第13話 子猫のアルバイト
「まあ、よく似合ってるわ。咲希さん」
咲希は、何を言っていいかわからなかった。
目の前には、にこにこと微笑んでいる春香の姿。
頬に手を添えて蕩けるような笑顔を見せられたら、お世話になっていることもあり、余計に何も言えなくなる。
春香の視線を辿れば、自分の身体に行きつく。
結衣姉みたいに大きくなくて、それどころからまっ平らと形容してもいいくらいに情けない自分の胸が見える。
問題なのは、そんな胸を持つお子様体型の自分の身体を包む……可愛らしい制服。
完全にメイド服……というわけではないけれど、どこかメイド服を連想させる形状。
色は明るめのライトグリーンで、少し短めのスカートはフリルのような甘めの作り。
エプロンの生地がスカートの全面を隠すようになっているかわりに、なぜか胸元は完全にスルー。
胸の大きな人がこの制服を着たら、どうなるんだ? と思うような制服だ。
なんだこれ!? なんでわたしがこんなの着てんだ!? と本気で頭を抱えたくなるくらいに可愛いその制服は、しつらえたように咲希の身体にぴったりだった。
見た目が幼い咲希にもよく似合っていて、とても可愛らしい。
カフェってもっと都会的でスタイリッシュな感じの制服じゃないのか? と疑問に思う咲希をよそに、春香はにこにこである。
「……ていうか、春香さんの家って、カフェだったんですか?」
「ふふ、実はそうなの」
玄関での話合いからほんの数分後のこと。
咲希は、ヒロの家から歩いて行ける距離にある商店街……その一角にあるカフェに招かれた。
なんとそこは、ヒロの両親が営む喫茶店で、咲希はヒロの家でお世話になる代わりにそのカフェでアルバイトをすることになった。
そこまではよかった。
咲希にしても、お世話になる以上は、きちんと恩を返したかったから。
……ただ、春香から渡された制服を見た瞬間に、「!?」となり、かといって、そのまま突っ返すわけにもいかず更衣室で着替えを済ませ、今に至る。
お洒落で落ち着いた雰囲気ながら、明るい色を基調とする店内はとても居心地がよいい。
けれど、咲希は物凄く居心地に悪いことになっていた。
「うん、顔の痣も大丈夫そうね。可愛いわ」
咲希の顔を慈しむようにあらためて、春香は満足そうにそう言った。
お客さんの前に出る以上、身だしなみには気をつけなければならない。
咲希の可愛らしい顔には、まだ痣などが残っているため、春香は自身の化粧道具がを使った。
頭の傷は髪で隠し、ファンデーションで痣などを綺麗に無くす。
それによって、どこに出しても恥ずかしくない、可愛らしいカフェ店員さんが誕生したが……鏡で自分の姿を見る咲希の心は泣いていた。
咲希とて女の子だが、事情が事情だった。
幼い頃から勉強と結果のみを強いられ、お洒落に気を遣うお金も時間も与えてもらえなかった。
そして結衣と出会い、可愛らしさとは対極のワイルドな趣味に染まった咲希は、もはや可愛らしいものに抵抗感すらあった。
そんな抵抗感のあるものに自分がなっていることに、咲希の心が追い付かない。
厨房では、開店準備を進めるヒロのお父さんが、微笑ましそうに咲希と春香のことを見守っていた。
「春香さん……その、いいんすか? わたしなんかを、カフェの店員にして?」
結衣との生活の中で、咲希にはアルバイト経験がある。
バイト先は、結衣のなじみの定食屋さん。
不良でもなんでも受け入れてしまう威勢のいいおばちゃんがきりもりするその定食屋は、主に、不良や、お酒で楽しめればそれでいいと盛り上がるおじさんたちで賑わうところだった。
正直、かなり雑多なお店だ。
でも、不思議と温かく、居心地がよかった。
人見知りな自分でも、ちゃんと接客ができてしまうくらいに。
……そういえば、自分にセクハラまがいのことをしようとしたおっさんを結衣姉がぶん殴り、さらに、お店のおばちゃんも追撃をかまして謝らせたことがあった。
お洒落なカフェと雑多な定食屋。
雰囲気は違うかもしれないが、一応、接客や配膳の経験はある……でも、なんとなく、自分はこのカフェにふさわしくない気がした。
自分が知っている穢れみたいなものが、このカフェからは一切感じられない。
自分の存在が、この空間を汚してしまうような気がした。
「咲希ちゃんなら、大丈夫よ。だって、こんなに可愛いんだもの」
「~~」
咲希のことを、自慢の娘のように言う春香。
なんだか、その雰囲気がヒロそっくりで、ああ、やっぱりヒロのお母さんなんだな、とまたも思う。
そういう意味で聞いたんじゃないと思わず突っ込みたくなるくらい天然なところも、よく似ていると思う。
「最近、嬉しいことにお客さんも増えてきてくれて……ちょうど、バイトの子を探さないといけないかなと思っていたの」
「……でも」
「接客の仕方はちゃんと教えてあげるから大丈夫よ。わからないことがあったら、なんでも聞いてね。……ただ、もちろん、無理強いはできないから、咲希ちゃんが大変なようなら、断っても大丈夫よ」
「――」
本来なら、居候の自分が頼まれたことに四の五の言えるはずもない。
なのに、目の前の女性は、どこまでも咲希の気持ちを尊重しようとしてくれる。
咲希が本気でいやがるなら、この人は、自分の気持ちを優先してくれるし、そのことで、咲希について何かを思うこともない。
本当に、お人好し。
それが、心からわかるから……だから、余計に、咲希の負けん気に火が点いた。
「いえ、大丈夫っす。わたし、やります!」
「あら♪」
咲希の元気な返事に、春香は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「それじゃあ、まずはお客様への挨拶から始めましょうか♪」
「う、うす!」
そうして、咲希は、春香に指導され、カフェでの礼儀作法や接客のマナーを覚え始めた。
もちろん、初めての経験だから、最初からうまくできるはずもなく、開店時間を目指し、ハイスピードで指導は行われた。
どうしてか、春香は始終楽しそうで、けれど、咲希の方はと言うと、早く覚えようと必死だった。
それでも、春香は咲希を急かすことなく、ほんわかとした雰囲気で、色々なことを教えてくれた。
――何をやっているんだ! もっと、しっかりしろ!
