第22話 子猫の戦い

 子猫が泣いている。


 今すぐに、その涙を止めてあげたくて。


 もう大丈夫だよと抱きしめてあげたくて。


 なのに、わたしの身体は少しも動かない。


 すぐそばで、大切な子が泣いているのに。 


 やがて、子猫はどこかへ行ってしまう。


「さようなら」という言葉を残して。


 暗闇の中、わたしは必死に手を伸ばし続けた。


 🐈


「よお、咲希」


 そこは、港にある廃倉庫群。


 屋根が崩れ、壁もはがれ、辛うじて原型を保っている廃倉庫の群れ。


 目の前にある海からは大きめの波音が響き、一斗缶の中に焚かれた炎が時折ぱちっと爆ぜながら、暗い夜を照らしていた。


「……秋山さん」


 燃え盛る一斗缶の炎のゆらめきを受けながら、椅子に座った秋山が開いた両足に肘を載せていた。


 その鋭い目は、咲希の心臓を射抜かんばかりにギラついていた。


 秋山の周りには10人ほどの不良少女たちが集い、咲希を逃さないように別の10人ほどの不良少女たちがぐるりと円になって咲希を囲んでいる。


 たっぷりと間を置いてから、秋山はゆったりと口を開いた。


「咲希。今までのことを詫びて土下座しろ。チームに戻ってくるなら、今までのことは不問にしてやる」


 ぴりりと殺気を感じた。


 本当は、咲希を今すぐにぼこぼこにしたいという気持ちを隠そうともしない不良少女たちのものだ。


「何度も言わせんな。わたしはチームに戻るつもりはない。わたしが好きだったのは、結衣姉の隣だ」


「てめえこらあ!!!」


「なに秋山さんに生意気な口聞いてんだおらあ!?」


「ぶっ殺すぞお前ぇ!!!」


 咲希の答えにすぐさま激昂する不良少女たちを、秋山が手をあげることで制した。


「本当にそれでいいんだな?」


「ああ。そんなことより、ヒロを解放しろ」


 ぱち。


 沈黙が生まれ、炎が爆ぜる音が一層強く聞こえる。


「……お前、友達いたのか」


 ぽつり、秋山がつぶやいた瞬間、一斉に笑いが生まれた。


「ぷー!」


「くっくっくっ」


「あはは!」


 咲希が人間関係が苦手なこと。


 チームの中で孤立していたこと。


 結衣の隣以外、居場所がなかった咲希を嘲笑する笑いだった。


「いや、友達じゃねえ」


「は? なら、お前何しにきた?」


 秋山の問いに、咲希は――胸が張り裂けそうな痛みを覚えながら……叫んだ。


「わたしは一人だ!」


 家族に愛してもらえなかった。


 友達なんて、一人もできなかった。


 大切な人は、自分のせいで怪我をした。


 自分に優しくしてくれた人も、自分のせいでこんな目にあっている。


 だから、わたしは一人だ。


 一人でいなくちゃいけないんだ。


「関係ねえ奴を巻き込んでんじゃねえよ!!!」


 いつの間にか、咲希への嘲笑はなくなっていた。


 理由がなんであれ、咲希の叫びに込められた気持ちに、不良少女たちは何かを感じ取り、言葉を失った。


「ヒロはどこだ!? あんたらの相手ならわたしがいくらでもしてやる! だから、さっさとあいつを解放しろ!」


 咲希が、どれほどヒロを想っているか。


 どれだけの覚悟でここまで来たのか。


 それが、痛いほどに伝わってくる。


 元々は結衣を慕い、今は恐怖から秋山に従っている不良少女たちの中には、悲しみに顔を歪ませる子もいた。


 だがそれでも、このチームのトップは秋山。


「くっくっくっ……あはは! あははははは!」


 体を思い切りまげて笑う秋山は、ばしばしと自分の膝を叩いた。


 そうしてまだ笑いも収まらないうちに顔をあげた。


