第6話 別の目撃者
臨が不審な人物を目撃したという女性にメッセージを送って約束を取り付けた、と言うので翌日の夕方、僕たちは一か月前に化け物を見たと言う女性に会うことになった。
相手はモデルとしての臨を知っている人で話は早かったらしい。
夕暮れの中、約束の場所である目撃現場に向かう。
時刻は五時を過ぎたところだった。
「普段から、オカルト好きだって言っていて良かった」
「その情報初めて聞いたぞ僕」
「だって紫音、そう言う話、嫌がるじゃない? だから遠慮してるんだよ」
なんて言われてしまった。
確かに僕はオカルトは好きじゃない。
お化けなんていない。
そう信じて生きてきた。
「お化けなんていないからだよ。だから嫌いなんだ、オカルトは」
「人の悲しみや痛みの記憶消せる人の台詞? それ」
「関係ねーよ。だって、僕の能力は現実に存在するからな。でも幽霊はいない。妖怪だって化け物だっていないんだよ」
語気を強めて僕が言うと、臨は声をあげて笑った。
「ははは。じゃあお前が見たの何なの? あの獣は」
「知らない。だから調べるんだろ? 少なくとも猫が襲われてるのは事実なんだから」
この目で相手を確かめれば、それはわからないものではなくなる。
化け物がいるかいないかの結論は、当該人物を確認してからでも遅くないだろう。
僕はそう決めた。
だから今言えるのは、化け物なんていない、だ。
約束の時間は五時半だと言っていた。
病院の近くにあるコンビニの裏手。そこが今日会う女性が、例の人物を見かけた場所らしい。
街灯も少なく、夜になれば人通りも殆どないだろう。
今は大学関係者と思しき大人の姿が少々あるだけで静かなものだった。
ここから七分ほど歩けば例の丘がある。
僕は数百メートルほど離れた場所にある丘へと目を向けた。
丘は、暗い、ただの真っ黒の塊だった。
あの場所に何かいるのだろうか?
隠れるにはちょうどいいと言えばそうかもしれない。
「……嘘、本当に戸塚臨……さん?」
甲高い女性の声が聞こえ、見ると明るい茶髪の女性がこちらに向かって小走りにやって来た。
膝丈のチェックのスカートに、胸元が大きく開いたカットソーにパーカーを羽織った、ちょっと派手目な女性。
確か大学三年生だと言っていたっけ。
彼女は臨の前まで来ると、口に手を当てて言った。
「やっばーい! 本物だ、超やばい!」
「こんばんは、マリアさんですね?」
臨が言うと、彼女はスマホを片手に握りしめ、うんうんと、何度も頷いた。
「魔驪婭よ! びっくりしちゃったー! あの臨さんからDMくるとかまじ信じらんなくて」
彼女はSNSで「魔☥驪☥婭✩」と名乗っていて、見たことのない漢字が並んでおり僕には読むことができなかった。
いったいどこからこんな画数の多い漢字、見つけてくるんだろう?
マリアさんは持っていたトートバッグから雑誌を取りだし、付箋のついたページを開いて見せてきた。
「これ! この広告のやつ超かっこいい!」
それは、臨がモデルとして使われた香水の広告だった。
黒いパンツに黒いワイシャツ。ボタンはひとつしかしめておらず、胸元が見えている。
そして手に香水瓶を持ち、ボトルに口づけている。
こいつ、こんな仕事もしてんのかよ。
俺と同じ高校生だよな、こいつ。
これけっこう有名なブランドだし、僕でも知ってるぞ。
臨は微笑み、首を小さく傾げて言った。
「ありがとうございます。サイン、ご希望でしたよね?」
「そうそう! これ、ここのページに書いてほしいの!」
言いながら彼女は、バッグからペンを取り出す。
そのページが全体的に黒いためか、彼女が出したペンは白だった。
このためにわざわざ買って来たのか?
