第28話 子猫の退院
あの戦いの後、結衣のチームは解散した。
秋山と秋山派の不良少女たちが起こした一つの事件。
結衣も、咲希も、そして、誘拐された当人であるヒロも、秋山達のことを許した。
けれど、事件の責任をとる形で、秋山をはじめとするチームのメンバーは、警察へ出頭した。
誘拐という、れっきとした犯罪行為。
さらには、咲希とヒロへの暴行。
たとえ犯罪であろうとも、黙秘していれば誰にもバレず、事実そのようにしている不良たちは多い。
それでも、秋山達は裁きを受けることを選んだ。
「けじめをつけたいんだ。もう一度、結衣と一緒に歩くために」
結衣は、それが最善であると判断し、チームを解散した。
単純に、ここまでこじれてしまったチームを一度リセットした方がいいと思った。
それに、この世界で苦しむ誰かの居場所になれたらいいと願い、このチームを作ったけれど……もう、その必要はないかもしれないとも思った。
この事件をきっかけに、それぞれの少女達に新しい道が開ける気がしたのだ。
秋山は、もう心配いらない。
秋山を慕っていた少女達も、今回のことで自分達が暴走していたことに気づいてくれた。
特に、ヒロの言葉を聞いた幸子、香里、美代達の変化が顕著だった。
警察に連行される前、幸子はヒロに聞いた。
「あの子猫、元気か?」
「はい。とても元気ですよ。よかったら、会いに来てください」
幸子は、返事はしなかった。ただ、「元気ならいい」とだけ答えた。
そして去り際に、「……ありがとな。ウチらのこと、わかってくれて。……ひどい目に遭わせてごめん」……そう言って、パトカーに乗り込んだ。
香里、美代も同じようにヒロと咲希に頭を下げて、幸子の後を追った。
そして、入院中にも関わらず病院を抜け出した結衣、激しい暴行を受けた咲希、頭をバットで殴られたヒロは、すぐに病院へ運ばれた。
一番ひどい怪我を負っていたのは、咲希だった。
死ななかったことも、気絶しなかったことも、咲希の意思の力としか言いようがなかった。
運ばれたのは、この街一番の総合病院――つまり、咲希の父親の病院だった。
「……咲希!」
血と怪我に塗れた実の娘を見て、咲希の父は凍りついた。
以前、ヒロの言葉を真剣な受けた時から……咲希の父の心には、変化が起きていた。
はじめて、面と向かって伝えられた事実。
なによりも、咲希を想うヒロの真剣な瞳を、咲希の父は忘れることができなかった。
過行く日々の中で何度もヒロの言葉を反芻し……やがて、「自分は間違っていたのかもしれない」「娘にひどいことをしていた」「しかし、今からどうすればいいかわからない」という反省と後悔の気持ちを覚えるようになっていた。
そこへ、まるで今にも死んでしまいそうな娘が救急車で目の前に運ばれてきたのを見て、父として自然な感情が芽生えた。
「お父さんが、絶対に助けるからな! 咲希!」
咲希の父は、全力で娘の治療を行った。
悲しみと、後悔と、死なせてなるものかという激しい気持ちに突き動かされながら。
そうして、咲希は無事に一命をとりとめた。
その後――当然、咲希は入院することになった。
結衣も引き続き入院することになり、ヒロも同じように入院することになった。
ヒロの家族と友人達は、今回の事件のことを悲しみ、泣きながらヒロと咲希の無事を喜び、全力でヒロと咲希の力になってくれた。
そうして、怪我の治療や事件のことを調査する警察への対応に追われながら、日々はあっという間に過ぎて行った。
🐈
「咲希さん。荷物は大丈夫ですか?」
「ああ。これで全部だよ」
そして、咲希の退院の日。
先に退院したヒロは、毎日咲希のお見舞いに訪れ、世話を焼いていた。
いつの間にか、この病院の医師や看護師さん達と仲良くなっている様を見て、「このタラシ」と咲希からツッコまれたりもしていた。
「……な、なんだよ?」
なぜか、自分をじっと見てくるヒロに咲希は顔を赤くする。
ヒロは、穏やかに微笑みながら答えた。
「よかったです。咲希さんが元気になってくれて」
「……!」
ヒロのあたたかな言葉と笑顔に、咲希の頬が赤くなり、心臓が強く跳ねた。
「……毎日、見舞いに来てたんだから知ってるだろ」
「それでも、です。退院おめでとうございます、咲希さん」
「……おう」
相変わらず、ヒロはまっすぐすぎるので、咲希はついぶっきらぼうな返事をしてしまう。