「まあ、わかっててここに来たと思うけどよ。どのみち、お前も、お前の大事な奴も、終わりだよ。わたしに逆らったんだからなぁ!!!」


 ドガ! 思い切り秋山に蹴り飛ばされた一斗缶が派手な音を立てて吹き飛び、炎を散乱させた。


「やれ!!!」


「「「「おおおおおおおお!」」」」」


「くたばれ咲希いいいいい!」


「ああああ!」


 秋山の怒号と共に、不良少女たちが一斉に咲希に襲いかかってくる。


 咲希は強く拳を握りしめ、覚悟を決めた。


「おらあ!」


 背後から鉄パイプを思い切り振り下ろしてきた不良少女。


 咲希は左足を軸にして回転しその攻撃をかわすと、すぐさま下段からの拳で不良少女の顎を打ち上げた。


「が!」


 下から顎に強い衝撃を受けた不良少女は白目をむいて気絶し、その場に倒れこんだ。


 その身体を邪魔だとばかりに踏みつけ、別の不良少女たちが次々と襲い掛かってくる。


『いいか、咲希。多対一の戦法はな……』


 壮絶な戦いの最中、結衣の言葉が蘇ってくる。


『まずは相手の陣形を見極めろ。誰が最初に襲い掛かってくるのか、それによって他の奴らの動きがどう変わるのかを瞬時に判断しろ』


 三人中、真ん中の不良少女が鉄バットで殴りかかってくる。


 それにより、両脇にいる不良少女たちの動きに様子見の隙ができる。


 真ん中の鉄バットの不良少女の結果しだいで、その後の動きを決めようとしている。


 もちろん、わずかな時間の隙だ。


 それでも、咲希にとっては十分な時間だ。


 それができるように、結衣に散々鍛えてもらった。


『相手の動き――相手の考えの隙をつけ』


 単純な話。


 人数が多ければ多いほど、同士討ちの可能性がある。


 まして、集まっているのは人間。


 その集団の中には当然上下関係という人間関係が存在し、それはこのような喧嘩においても有効だ。


 まかり間違って、仲間、あるいは自分が恐れる相手に攻撃を当てるわけにはいかない。


 バットで殴るにしろ、足で蹴るにしろ、きちんと咲希を狙わなければならない。


 もし、自分の攻撃を当てたいがために、咲希を攻撃しようとしているのを邪魔した相手が自分よりも上の相手だったら心証を悪くしてしまう。


 他にも、必ず咲希へ復讐すると強い憎しみを抱く者、そもそも秋山に恐怖で従っているだけで実は気乗りしていない者、様々な思考・人間関係が渦巻いている。


 このような極限状態の中でも、『人間関係』は存在する。


 そして、その関係性が必ず無駄な動き、無用な隙を生み出す。


「ぐあっ」


 真ん中の不良少女の攻撃をかわした咲希は、様子を窺っていた右側の不良少女の顎下を蹴り上げた。


 瞬時に相手の意識を刈り取る急所も、結衣から散々叩き込んでもらった。


 あまりにも慎重さがあると使えないが、顎下への一撃は、背が低く体も小さな咲希の得意技だ。


「てめえ!」


「くそが!」


 咲希は、孤立していた。


 結衣の隣以外、居場所がなかった。


 でも、チーム内の人間関係はよく見ていた。


 結衣にそう教えられたからだ。


 誰と誰が仲がいいのか。


 誰が誰の上なのか。


 たとえば、この三人はいつも一緒にいて、真ん中の不良少女がリーダーだ。


 両脇の不良少女は、この不良少女に従っている関係だった。


 大人数での喧嘩だけでなく、一人の相手を三人でぼこぼこにする時も……必ず、『人間関係』によって発生する『攻撃の順番』が存在する。


『お前、でしゃばってんじゃねえよ!!!』


 過去において、自分よりも先に攻撃を仕掛けた不良少女へ叩きつけられた、リーダー格の不良少女のブチ切れた叫びだ。


