第7話 幽霊の噂
臨に引っ張られるようにして、僕は通りを歩いていた。
家まで帰るのはつらいし、臨の家まで行くのも辛いので僕は病院の仮眠室で休むことにした。
もちろん真梨香さんと院長に一言メッセージを送ってからだ。
臨が壊した電子錠は直されており、僕は持っているIDでロックを解除し中に入る。
臨は室内の灯りをつけ、僕をベッドの上に放り投げたあと言った。
「紫音、飲み物いる? 買ってくるけど」
「じゃあほうじ茶」
僕はなんとか靴を脱ぎ、うつ伏せになって大きく息をつく。
「わかった、行ってくるよ。念のため、ID借りていくよ」
「あぁ」
そして臨は、仮眠室を後にした。
ひとりになった部屋で、先ほど吸い上げた記憶を思い出す。
化け物は実在するらしい。
じゃあ、この化け物はどこから来た?
やはりあの丘だろうか?
そういえばあの丘、何て名前だ?
僕たちは昔からあの丘を「裏山」と呼んでいた。
でも大人たちは違う名前で呼んでいたと思う。
何だっけ……?
「なんか変な名前で、だから僕、憶えてないんだよな……」
思い出そうにも思い出せず悶々としていると、扉が開く音がした。
ペットボトルをふたつ抱えた臨はベッドのそばまで来ると、床に座り込み僕にほうじ茶のペットボトルを差し出した。
「ほら、買って来たよ」
「あぁ、ありがと」
ペットボトルを受け取った僕は、ゆっくりと身体を起こす。
そしてふたを開け、ぐびぐびとお茶を飲む。
そうだ。覚えている間に吸い上げた記憶の内容、書いておかないと。
「臨」
「ん……何?」
「僕のバッグ、取って?」
「あぁ」
ベッドにもたれかかる臨は、床にぽい、と僕が投げたトートバッグに手を伸ばし持ち手を掴んだ。
「はい」
「ありがと」
僕はバッグを受け取り、中からルーズリーフと下敷き、それにシャーペンを取り出す。
そして僕は今日吸い上げた記憶の内容を書きだしていった。
できる限りメモ書きし、べつの紙に絵を描く。
やばい、思い出しただけで気持ち悪い。
白い耳と、大きな尻尾。それに、大きな赤い口……
こんなのに会ったら、そりゃあダッシュで逃げるだろう。
僕が描いた絵を臨が覗き込んでくる。
「見た感じ、昨日の絵の人と似てるかな……?」
「たぶんな。あとはこいつの正体が何かってことだ」
いったい何者なんだろう。
あのマリアさんがこいつを見た道をまっすぐ行けば丘にたどり着く。
公園はこちらから反対側にあり、行ってもただうっそうと茂る林があるだけだ。
けもの道があり、山頂に通じる道はあるけれど。
そして、山頂は見晴らし台になっているのでちょっとした散歩にはちょうどよく、休日には多くの人が訪れる。
山、と呼ぶには小さなこの丘を、親たちは何と呼んでいたっけ?
「臨」
「何」
「あの病院裏の丘……裏山って僕たちは呼んでいたけど、親たちはなんか別の名前で呼んでなかったっけ?」
「え? あぁ、そう言えば何か名前で呼んでいたような……」
子供の頃、小高い丘は僕たちにとっては大きな山で、探検ごっこをよくやった。
親は余りいい顔をしなかったような気がするけれど。
臨は、買ってきたカフェオレを飲み、首を傾げた。
「てんこ……? とか言ってたような気がするど」
「てんこ……あー、なんかそれかも」
でもなんでてんこなんだろうか?
「子供の頃は知らなかったけど、あの丘に幽霊が出るって噂あるの、知ってた?」
「知らない。幽霊なんていないから」
臨の言葉を僕は全力で否定する。
子供の頃必ず流行る、七不思議とかオカルト話。
どこどこの街灯下に佇む黒い影だとか、教室の黒板から人の顔が出てくるとか、噂はいくつも耳にしたことがある。
でも僕はその詳細について一切知らない。
だって、怖いから。
僕の反応を見た臨は、苦笑を浮かべてカフェオレをまた口にする。
「だよね。紫音、いつもそう言う反応だもんね。SNSで噂話を調べていたらいくつか見つけてさ」
笑顔の臨に対して、僕はげんなりとした気持ちになる。
「なんだよ、それ」
「なんか、あの丘の、獣道から少し外れたところで女の幽霊が出るんだって」
女の幽霊。
化け物、じゃなくて幽霊……この化け物と何か関係あるんだろうか?
「なんでも泣きながら『お願いを聞けー』って追いかけてくるとかなんとか」
「なにそれ怖い」
お願いを聞けって追いかけてくる幽霊……なんだそれ。
「追いかけられた、ていう話、ちらほら出てくるんだよね」
「マジかよ嘘だろ。だって幽霊なんていねーんだから」
そう、僕は強く否定する。
幽霊はいない。そう、幽霊はいないんだってば。
「その化け物の存在は信じてるんでしょ? なんで幽霊は信じないの?」
苦笑しながら臨が言う。
「化け物と幽霊は違うだろーが」
「そうかなあ」
不満げな声で言う臨に対し、僕は何度も頷いて見せた。
「僕が違う、って言ったら違うんだよ。で、その話するってことは、あれか? この化け物と関係あるって、お前思ってんの?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。調べてみる価値はありそうだけど?」
そう言われ、僕は腕を組む。
幽霊がいるかどうか確認するって……いや、幽霊なんていない。いないから確認なんて必要ないんじゃないのか?
「いないものを確認する必要なんてない」
「いないならいないで別にいいじゃないの。だって、いなければ何もいなかったで終わるから。紫音、猫殺しの犯人、捕まえたいんでしょ? 手がかりが少ない以上、考えられる可能性は全て確認した方がいいと思うよ?」
そう言われると、僕は何も言い返せず頷くことしかできなかった。
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