第20話 子猫の運命
――みんなと一緒に仲良くしたい。
子供の頃から自然にそう思えたのは、両親のおかげだと思う。
家族と仲よくすることが、どれだけ幸せで楽しいことなのか……いっぱい教えてもらえた。
思えば、両親から怒られたことは一度もなかった。
お母さんも、お父さんも、必ずボクの気持ちを全部聞いてくれた。
嬉しいことがあった時も、無自覚によくないことをしてしまった時も、両親は必ずボクの言葉を聞いてくれて……そしてそれだけで、自分のしたことがどういうことなのか、自分はどうしたらいいのか、自然にわかるようになった。
今、目の前にいる人が何を考えているか、何を感じているか、何を願っているか……自然にそういう考え方で世界を見ることができたのも、やっぱり、両親のおかげ。
ボクは、愛されている。大切にされている。幸せになってもいい。
そう思えるのも、大好きな両親のおかげ。
もし、両親の愛がなかったら、ボクは自分の容姿を気にして、色々なことを遠慮したり不安に思ったりしながら、日々を過ごしていたかもしれない。
ボクは、ボクのままでいい。
何一つ変わらないまま、愛されていい。
両親のおかげで、ボクはそんな風に安心することができた。
今、学校や色々なところで、ボクがボクのまま受け入れてもらえていることが、本当に嬉しくて、心からありがとうと伝えたいくらいに幸せで。
だから、みんなにも幸せになって欲しいって思った。
今、目の前にいる人、笑顔になってほしい。
ボクがそうしてもらえたように、声を聞いて、言葉を聞いて、気持ちを聞いてあげたい。
何ひとつ否定することなんてない。
今の自分のまま、愛してもらえる。
そう、伝えたい。
それが、ボクの生き方になった。
そんなある日、ボクは彼女に出会った。
小さくて、頼りなくて、まるで、子猫みたいに可愛らしい女の子。
最初は、怖かった。
でも、どうしても、放っておけなかった。
たぶん、一目でわかってしまったからだと思う。
彼女は、自分を否定している。
彼女は、この世界に絶望している。
彼女は今も――苦しんでいる。
だから。
放っておけない。
助けてあげたい。
笑顔になってほしい。
『いらねーよ』
最初は、ボクを必死に遠ざけようとしていた。
『……男なのに、顔は可愛いわ、声は綺麗だわ、料理は上手で女子力高いわ、いつも敬語だわ――お前、おかしいぞ?』
『……ぼ、僕だって、自分の見た目のことはわかってますし、今までにも色々言われてきましたけど……そこまで面と向かってはっきりと言われたのは生まれて初めてですよぉ!』
『あ、わ、悪い。そんなつもりで言ったんじゃないんだ。泣くなよ……大切なのは、中身だろ。……お前は、すげえいい奴なんだから、見た目なんか気にすんな』
それでも、会話の中で、彼女が優しい子であることを知った。
それが強くわかるようになったのは、一緒にいる時間が増えてから。
最初は、色々と思ったことをすぐに口に出していた彼女は、でも、いつからか、あまり自分の気持ちを口にしなくなった。
どうしてだろうと考えた時、すぐに答えがわかった。
最初、彼女は『自分はここにいてはいけない』と感じていた。
相手から嫌われてもいい、むしろ、そうして離れ方がいい……そう思っていたから、無意識に、デリカシーのないことも口にできた。
でも、いつからか、彼女は、『ここにいたい』『嫌われたくない』……そう、想ってくれていたんだと思う。
だから、急に、頭に思い浮かんだことを口にせず、相手がどう思うかを考えてから、おそるおそる何かを話すようになった。
レミちゃんと話すようになってから、それは特に顕著になった。
相手が自分に好意を持ってくれていると知れば知るほど、彼女は怖くなってしまうタイプなんだと思う。
こんなに自分を好きになってくれている相手から、もし、嫌われてしまったら?
そう考えただけで、どうしようもなく怖くなってしまう。
「……」
そんな彼女を見て、ずっと思っていた。
どうして、彼女はこんなにも人を恐れるんだろう?
