第6章 子猫の大切なもの

第26話 子猫の守りたいもの

「待て! ヒロを返せ!!!」


 結衣が助けにきてすぐ、咲希は攫われたヒロを追っていた。


 ガラガラと激しい音を響かせながらヒロの台車を押して移動する不良娘の3人は、焦りと動揺に顔を染め上げていた。


「くそ! どうなってんだよ! なんで結衣さんが来るんだよ!」


「おい、どうする! 逃げるか!?」


「落ち着けよ! 結衣さんは秋山さんがなんとかしてくれる! てか、結衣さんは入院してたんだろ? あの人数に勝てるはずがねえだろ!」


 倉庫と倉庫の間の道をグネグネと移動し、追いかけてくる咲希に向けてドラム缶や鉄パイプなどを投げつけ、邪魔をする。


 しかし、いつまでも逃げられない。


 満身創痍とは言え、台車を押して走っている自分たちの方が不利。


 それならば、覚悟を決めるしかない。


「やるぞ。ウチらで咲希をぶっ殺す」


「……ウチらに勝てるのかよ? 公園の時だって、負けただろ」


「バカ。そのために、この人質がいるんだろ」


 不良少女のひとりは、台車の上で拘束されているヒロを見下ろす。


 そうして、3人は、覚悟を決めた。


「――やるぞ」


 🐈


「はあ、はあ、はあ!」


 ヒロを載せた台車を運ぶ3人が、ある倉庫の中へ入ったのを見て、咲希もすぐにその倉庫の中へ踊りこんだ。


 そして、倉庫の一番奥で、ヒロを台車から降ろしている3人の姿を見て、叫んだ。


「お前ら! ヒロに触るな! 今すぐヒロを返せ!」


「うるせえ!」


「調子に乗ってんじゃねえぞ、咲希!」


「どっちの立場が上か、教えてやんよ!」


 すぐに、鉄パイプを拾った不良少女のひとりが、咲希に襲い掛かってきた。


 全力でコンクリートの地面を蹴り、勢いと全体重を乗せた一撃を、咲希目掛けて撃ち放つ。


「らあ!」


 ガン!


 だが、その一撃は咲希にかすりもせずに、固いコンクリートの地面を撃ちつけ火花を散らした。


 不良少女の目には、その光景がやけにゆっくりと見えた。


 紙一重で鉄パイプを交わした咲希の拳はすでに握りしめられており、それが、自分目掛けて飛んでくる。


「がっ!?」


 顔面に咲希の拳を受けた不良少女は、そのまま吹き飛んだ。


 咲希の身体は小さいが、結衣と共に鍛えた肉体から撃ち放たれる攻撃は、かなりの威力を持つ。


「くっそ、ふざけやがって! おい、咲希! こっちを見ろよ!」


「!?」


 かなり切羽詰まっているのか、不良少女の表情はすさまじいものになっている。


 不良少女は拘束されているヒロの上半身を無理矢理起こし、そして、その首元に鋭利なナイフをくっつけていた。


 その最悪の光景を見て、咲希の身体が氷水を浴びたような悪寒を覚える。


「……やめろ」


 今すぐに怒りを爆発させ、叫びたい衝動を力づくで抑えつけ、咲希は押し殺した声でそう言った。


 そんな咲希を見て少しだけ余裕を取り戻した不良少女は、へっと口元を吊り上げる。


「わかってるよな? 一歩でも動いたら、こいつを殺す」


 ナイフがわずかにヒロの首に刺さり、そこから鮮やかな血が溢れ、一本のスジとなる。


 ざわ! と何もかも忘れてキレてしまいそうになる自分を必死で抑え込み、咲希はぎろりと不良少女を睨みつける。


 そのまま動かなくなった咲希を見て、不良少女はさらに指示を出す。


「おい、やれ! やっちまえ!」


 本当は、彼女は咲希を怖がっている。


 咲希の強さを知っているからだ。


 だから、早く咲希が倒れるところを見て、安心したかった。


「いいか、咲希! ウチらの攻撃に耐えたら、こいつは無傷で返してやる! いいか、抵抗するなよ! ちょっとでも抵抗したら、こいつを殺すからな!」


 不良少女は念を押すように叫び、さらにヒロにナイフを押しつけた。


「咲希、覚悟をしろよ?」


「……」


 最初に倒された不良少女は、今も床にのびている。


 一人はヒロにナイフをあてており、残る一人がバットを手にゆっくりと咲希に近づいていく。


 このナイフを持つ不良少女と、バットを持つ不良少女が、あの夜の公園で咲希にやられた二人だった。


「あああああ!」


 ドガ!!!