 だから、リーダー格の不良少女が攻撃を決めるまでは、他のふたりは決して前に出ず、でしゃばらないとわかっていた。


「てめ! ぐっ」


「あっ!」


 あとは単純な実力差。


 今度は左側の不良少女の意識を刈り取り、再び斜めから振り下ろされた金属バットを交わし、同じように顎下からの一撃で沈める。


「おらあああ!」


 第一陣の攻撃が失敗に終わった。


 それを見た瞬間、戦況を見守っていた他の不良少女たちが襲い掛かってくる。


 今度は、2つのグループ。


 このグループにはあまり特別な関係差はなかった。


 つまり、間違って同士討ちをしても許し合える関係性。


 もみくちゃになってでも咲希を捕まえ、殴り、蹴るという戦法が可能――咲希はすぐさま踵を返し、逃げ出した。


「!? てめえ、逃げんな!」


「ざけんじゃねえ!!!」


 小さな身体でするすると咲希は闇の中へ溶けていく。


 廃倉庫の中へ逃げ込み、壁の穴から道へ出て、また別の廃倉庫へ潜り込む。


「囲め! 囲め!」


「絶対に逃がすんじゃねーぞ、お前ら!!!」


 ばたばたと慌てた様子で不良少女たちが散開する。


 その怒声や追いかけてくる足音、いらだち紛れにバットで廃倉庫の壁をぶっ叩く音などを聞きながら、咲希は必死で走った。


「はあっ、はあっ、はあっ!」


 咲希の目的は、ヒロを助けること。


 秋山たちが素直にヒロを解放するなんてこと、最初からあるずはずがないとわかっていた。


 だから、確実にそれを実現できる方法を選択する。


 やけになって真正面から全員を相手にするような真似はしない。


 戦力を分散し、少しずつ相手の戦力をそぐ。


 闇の中、廃倉庫が群れるこの場所なら、それは可能だ。


『地形を利用すりゃ、けっこう楽ができる。相手が大人数でも、狭い道は一人ずつしか通れないからな』


「はあっ、はあっ……ありがとう、結衣姉」


 今ここにいなくても、結衣は自分を助けてくれる。


 ヒロを誘拐されて怒りが溢れていても冷静になれたのは、結衣の言葉があったからだ。


 自分の目的は、ヒロを助けること。


 だから、そのために最適な行動をとる。


「ヒロは……どこだよ?」


 必ず全員を倒す必要はない。


 そもそも、そんなことは無理だ。


 たとえ、結衣の戦術があっても、あの大人数に勝つなんてできるはずがない。


 小回りの利く小さな身体も、その分体力がないという欠点がある。


 単純に、咲希よりも喧嘩の強い不良少女が何人もいるのだ。


 だから最もよい方法は、ヒロを見つけ出し逃がすこと。


「……っ」


 最悪、ヒロがここにいないという可能性もある。


 あの写真に写っていた背景は、たしかにこの廃倉庫群のものだが……秋山の性格を考えると、まったく別の場所にヒロが移されているという可能性もある。


 その時は、終わりだ。


 それでも、あがくしかない。


「いたぞ!」


「逃げんな、咲希イ!!!」


「くそっ」


 体力は有限。


 動けるうちにヒロを見つけられなければアウト。


 それでも、やるしかない。


「あああ!」


 そこからの咲希の動きは、凄まじいものだった。


 ヒロを探して夜の廃倉庫群を駆け抜け、不良少女と遭遇すれば的確に相手の急所を狙い、意識を刈り取る。


 隠れて身体を休めるとまたすぐに動き出し、襲いくる不良少女たちの攻撃を潜り抜け、駆ける。


 咲希と不良少女たちの喧嘩が始まってから、すでに2時間近くの時が経過していた。


「まだ咲希を捕まえらんねーのかよ! なにやってんだお前ら!」


「すんません!」