臨はペンと雑誌を受け取り、さらさらとサインを書き、日付と彼女の名前を入れた。
こいつ、サインなんて書くのか……初めて見たぞ。
こいつと知り合って十年以上経つのに、知らないことが多い。
マリアさんは満面の笑みを浮かべ、サインが入った雑誌を受け取り、真っ白な紙をページに挟んだ後それをビニール袋に入れ、大事そうにバッグにしまった。
「それで、貴方がみた不審人物の話なんですけど」
「そうそう! あれ、超やばかったの!」
と言い、彼女は不意に臨の手を掴んだ。
臨なら避けられただろうに、彼は避けようとせず、そのままマリアさんに引っ張られていく。
「こっちこっち!」
と言って路地を進んで行く。
五時半を過ぎ、太陽は沈み切ってしまい闇が辺りを支配する。
街灯は少なく、非常に暗い通りを彼女はどんどん丘がある方へと進んで行った。
「ここ、うちへの近道で、わりとよくとおるんだけど、あの日……夜中の一時過ぎだったかなあ、飲んで帰る時に見たの」
そして彼女は、角にある街灯の下で止まる。
この道は、車がどうにかすれ違えるかどうか、という幅しかなく、歩道がない。
彼女はアスファルトの地面を指差して言った。
「ここをあの女が通って、それで顔が見えたの! すっごい口が大きくて、耳が生えてて、大きな尻尾が生えてて……」
そこでマリアさんはぶるり、と震え、怯えた目で臨の方を見た。
「こっちを見てにやっと笑ったんだけど、口が真っ赤で、怖くなって私……走って逃げた」
マリアさんの声は徐々に震えていき、涙目になっていく。
そんなに怖かったのか。
「誰に言っても信じてもらえないし……でもあれ、絶対夢じゃないし、酔ってたけどでも……」
涙声で言いながら、彼女は指で目元をぬぐう。
ここをまっすぐ行くと丘がある。
あの丘に、何か住んでいるんだろうか?
「大丈夫ですよ、マリアさん。怖かったのに、話してくれてありがとうございます」
優しい声音で言う臨が、なんだか気色悪い。
「え、まじで信じてくれるの?」
「えぇ。僕たちはその化け物の事、調べてるんです。同じころに、猫の惨殺死体が発見された話、ご存知ですか?」
臨が言うと、彼女は目を大きく見開き、こくこく、と頷いた。
「知ってる知ってる、学校でも噂になってて、あれ、昨日も大学で見つかったんでしょ、猫の死体……」
「えぇ。そうらしいですね」
「え、もしかして、私が見たやつがやった……?」
完全に怯えた声でマリアさんは言い、臨の手を両手でがしり、と掴んだ。
「私ももしかして、殺されちゃう……? だって私、見ちゃったし……」
「大丈夫ですよ、マリアさん」
微笑んで臨は言い、彼女の肩にそっと手を置く。
「怖い想い出は忘れることができますから。だって生きていくうえで、必要ないでしょう?」
そして臨は僕の方へ、ちらり、と視線を向ける。
あぁ、これは、僕に彼女の記憶を吸い上げろ、って言いたいのか。
まあ、そうすれば彼女が見たものと、昨日のあの大学生が見たものが一緒かどうか裏付けが取れるもんな。
僕は、失礼、と声をかけ、震えるマリアさんの頭に触れた。
「え……、あ……」
戸惑いの声を上げるマリアさん。
同時に僕の中に、彼女が見た化け物の記憶が流れ込んでくる。
飲み会の帰り道。
駅前の店からここまでしっかりとした足取りで、スマホ片手に歩いてきた。
コンビニの裏手に入り、暗いこの通りを足早に進んで行く。
角を曲がる時、彼女は目の端に映った不審なものに気が付き足を止め、振り返った。
街灯の下を横切る、耳に尻尾が生えた女。
その女はマリアさんに気付いたせいか、それとも偶然か、こちらを振り返り、真っ赤な大きな口を見せにやりと笑った。
それを見たマリアさんは猛ダッシュで通りを駆けていく。
そしてアパートの自室に戻りそして、震える手でSNSにあったことを書きこんだ。
僕は彼女の頭から手を離し、その場に座り込んだ。
昨日吸い上げた記憶と、今の記憶。
出てきた化け物はたぶん一緒だと思う。
ひどく汗をかいていることに気が付き、僕はポケットからハンカチを取りだし、額を拭った。
「え、あ、あ、あれ? 私、今……臨さん、私、何話してたっけ?」
まあ、マリアさんの恐怖の記憶は吸い上げたから、それに関わる記憶も消え去ったのだろう。
そりゃあ戸惑うだろうよ。
「貴重なお話、ありがとうございました。じゃあ、また」
「……うーん、よくわかんないけどまあいっか! こっちこそありがとう! 本物に会えてよかったー!」
声を弾ませ、彼女は去って行く。
残された僕はと言えば、吸い上げた記憶を処理しきれずひたすら気持ち悪かった。
夕飯、今日は諦めかな。
「紫音、生きてる?」
声が近くで聞こえるってことは、臨もしゃがんでいる、ということだろう。でも今の僕に顔を上げる気力はなかった。
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