けれど、その頬は赤く染まったままだった。
「行きましょうか」
「いや、そんくらい持つよ」
「病み上がりなんですから、遠慮しないでください」
「……たく」
悪態をつきながらも、咲希の頬は赤らんでいる。
内心の喜びをまったく隠せていなかった。
ヒロはそのことに気づいていたけれど、もちろん、指摘するようなことはしない。
「それじゃあ――」
こんこん。
その時、咲希の病室のドアがノックされた。
咲希とヒロが顔を見合わせてから、「はい」とヒロが返事をするとドアが開かれ……そこから、咲希の父親が姿を見せた。
「……!」
それだけで、咲希の表情が凍り付く。
どばっ! と、これまで父親から与えられた恐怖の記憶が、堰を切ったように溢れ出す。
それでも、どうしてか……ヒロの表情は、穏やかなままだった。
「行くのか、咲希」
「……ああ」
内心の恐怖を隠しながら、咲希は返事をする。
あの日、病院に運ばれ、父親が自分を治療してくれたことは知ってる。
てっきり、怒鳴りつけられると思っていた。
そう考え、咲希は恐怖におびえた。
けれど、父親は咲希の容体を見に来る時、咲希を叱りつけるようなことはしなかった。
かといって、心配したりすることもなく、何も言葉をかけず、ただもくもくと、咲希の治療に務めた。
「咲希さん」
「――」
ヒロに、名前を呼ばれる。
それだけで、すぐに救いを求めてしまう自分に気づき、咲希は唇を引き結ぶ。
ヒロと父親の間にも、いうなれば、因縁がある。
もしもの時は、私がヒロを守る。
「もう、大丈夫ですよ」
「――?」
あまりにも、穏やかなヒロの声と微笑みに、咲希は面食らい、言葉を失う。
その意味を図りかねたまま、自然と、父親へ視線を向けた咲希は――そこで、信じられないものを見た。
「……!」
父親が……あの、悪魔のような父親が――頭を下げていた。
両足を揃え、両手は腰に伸ばしたまま、九十度の見事なお辞儀だった。
「すまなかった」
「……」
「私は、咲希を苦しめていた。エリスにも、ひどいことをしてしまっていた」
「……」
エリスは……咲希の母親の名前だ。
……これは、夢なのか?
あの、恐ろしい父親が……謝ってる?
私とお母さんに?
「これからは、もう二度と、咲希を苦しめないと誓う。いやなら、家には帰ってこなくてもいい。その代わり、咲希が不自由なく暮らせるように援助はさせて欲しい。今さらだと思うかもしれないが……私に、罪滅ぼしをさせてほしい」
「……」
咲希には、理解できない。
今、目の前で起きている……奇跡が。
「……だよ、それ。……ひくっ、ぅ、な、なんなんだよ」
ぼろぼろ、ぼろぼろと、気づけば、咲希の瞳から涙が溢れ、零れ落ちていた。
「う、う、あ、あああ」
そうして、はじめて気づいた。
自分は、こんなにも、傷ついていたのだと。
こんなにも、我慢していたのだと。
こんなにも……自分のことをわかって欲しいと願っていたのだと。
「咲希さん」
ヒロは、優しい声で、咲希の肩に手を置いた。
咲希は、必死に我慢しようとしても、泣き止むことができなくて……ただ、父親に謝ってもらえたことが嬉しくて、ヒロの手があたたかくて……。
「改めて、ありがとう、水無瀬くん」
泣いている咲希を見て、また、自分の罪を自覚し、胸を痛めながら、咲希の父親は、ヒロにお礼を言った。
「あの日、君が私に伝えてくれなければ……私は、傷ついた娘を見ても、気づけなかったかもしれない。私の目を覚まさせてくれて、本当にありがとう」
「どういたしまして」
咲希が入院している間、ヒロと咲希の父親の間で、何かがあったことに、泣きながら、咲希は気付いた。
そうして、数年間、親子の間にありつづけた確執は、今日この日、消え去った。
咲希の父親は、これからのことについて簡単に話をした後、ヒロとまだ泣いている咲希を送り出した。
「咲希のことを、よろしく頼む」
「はい、もちろんです」
咲希の父親の言葉に、ヒロはためらいなく頷いた。
そんな人の笑顔を見て、咲希の父親も笑顔を浮かべ……咲希はまだ、顔も上げられないくらいに泣いていた。
🐈
「……なあ」
「はい。なんですか、咲希さん?」
それから、病院近くの公園で泣きじゃくり、ようやく泣き止んだ咲希は、ヒロと共に、街の中を歩いていた。
「……」
どうしてこう、ヒロの声は、こんなにも心地いいのだろう?