 いらだったように自分よりも下の不良少女に当たり散らす大柄な不良少女。


 その姿を見つめるのは、秋山と、秋山の側近の不良少女だった。


 喧嘩が始まってから、大将として秋山は一切動かなかった。


 秋山はずっと椅子に座ったまま戦況を見守っていた。


「あの、秋山さん」


「……なんだ?」


「……その、やっぱり、別の場所の方がよかったんじゃないですか?」


 秋山のチームのホームは、この街のいたるところにある。


 最近、大きなチームを潰したり、吸収合併したりした結果だ。


 本来なら、もっと狭い建物内に呼び出し、全員で囲うのがセオリーだ。


 なのに、よりによって、逃げられたらやっかいなこの場所を選んだのは、他ならぬ秋山だった。


「なんか文句でもあんのか?」


「……いえ、ありません」


 秋山の側近はすぐさま口をつぐみ、引き続き、直立不動の姿勢で秋山と共に戦況を見守る。


 廃倉庫群のあちこちで、不良少女たちの叫びが木霊していた。


🐈


「くそっ! はあっ、はあっ……どこだよ! ヒロ!」


 喧嘩が始まってから、すでに2時間近くが経過。


 その間、ずっとヒロを探していた咲希は、けれどどうしてもヒロを見つけられない。


 やっぱり、他の場所に連れていかれた?


 それとも、ヒロを連れてこの倉庫内を逃げられている?


 気になるのは、あの夜、公園で咲希と喧嘩したふたりの不良少女と、今日、自分を迎えに来た不良少女の姿がないことだ。


 あの3人は仲がよく、いつも一緒にいた。


 そして、会話を拒否した自分を、ずっと目の仇にしてきた奴らだ。


 ヒロを誘拐したのも、今、ヒロの居場所を知っているのも、あの3人で間違いない。


「……はあっ、……はあっ、……はあっ」


 時間がない。休憩を挟んでいるとは言え、精神的にも体力的にももう長くは続かない。


 この広い廃倉庫群をしらみつぶしに一人で探し回るのも限界がある。


 あの不良少女のスマホに写っていたのは、間違いなくこの倉庫群のひとつ。


 何度もチームで利用したことがあり、乱雑に置かれたソファやテレビ、雑誌などは覚えがある。


 けれど、真っ先に向かったその倉庫には、もうヒロの姿がも3人の不良少女たちの姿もなかった。


 やはり、最悪のケース……まったく関係ない場所にヒロが移動されている可能性がある。


 そうなったらもう、お手上げだ。


「……っ」


 でも、やるしかない。


 この倉庫群のどこかにヒロがいると信じて。


 必ず助けられると信じて。


「らあっ!」


「! てめ、そんなとこにいたのかがああっ!?」


 小さな身体で積まれた廃棄物の中から飛び出した咲希は、さっきからこの辺りをうろうろしていた一人の不良少女に殴りかかった。


「あぐあっ!」


 そうして右腕の関節をキメて背中を膝でつぶすように体重をかけ、咲希は不良少女の動きを封じる。


「教えてくれ! ヒロはどこにいる!?」


「知ら……ねえ……よお、あああ!」


 ぐいぐいと咲希の拘束を解こうともがく不良少女。


 だが、痛みが走るのか、背中に乗る咲希をどかすことは叶わない。


「……はあっ、……はあっ、……はあっ」


 判断力が鈍っている。


 体力が限界に近い証拠だ。


 咲希は己のミスを悟った。


 今、組み伏せているのは大柄で力が強いタイプ。


 こんな相手を押さえつけていたら、それだけで体力を削られる。


 わかっていたのに、焦って思わず飛び出してしまった。


「……はあ、はあっ」


 ヒロの居場所を知らない?


 本当か?


 無理やり吐かせるとしてもどうやって?