どうして、こんなにも、怯えているんだろう?
こんなにも、優しくて、思いやりがあって、真面目で、素敵な女の子なのに。
彼女はいつも自分を否定していて、ずっと、何かを怖がっている。
きゅっと、心が痛くなった。
一刻も早くなんとかしてあげたい。
強く、そう思った。
少しずつでもいいから。
彼女が笑顔になれる瞬間を、もっと増やしてあげたい。
『あのさ……』
そう思っていたある日、彼女がある話を聞かせてくれた。
最初は、躊躇って、でも、ずっと誰かに聞いてほしかったことなんだと思う。
彼女と、彼女の家族と、結衣さんについて。
『……ぅ、……っ』
話をしながら、彼女は泣いていた。
ボクも、胸が張り裂けそうなくらいに痛くて、知らない内に涙が零れていた。
なんで、彼女がこんな目に遭わなければならなかったんだろう?
明日、病院へ結衣さんのお見舞いに行く約束をしてからベッドにもぐり込んだ後も、そんな疑問が頭を離れなかった。
『ちゃんと咲希さんの気持ちを聞いてあげてください!』
そして、結衣さんの病室で、彼女の父親に会ったボクは、気づけばそう叫んでいた……。
🐈
「……はあ」
両親の経営するカフェの店内で、ヒロは盛大なため息をこぼした。
普段のヒロからすれば、それはとても珍しい光景。
いつもこの世界に存在するキラキラと輝く幸せに目を向けて、その幸せをみんなにも教えることしか考えていないようなヒロが、今は何かを激しく後悔しているように落ち込んだ姿を見せている。
今は、閉店後の清掃中。
モップを持ったまま立ち尽くし、ため息を零す息子を見て、ヒロの母は苦笑と微笑みとを混ぜたような表情をする。
「ヒロ」
ふわりと。
優しい香りと感触に包まれる。
気づけば、ヒロは母に後ろから抱きしめられていた。
「……お母さん」
ヒロの母は、けっこうスキンシップが好きな人だ。
自分の家族が落ち込んでいる時は、なおさら、言葉以外で温かな気持ちを伝えてくれる。
心にあった不安がゆっくりと溶けて、温かさが広がっていく。
同時に、咲希はこの温かさをずっと知らないままだったいう事実が、ヒロの心を苛む。
「咲希ちゃんと、まだ仲直りできないの?」
「え……と」
今、咲希はヒロの父と車で買い出しに言っている。
というより、ヒロの母がヒロから話を聞くために、あえて買い物をお願いしたのだ。
ヒロの母は、ヒロからも、咲希からも、全てを聞いている。
そして、ヒロの母の目から見て、咲希がヒロを避けているのはどう考えても『幸せな理由』で。
そして、思い悩んでいるヒロの方が深刻だとわかったからこそ、こうしてふたりきりで話せる場を用意した。
お店をしめてから、一緒に夕食を食べて、お風呂に入ってゆっくりした後でもよかったけれど……もうそんなこと言ってられないくらい、ヒロは落ち込んでいたから、ヒロの母は、今この場で話を聞くことにしたのだった。
「やっぱり、ボクは間違えたのかなって」
病室で、友人の父親に大きな声で叫んでしまった。
常識的に考えれば、やっぱり、よくないことで。
でも、どうしても、伝えずにはいられなかった。
ちょうど、その時から、咲希が自分を避けるようになったような気がするので、余計に、自分はさらに咲希を追い詰めてしまったのではないかと怖くなる。
そもそも、ヒロはずっと、人の話を聞いて、気持ちを聞いて、一緒に笑顔になるという解決策だけで生きてきた。
それで、笑顔になった人はいっぱいいるし、事実、ヒロはみんなを幸せにしていた。
だから、あんなふうに、相手の間違いを指摘して、大声で責め立てるような真似は、自分でも信じられないような出来事だった。
そして、そんなことをしてしまった自分に対しても、様々な感情が生まれている。
「咲希ちゃんの気持ちは、ちゃんと聞いてあげた?」
「それ、は……」
聞くのが、怖い。