ヒロの声を聞くたびに、咲希はそう思ってしまう。
本当は、私が泣いていたことは忘れろ……みたいなことを言いたかったのに、そんな気もなくしてしまう。
「……」
いや、確かに、泣いているところを見られてしまったのは恥ずかしいけれど……でも、ヒロだから。
ヒロは、泣いている人を見て、バカにしたりなんてしないから。
それどころか、心配して、あたたかく包み込んでくれる人だから……だから、何も心配したり、恥ずかしがったりしなくていいんだと、咲希は気付いて……なんだか、くすぐったい気持ちになった。
「……咲希さん?」
「あ、いや、その……怪我は、大丈夫かよ?」
「はい、このとおり。咲希さんのお父さんは凄いですね。傷跡を残さないように、治してもらえました」
「……そっか」
落ち着いた今、改めて、さっきの父親を思い返すけれど……夢でも見ていたんじゃないかと思うくらいに、信じられない光景だった。
(……あの父親は、最低なんだ)
医者という社会的な地位と、それを裏付ける能力はあるけれど……あの父親が、母と、幼い自分にしたことは、一生消えない傷跡として、咲希の心に刻まれている。
(……でも、謝ってくれたんだよな)
(そして、ヒロの傷を治してくれた)
そこでちらりと、咲希は隣を歩くヒロの横顔を見た。
(絶対、お前がなんかしてくれたんだろ? 私の、知らないところで……)
「……」
「……」
それきり、咲希は口をつぐんで、何もしゃべらないまま、歩き続けた。
本当は、話したいこと、言いたいこと、聞きたいことが沢山あるはずなのに……どれもこれも、ちゃんとした言葉にはならない。
――。
(……ああ、そっか)
そこで、咲希の中に、とても大きな気持ちが溢れた。
それは、色々な考えを全て吹き飛ばし、たった一つ、咲希の心に、はっきりと生まれた感情。
(……よかった)
今、ヒロは、自分の隣を歩いている。
元気な姿で、生きている。
「……」
入院中、何度もお見舞いに来てもらって、ヒロがもう元気なことはわかっていた。
けれど、こうして、退院して、いつもの道を、ヒロと並んで歩いていることを明確に実感した瞬間……その事実だけで、咲希の頭の中はいっぱいになった。
「……」
あの時、咲希は、ヒロを失ってしまうかもしれないという恐怖に突き落とされた。
ヒロがこの世から消えてしまうかもしれないという恐怖に、咲希は一秒たりとも耐えられなかった。
そんなヒロが、こうして、平和な世界を自分と歩いてくれている。
それが、なによりも、なによりも、嬉しい。
(ああ……くそ)
(……もう、認めなくちゃいけないのかよ)
どうして、自分はあんなにも、ヒロを失うことが怖かったのだろう?
どうして、自分はこんなにも、ヒロといることが嬉しいのだろう?
――どき、どき、どき、どき……。
「……」
咲希は、右手で、胸のあたりの服を掴む。
服がしわになってしまうのもかまわず、掴み続ける。
止まらない鼓動が、熱くなる頬が、その答えを、咲希に求めている。
(認めるよ)
(――私は、ヒロのことが好きなんだ)
(――だから、こんなにも……幸せなんだ)
言わない。
言えない。
今は、決して、伝えることのできない想い――
そんな想いを抱えながら、咲希はヒロと並んで歩いていく。
咲希を救ってくれた、あたたかなヒロの家へ。
不良娘が彼氏のために可愛くなるだけの話 千歌と曜 @chikayou
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