 はやく気絶させなければこちらが危ない。


 それとも一撃を入れてすぐに離脱するか――「がっ!?」


 その時だった。


 終わりは、唐突に訪れた。


「へーい! いっちょあがりー!」


「佳枝ー、釣りの餌ご苦労さん~」


「てめえら、わたしを餌にしたのかよ!?」


「ははは!」


「怒んな、怒んな、おかげで咲希をぶっ飛ばせたんだしよ」


 少し離れた場所から、不良少女たちの楽し気な声が聞こえてくる。


「っ」


 突然、後頭部に痛みと、そこから顔中に広がる温かい何かに咲希は気付いた。


 かすむ視界の先には、血の付いた金属バットを持ち笑う不良少女たち。


(……やっち、まった)


 最初の不良少女は、咲希という魚を釣るために餌だった。


 疲労から焦った咲希が飛び出したところを――背後から後頭部に一撃喰らった。


(……やべ……くそっ、くそっっっっ)


 視界が、涙と血で歪む。


 自分が取り返しのつかない失敗を犯したことに、咲希は、絶望した。


(――ヒロ!)


 自分が倒れたら、ヒロはどうなる?


 目的を果たせば無事に返す?


 そんなわけがない。


 立て!


 立てよ、わたし!


 寝てるばあいじゃねえだろ!!!


 どご!!!!!!!!


「っ!!?!?」


「「「「「ぎゃははははははははははは!!!!!」」」」」」


 腹部に激しい衝撃、次いで、痛み。さらには、倉庫の壁に打ち付けられた衝撃が咲希を容赦なく襲う。


 その様を見て、不良少女たちが大爆笑した。


「OK。秋山さんとこ連れてくぞ」


「えー、おい、もうちょい、楽しもうぜ?」


「バカお前、ウチらが殺しちゃったら秋山さん鬼になるだろ」


「あー、そか」


「そーゆーころなら、しかたねー……な!!!!」


「かはっ!!!」


 最初に咲希に組み伏せられた大柄な不良少女が、咲希の腹を思い切り蹴飛ばし、そして、肩に担ぎ上げる。


「え、おい、こいつ……軽!!!」


「「「「きゃーははははははははははは!!!!」」」」


 何がおかしいのか、不良少女たちはまたも涙を浮かべ腹を折りながら大爆笑した。


「さーきー♬」


 咲希を金属バットで仕留めた不良少女が、楽しそうにかつがれる咲希に顔を近づけた。


「もー、お前、終わりだからー♬」


 🐈


 ぱち、ぱち、ぱち……!