咲希にどう思われているのか……もしかしたら、嫌われてしまったんじゃないかって想像しただけで……とても、怖い。
「……じゃあ、ヒロは今、どう思ってる?」
母の言葉が光となって、固くなっていた心が水のように溶けていった。
涙がでるくらいに、温かな声。
そう。
ずっと、母は、優しい人。
「怖い」
「何が怖いの?」
「……一番怖いのは、咲希さんの心を傷つけてしまったんじゃないかって」
複雑な家庭環境の咲希。
きっと、父親への気持ちは一言では言い表せない。
それでも、あの人は咲希の父親で。
だから、うまくは言えないけれど……病室での一件が、咲希の心にどんな影響を及ぼしたのか……考えるだけで、怖くてたまらない。
「咲希さんに嫌われてしまったかもしれないことも怖くて」
「うん」
「咲希さんに避けられていることも悲しくて」
「うん」
「でも、咲希さんがどう思っているのか、気持ちを確かめることも怖くて……だから、ここからどうすればいいのか、わからない」
「うん」
「……お母さんは、どう思う?」
すがるような声と眼差し。
事実、母に助けを求めるヒロの瞳には、涙が浮かび、今にも零れそうになっている。
「大丈夫」
さっきよりも、少しだけ強くヒロを抱きしめて、頭を撫でる。
母の指に撫でられる先から、心地よく、気持ちがとけていく。
「お母さんは、ヒロの気持ちも、咲希ちゃんの気持ちも、ふたりの気持ちをちゃんと聞いた。そして、お母さんは、ずっとふたりのこと見てた」
「……」
母の言葉が、心の中にうずまく闇を優しくとかしていく。
「そのお母さんが断言します。大丈夫。ヒロは咲希ちゃんに嫌われてなんかいない。これからきっと、楽しいことが待ってるよ」
「……お母さん」
ヒロは、お母さんのことが大好きだ。
あたたかくて、優しい人。
心から、信頼できる人。
そんなお母さんに「大丈夫」と言ってもらえたら……そう、それだけで、ヒロの心はあたたかなもので満ちていく。
「ありがとう、お母さん」
「うん」
ヒロの声に、その可愛らしい表情に、光が戻ったのを見たヒロの母は、笑顔を浮かべる。
「ボク、お母さんの息子に生まれて本当によかった」
「私も、ヒロがわたしの息子で本当によかったわ」
そうして、店内の清掃の続きをして、ヒロは一足先に家へ戻ることにした。
水無瀬家の夕食は、ヒロとヒロのお母さんが作る。
幼い頃から母に教わっていたヒロの腕前は、すでにプロの主婦レベル。
母に元気を貰えたヒロは、いつもより頑張って美味しい夕食を作りたかった。
理由は……とにかく、気持ちが溢れているから。みんなを笑顔にしたいから。
美味しい料理は時間がかかる。
下拵えのことなども考えて、最終的にお店を締める作業はヒロの母が請け負い、ヒロは今、自宅へと向かっている。
自宅とカフェは近いため、それほど遠くない。
すでに夜になっているため、空にはお月様と星々が輝いている。
夜空に輝く光を見つめながら、ヒロは少しだけ速足で歩く。
「――んぐっ!?」
突然のことだった。
気づけば、ヒロの口元がハンカチで塞がれていた。
突然、がっしりと後ろから誰かに身体を羽交い絞めにされている。
ハンカチから変なにおいがする――そう思った時には、ヒロの意識は途絶えていた。
「いっちょあがり!」
「おい、誰にも見られないうちに移動するぞ。さっさと運べよ!」
「命令すんじゃねーよ! わかってんよ!」
気絶したヒロが白い布で覆われる。
ついで、ロープで縛られ、ふたりの少女によって持ち上げられた。
「行くぞ」
それは、遊園地でヒロと咲希の仲を知った不良グループの少女たちだった。
「見てろよ、咲希」
「お前の大事なもん、ぶっ壊してやるよ」
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