさんですかー?」
飼い主が中で答えた。
「あ、やべ。俺今熊だった。」
このまま人間の声を出したら驚かれるだろうか?
まさか、銃で撃たれるなんて事はないだろうな。
いったん隠れた方がいいだろうか?
とか考えている間に、飼い主が馬につける綱を持って小屋から現れた。
「お?熊か。なんの用だ?」
飼い主は驚く事無く、まるで人間と話すかの様に聞いた。
冷静な飼い主とは対照的にうろたえる男性を見て、モトクマが耳元でささやく。
「昔話で動物がしゃべり出すのは普通だから、その事に関して登場人物達は不思議に思わないんだよー。(小声)」
そういうもんなのか。
とりあえず話を切り出さなくては。
「えっと…。馬を連れ戻すお手伝いをさせてください!あと5分しかないので!」
「え?5分?お前さん、忙しいんだったら、無理に手伝わなくても…。」
「いえ!5分で別の世界に帰りますが、その前にあなたを助けてから帰ります!よろしいですか!?」
なんか、圧がすごい。
よく分からないが、断ると可哀想な気がする。
空気を読んだ優しい飼い主は、手伝うことを許可した。
「んじゃまぁ…。この綱はお前さんに預けるんて。」
「ありがとうございます!では、私が馬を集めて来ますので、ご主人は品評会会場へお急ぎ下さい!」
「お、おう…。んだか。せば、まんず先に行って受付してるんて。」
「はい、では後ほど!」
そう言うと、男性は3頭分の綱を口にくわえ、馬達が逃げた方向へと走って行った。
その様子を見た飼い主は、首を傾げながら呟く。
「5分で人助けをした後に別世界に帰らなきゃいけねぇとか…。あの熊は、ヒーローか何かなんだべか?」
だとしたら、とりあえずサインは貰っておかねばなるまい。
「おっ母!うちに色紙あったべか~?」
飼い主は品評会会場へはまだ行かず、家の中へ入って行ってしまった。
そんなマイペース飼い主の考えなどは梅雨知らず、モトクマと男性は少し大きな道に出た。
すると男性は、くわえた綱を一度置いて、モトクマに確認する。
「お前、どこまで高く飛べる?上から見渡して探せないか?」
するとモトクマは、右手のグーを左手のパーにポンッとおいて、なるほど!と言うと、手を前に組んで、姿勢を正した。
「モトクマ、上へ参りま~す!」
そう言うと片手を上に向けて、少しのブレもなく垂直に上がってゆく。
「ピンポーン!8階です。ガシャン。」
手で、エレベーターの扉が開く真似をすると、そこを抑えて顔を出す様に周りを見回した。
「どうだー?馬見えるかー?」
男性は口に手を当てて、大きな声で聞いた。
「よくわかんないやー!もう少し上から見てみるー!」
モトクマは顔を引っ込めて、扉が閉まるジェスチャーをした。
ボタンを押して「上へ参ります」と言うと、さらに上へ垂直に上がってゆく。
「ピンポーン!15階です。ガシャン。」
モトクマは、また顔を出すジェスチャーをした。
「時間ない、つってんのにアイツ…。人間オタクめ。」
正直ふざけないで真面目にやって欲しい男性だったが、強くは言えない。
なぜなら本来の目的は、モトクマを満足させて成仏させる事だからだ。
それと、ああ見えてモトクマは優しい奴だ。
俺の不安を、少しでも和らげようとしてくれているのかもしれない。
すぐ怒ってしまいそうになるのは大人の悪い癖だ。
…いや、むしろ、まだ大人になれていないという事なのかもしれない。
「あ、いたよー!馬見えたよー!」
モトクマが手を振って合図するが、風にそよぐ木々の葉の音で、声は届かない。
「えー?なんてー?聞こえない!」
男性は耳に手を当てて叫ぶ。
声が聞こえていないと分かると、モトクマはエレベーターで下まで降りてきた。
「ピンポーン!1階です。ガシャン。」
「どう?」
時間の無い男性は、なるべく短く聞く。
「品評会会場とは逆の方向にいたよ!川・畑・道端の三カ所。」
男性は綱を咥え、会場とは逆方向に四つ足で早歩きをする。
「三頭一気につれてくぞ。一頭ずつだと間に合わない。」
山の斜面がすぐ近くにある道端に、一頭いるのが見えた。
2人は見つからないように茂みに隠れて通り過ぎる。
もう二頭をここまで連れてこなくてはいけない。
「そういえば、上から見た時飼い主さんの姿が見えなかったんだけど、ちゃんと会場まで行ってるのかなぁ?」
「……ハクション!…はあ、誰かウワサしてんだべか。鼻水が…。」
飼い主はまだ家にいた。
手に持っているチラシで鼻をかもうとしたが、はっとしてとどまる。
「いかん、これにサインを貰うんだった!…お?て事は、筆が必要だな。」
飼い主はくるっと戻り、玄関へ入っていった。
次の駅到着時刻まであと4分である。
一方、モトクマと男性は、川岸にいる馬の背後にいた。
モトクマのエレベーターからの観察では川と畑にいるという報告だったが、二つの地点はとても近く、ほぼ一箇所と言ってもいい。
2人は陸に上げられているボートの影に身を隠した。
「兄ちゃんよりも小さい僕が、こっそり手綱を付けてくるね!」
「おぉ、頼んだ。」
男性はホッとしながら言った。
自分が行けば、また馬を怖がらせてしまうかもしれない。
そして何より、男性は馬に手綱を付ける方法が分からない。
動物の事は、動物に任せるのが一番だろう。
モトクマはビシッと敬礼をすると、蛇の様にスルスルと馬に近づいてゆく。
そして馬の頭の後ろまで着くと、男性を振り返り、聞こえるはずもない小声と共にジェスチャーをした。
『こ・れ!ど・う・や・る・の!?』
ボートに手をかけて覗き込んでいた男性が、ズルッと滑る。
(「お前も知らんのかい!」)
「???」
何やら気配を感じた馬が、後ろを振り返った。
2人は慌てて隠れる。
「……。??」
馬は2~3歩歩き、川の水を飲み始めた。
「良かったー。見つからなくて。」
男性が胸を撫でおろしているその頃…。
家では飼い主がようやくサインに使えそうな筆を見つけ出していた。
「よがったー。見つけれて。」
飼い主は、家の玄関を出て歩き出した。
…が、すぐ立ち止まった。
「そうだ!品評会の手伝いしてけるんだから、御礼せねばな。ネマガリダケ(鉛筆サイズの細い竹の子)食うべか?」
このタイミングで田舎あるあるの、“おすそ分けしたい精神”が出てしまった。
飼い主は、また家の中へと消えていった。
次の駅到着まで、あと3分の出来事である。
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