 火が、燃えている。


 咲希は再び、秋山の前に連れてこられていた。


 後頭部から血を流し、身体のあちこちが傷つき、服のいたるところが破れた状態で。


 さらには、地面に膝をつかされ、両腕をそれぞれ、不良少女たちが持ち、咲希が地面へ倒れないようにしている有様だった。


「……」


 秋山はじっと、ズタボロの咲希を見ていた。


 そんな秋山と咲希を囲む不良少女たちが、秋山がどんな沙汰を下すのか興味津々といった様子。


「……残念だ、咲希」


 秋山が、ぽつりとそう言った。


 咲希は、かすむ視界の中で、必死にヒロを、ヒロをさらった3人の不良少女を探した。


 けれど、いない。


 自分が捕まった状態でも……どこにもいない――と、思っていたら。


「おい、連れてこい」


「はい」


 秋山が何かを呟き、側近が返事をした。


 そして、懐からスマホを取り出し、どこかへ連絡を取る。


 そして、やがて――


「ん、んんんん、んー、んー!!!」


「―――――ヒロ!!!!!」


 咲希の目がいっぱいに見開かれる。


 そこには、3人の不良少女たちに運ばれるヒロの姿があった。


 口元に布を巻かれ、手足を縛られている。


 実際に、その光景を目の当たりにした瞬間、咲希はブチ切れた。


「ふざけんな!!!!!!!!!!!!!!!!」


 喉が切れ、血の味がする。


 それでも、咲希は叫び続けた。


「そいつは、そんな目にあっていいような奴じゃないんだ!!!!!!!」


 雨の中、自分を病院まで運んでくれた。


 自分を心配し、探してくれた。


 あたたかいご飯を作ってくれた。


 住む場所を与えてくれた。


 なにより――優しく、してくれた。


 こんな、どうしようもない自分に、彼は、笑顔を、優しさを、あたたかさを、愛を、何もかもをくれた。


 どうでもいい、くだらないと言われた自分の声を、気持ちを、心を、全部聞いてくれた。


「ふざけんな!!!!!!!!!!!! ああああああああああああああああああ!!!!!!」


 暴れ回ろうとする咲希を、数人に不良少女たちが無理矢理抑えつけた。


 そんな咲希の姿を見て、涙をこぼしながら、ヒロは咲希にかけよろうともがく。


 けれど、どうにもならない。


 手足を縛られ、3人の不良少女に拘束されているヒロは、一歩たりとも、咲希に近づけない。


「クーイズ! こいつとわたしたちは、今までどこにいたでしょー!?」


 3人の不良少女の内のひとりが、とっておきを明かすみたいに楽し気に言った。


 次いで、もう一人の不良少女が明るい声で応える。


「正解はー! 船の上でしたー!」


 廃倉庫群の目の前は、海になっている。


 廃倉庫群、秋山たちがいるコンクリートの大地、海。


 コンクリートの大地と海は、当然ながら段差がある。


 その段差は死角となり、その死角に浮かべた小舟の上に、ヒロと3人の不良少女たちはいた。


「最高だったぜ、咲希ー! 倉庫の中を無意味に駆け回るお前の姿!!!」


「バカだよ、お前ー! きゃはははははは!」


 だが、3人の不良少女たちの嘲笑は、咲希に届いていない。


「あああああああああああああ!!!!!!」


 咲希は、体中の痛みも、ときおり自分を殴り蹴る不良少女たちのことも、何もかもどうでもよかった。


 ただ、ヒロが――こんなところ、こんなひどい目にあっているという事実が、現実が、発狂してしまうほどに耐えられない。


「!?!?!?!?」


 ふらっと立ち上がった秋山が、いつまでも叫び暴れ続ける咲希の口を真正面から蹴った。


 あごが外れかかった咲希は、そのまま後ろへ倒れる。


「……さて、終わりにするか」


「「「「「「「はい!!!!!!!!!!」」」」」」」


 秋山のつぶやきに、不良少女たちが大きな返事をする。


 不良少女たちがバットやバールなどを手に咲希を囲む様を見て、ヒロは、布を巻かれた口で、必死に叫び、助けに行こうとする。


 けれど、行けるわけもない。


 3人の不良少女は、咲希に、ヒロに、お互いがよく見えるようにしたまま、力の限りヒロをおさえつける。


 ヒロは、泣きながら、声の出ない叫びをあげながら、ただ祈った。


 誰か、助けて!


 咲希さんを、助けて!!!!!!


 どが! どご! ばき! だん!!! だんん!!!! ガンガンガン! ドゴ!


 殴る。


 蹴る。


 バットを振り下ろす。


 およそ、最悪と呼ばれる暴力が咲希へ降り注ぐ。


 壊れた人形のように、ぴくりとも動かない咲希が、暴力で蹂躙されていく。


(……)


 指一本動かせない世界で、けれど咲希には、まだ意識があった。


 衝撃と痛みと共に、ぐるんぐるんと変わる視界。


 その視界の先に、泣き叫んでいるヒロが見えた。


 その瞬間、何も感じ無くなっていた心に、悲しみがあふれ出した。


「……ごめ、……ん、……な」


 視界が、変わる。


 体のあちこちに、衝撃が走る。


 そして、長身の不良少女が、仰向けに倒れている咲希の顔面目掛け、力いっぱい金属バットを振り下ろした――


 ブオン!!!!!!!!!!!!!!!! 