「……」
頭の中に、またあの人の声が響く。
あの人は、いつも、自分に何かを教える時、怒ったり、怒鳴ったりしていた。
「ふふ、咲希ちゃん。上手よ、その調子」
「……」
だからだと、思う。
自分の家が経営する大切なカフェのことなのに、ゆっくりと、自分のことを信じて、指導してくれる春香。
……そんな彼女の優しさと、今のこの時間に、なんだか、違和感を感じてしまうのは。
「咲希ちゃん、ご苦労様。これで、指導はお終いよ。よくできました」
「っ」
なんとかかんとか、挨拶や笑顔、お辞儀の角度、注文の取り方などを覚えた咲希……しかし、指導の終了を告げるや否や、春香の手によって頭をなでなでされたものだから、咲希はびっくりしてしまう。
「? どうしたの、咲希ちゃん?」
なんだか、落ち着かないような、逃げたそうな様子を見せている咲希を見て、春香は首を傾げる。
「……いえ、その」
柔らかく、髪を撫でられながら、顔を赤くしている咲希は……小さな声で、呟いた。
「……頭撫でられるのなんて、久しぶりで」
「……そう」
咲希の中の、何かを感じたからだろうか?
春香は、優しく、ゆっくりと、咲希の頭を撫で続ける。
「~~」
その間、咲希はさらに顔を赤くして……本当は、逃げたいと思っていたけれど、春香が相手ではそれもできず。
ただただ、その場に立ち尽くし、春香に頭を撫でられていた。
ひとしきり、咲希の頭を撫でた春香は、また笑みを浮かべて。
「……さて、開店時間までまだ少し時間があるわね。ちょっと忙しくなっちゃうけど、簡単に店内の掃除をしましょう」
「――う、うす!」
「咲希ちゃん、この布巾でテーブルを拭いてくれる? わたしは、床のモップかけをするから」
「う、うす!」
「それと、掃除しながら、このカフェのことを話すわね」
慌ただしく、掃除をしながら、咲希は春香からカフェの話を聞いた。
なんでも、ヒロのお母さんとお父さんは、元々、将来はカフェを開きたいと思っていたらしい。
カフェの専門学校に通っていたふたりは、出会い、交際を初め、卒業後はそれぞれ別々のお店で働きながら結婚。
そして、ヒロが中学に上がる頃に独立して、念願の自分達のお店を持ったという。
今は、ヒロのお父さんが主に食事を担当し、春香はコーヒーなどの飲み物系を担当しているとか。
今も、ヒロのお父さんは開店へ向けて準備をしている。
「あの、他に人は雇っていないんすか?」
「小さなお店だからね。でも、学校が終わればヒロちゃんも手伝ってくれるし、なんとかなっているわ」
「……」
あの夜の、公園で。
猫を拾ったヒロに、「どうせ親に甘えるんだろ」と言ったことが蘇る。
「……あいつ、ちゃんと親の手伝いしてたのか」
考えてみれば、そういう奴だ、と思った。
……少しだけ、罪悪感を覚えながら、咲希はテーブルや窓を拭き終えた。
「終わりました!」
「ありがとう、咲希ちゃん」
今、春香はレジの準備をしていた。
急遽、咲希への指導を行ったため、いつもより忙しい開店準備になっているようだ。
「あとは、コーヒーの準備と、扉のプレートもオープンにしないと……あ、そろそろ開店時間だから、咲希ちゃん、お願いね」
「……う、うす!」
扉前のプレートをOPENにするため、春香は店の外へ。
その背中を見送りながら、咲希は返事をした。
「……」
今日の朝、突然、決まった咲希のアルバイト。
カフェでの接客……なんて予想もしなかった展開に、戸惑いしか生まれない。
これから、見ず知らずの人を迎え、お客様として接しなければならないなんて、考えただけで、咲希は緊張していた。
……それでも。
ぱん!
小さな両手で可愛らしい顔を叩いて、気持ちのいい音を鳴らす。
そうして、気合を入れて、これからのために気持ちを奮い立たせる。
接客、上等。
いくつもの修羅場をくぐってきた自分に、カフェの接客くらい、できないわけはない。
自分のような存在を受け入れ、世話を焼いてくれる春香たちのためにも、情けないところは見せられない。
――こうして、咲希の新しい一日は始まったのだった。
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