 力いっぱい、不良少女は咲希の頭をバットで殴りつけた。


 激しい音が響き、咲希は地面へ倒れた。


「んんんんんーーーーーーー!!!」


 その光景を見て、口を布で縛れているヒロが、涙をこぼしながら声にならない声をあげる。


(!? こいつ、ナイフのこと忘れてんのか?)


 自分の首につけられたナイフを気にせず、暴れようとするヒロを無理矢理抑えつけた不良少女は、慌ててヒロの口元で囁いた。


「安心しろ。本当には殺さねえよ。でも、人質のお前が言うこと聞かねえようなら、マジで殺す」


「――!」


 びくりと体を震わせたヒロは、それきり動かなくなる。ただ、涙を流しながら、傷めつけられる咲希を見ている。


「よし、それでいい。気が済んだら、二人ともちゃんと返してやるよ」


 もちろん、嘘だ。


 不良少女は、咲希を殺すつもりでいる。


 それは、彼女にとっての覚悟でもあった。


 秋山は、凄い人だ。


 必ず、この街で1番の不良チームになるし、さらには、裏の世界でもトップになる人に違いない。


 自分は、秋山にどこまでもついていくと決めた。


 そのためには、人を殺す必要がある。


 裏の世界では、そういうことは日常茶飯事だろうし、それくらいできなければ自分が殺されてしまう世界だ。


 だから、自分は強くななければならない。


 もちろん、人を殺すのは怖い。だが、咲希なら。あのムカつく女なら、殺せる。


 一度、人を殺せば、自分は強くなれる。


 秋山の隣にいることができる。


 そうして自分も、裏の世界で上の人間になる。


「はー、はー!」


 不良少女は、そんな妄想に取りつかれていた。


 故に、彼女は、この場において、絶対に咲希に勝つ必要があった。


 それが、最善の道。


「死ね! 咲希! ああ! らあ! あああ!」


 バットを持った不良少女は、倒れた咲希の腹を思い切り蹴り、その小さな身体のそこかしこを全力で踏みつける。


 そして、無抵抗な咲希をバットで何度も何度も殴り、叫び声をあげた。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 その、悪夢のような光景を前に、ヒロは声を出せないまま泣き叫んだ。


 今すぐに、止めたい。


 咲希を助けたい。


 でも、自分が余計な真似をすれば咲希は殺されてしまう。


 本当に咲希を助けたければ、不良少女の言うことを聞くしかない。


「ーーーーーー! ーーーーーーー!」


 それでも、納得なんてできない。


 ヒロは、泣き叫んだ。


「……はあ! ……はあ! ……はあ!」


 さすがに疲れたのか。


 バットを持つ不良少女は、咲希への攻撃をやめて、荒い呼吸を繰り返した。


「は、はは! おい、咲希! 返事をしろよ! 死んだか!?」


 途中から、ぷくりとも動かなくなった咲希を見て、バットを持つ不良少女は嬉しそうに叫んだ。


「おーい! 返事しろよ! はは、ははははは!」


 爽快だった。


 ずっと、気に入らなかった咲希。


 明らかに、自分たちよりも育ちがよく、可愛くて、自分たちよりも女として上の存在で――自分たちを見下していた咲希。


 その咲希が、死んだ。


「「!?!?」」


 ――だが、喜びもつかの間、不良少女二人を絶望が襲う。


「……、……っ」


 ゆっくりと、とてもゆっくりと、けれど確実に咲希は動き始めた。


 体のあちこちから血を滴らせ、生まれたての小鹿のような動きで……たしかに、立ち上がった。


「……なんなんだよ、お前」


 カラン、と。


 不良少女の手から、バットが落ちる。


 その目は驚愕に見開かれ、ぜえ、はあ、と荒い呼吸が繰り返される。


 だって、ありえない。


 これだけボコられて、立ち上がれるはずがない。


 自分だったら、気絶しているか、死んでいるかしている。


 なのに、なんで――?


「お、い」


「「?」」


 咲希が声を発したので、不良少女二人はびくりと体を震わせた。


 今、二人の心の中にあるものは、恐怖だった。


 理解できないものへの恐怖。


 まるで、ゾンビを前にしているかのような恐怖が二人の全身を駆け巡っていた。


「……お前らの攻撃に、耐えたぞ?」


「……」


「――」


「ヒロを、返せ」


「――うあああああああああああ!」


 衝動的に叫び声を上げながら、不良少女は床に落としたバットを拾い上げた。


 そして、恐怖を振り払うように、再び、咲希目掛けてバットを振り下ろした。

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