「「「「「「「!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!」」」」」」」


 ――瞬間、バイクの排気音が響き渡った。


 秋山たち、不良少女たち全員に衝撃が走る。


 それは、この状況で聞こえるはずのない音。


 なぜなら、『そのバイクの音』は――それは――


 ブオン、ブオン、ブオン、ブオン、ブオオオオオオオン!!!!!!!!


「あぶねえ!」


「避けろおい! 逃げろ!!!」


「ああああ!」


 バイクのヘッドライトの光が凄まじい勢いで近づいてくる。


 慌てた不良少女たちは蜂の子を散らすように逃げ惑う。


 全てを蹴散らすように爆音を響かせながら疾走したバイクは、やがて、地面に倒れこむ咲希のそばで止まった。


 …………………………。


 静寂。


 誰も、何が起きているのか理解できていない。


 だがそんなことには構わずに、バイクから降りたその日とは、咲希を抱き上げた。


「悪いな、咲希。遅れちまった」


「……」


 何が起きているのか、咲希も理解できていない。


 けれど、かすむ視界が、徐々にその輪郭を捉えた瞬間――咲希の瞳が見開かれた。


「――結衣、姉……」


「おう。とんだ寝坊しちまったよ」


「――っ!?」


 咲希にはもう、何がなんだかわからない。


 だって、結衣は、交通事故で昏睡状態になり、今も病院のベッドで眠っている。


 それなら、これは、夢?


 死ぬ間際に、自分が見ている都合のいい――


「夢じゃねえよ。聞こえてたぜ、お前の声」


「――っ」


 一気に、涙が溢れ出す。


 喜びと、感謝と、幸せと、後悔と、謝罪と、悲しみと、色々な感情が咲希の中で爆発した。


「結衣……姉!!!」


「おう」


 くしゃっと顔を歪め、涙を溢れさせながら、咲希はその名前を呼んだ。


 結衣は返事をして、太陽みたいに笑った。


「嘘だろ」


「なんで?」


「え、幽霊?」


「意味わかんね」


「だってあの人、事故って病院で寝たきりだったんだろ?」


「――秋山さん?」


 ざわつき、動揺する不良少女たち。


 中でも、秋山の尋常ならざる様子に、側近が気づいた。


「ふーっ、ふーっ、ふーっ」


 目を血走らせ、かたかたと身体震わせ、荒い呼吸を繰り返す秋山がそこにはいた。


「……秋山、さん」


 ここまで動揺する秋山を、不良少女たちは初めて見た。


 もはやどうすることもできず、その場を支配するのは――結衣だった。


「よお」


 なんでもない挨拶のように、結衣は秋山に声をかけた。


「っ」


 それだけで、秋山はびくりと体をふるわせ、不良少女たちは恐怖を感じた。


 その姿は、秋山たちの知る結衣そのもの。


 腰元まで伸びる美しい髪。


 美人でありながらどこか親しみやすい可愛らしさを持つ美貌。


 女性にしては長身で、引き締まった身体を包む、チームの特攻服。


「らしくねえな。わたしがちょっといない間に、いつからこんなつまんねーチームになっちまったんだ?」


「……く、……く、く、く、ははは、はーっはっはっはっは! ははははは!」


 結衣の質問に、秋山は突然笑い出した。


 そして、ぎょろりと隣の側近に目を向けた。


「おい、須藤」


「は、はい」


「行け」


「……え、は?」


「とっとと行け!!!」


「――はい!」


 秋山の側近――須藤は、この状況に混乱しながらも、秋山への恐怖から動く。


 一気に間合いを詰め、その拳を結衣目掛けて撃ち放った。


 どが!!!!!!


「―――――――!」


 けれど、力の差は歴然。


 腹に一撃喰らった瞬間気を失った須藤は、白目をむいて吹き飛び、動かなくなった。


 ざわ!!!


 目の前の信じられない光景に、不良少女たちが色を失う。


「……嘘、だろ?」


「フツーに、夢……だよな?」


「いや、目覚めたとして。目覚めたとしてだ……寝たきりだったんだよな?」


「なんで……こんな動けんだよ」


「やっぱり、化け物だ……!」


 ふら……。


 不良少女たちが戦慄するのを感じながら、わずかにふらついた身体をさりげなく結衣は立て直す。


 今の動きなら、バレなかっただろう。


「……くそっ」


「来い!」


「――っ!」


 状況のまずさを直感したのか、3人の不良少女たちはヒロを抱え、台車に載せ、無理矢理運んでいく。


「――ヒロ! ……ぐっ」


 ヒロが再び連れ去られそうになっているのを見た咲希が咄嗟に立ち上がる。


 けれど、体中に走る痛みに顔をしかめた。


 それでも――。


「咲希」


「――っ」


 結衣に、名前を呼ばれただけで、


「悪いな、一人で行けるか?」


「――おう!」


 身体に、力がみなぎる。


 だ!


 咲希は、身体の痛みも何もかも無視して、全力で駆け出した。


 それでも疲労のためか、スピードが遅い。


 3人の不良少女たちは、協力して凄まじいスピードで移動していく。


 それを見て、3人の不良少女を手伝うため、追いかける咲希に殴りかかろうとした不良少女たちだが――


 ガアン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


「「「「「!?!?!?!」」」」」


 炎の焚かれた一斗缶を結衣が蹴り飛ばした音で、びたりと動きを止めた。


「そっちじゃなくてさ……わたしんとこ来いよ」


「「「「……………っ!!!」」」


 結衣のたった一言で、何人かの不良少女たちは泣きだした。


 みんな、わかっているのだ。


 結衣の――強さを。


「……」


 ふら……。


 また、意図せず揺らいだ体のバランスを結衣はとる。


 そして、咲希がヒロと不良少女たちを追いかけ倉庫群に消えるのを見て、視線を目の前の秋山に戻す。


「くくく、調子良さそうだなあ、結衣」


 嘲笑うように、秋山が結衣に笑いかけた。


「ああ、絶好調だぜ。だから、自主退院してきちまったよ」


 結衣が目覚めたのは、咲希が「さようなら」の言葉を残し、病室を去ってから間もなくのことだ。


 昏睡状態だった結衣は、それでも、ときおり外界の音や声が聞こえていた。


 見舞いに来る咲希、看護する病院の人たち、そして、『それ以外の人たち』の声も、結衣には聞こえていた。


 昏睡していたのは短い期間だったとはいえ、事故にあった身。


 本来であれば、動けるはずも、動いていいはずもない。


 だが、結衣は動いた。


 無理やり身体を動かせるようになるのに時間を費やし、姉に連絡をして車で送ってもらい、特攻服、バイク、その他の準備を済ませ、最速でこの場所へ来た。


 それでも、咲希があれだけ傷つけられていたのを見て、結衣は――


「まあ、お前にも色々事情があったんだろうけどよ。とりあえず……」


 目の前の秋山を睨みつけながら、拳を力の限り握りしめ、


「ぶん殴らせろ」


 怒髪天。


 これまでの人生で、一番と呼べるほどに、激しく怒っていた。


 その気迫に、病み上がりという事実すら忘れ、不良少女たちは恐怖を覚える。


「上等だ。結衣。このチームのリーダーはもうお前じゃねえ……このわたしだ」


 対する秋山も、結衣の登場というイレギュラーを飲みこみ、すでに戦闘態勢に入っている。そして、


「やれ!!!!!」


「「「「「「おおおおおおおおおお!!!!!」」」」」


「「「「「「ああああああああああああ!!!!!」」」」」


 秋山の怒声に従い、全ての不良少女たちが、秋山目掛けて襲い掛かった。


「らあっ!」


 ――そうして、結衣の戦いが始まった。


 

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