第10話 子猫の悪夢

「まあ、ちょうどよかったんじゃねえか?」


 ぽつりとつぶやかれた言葉を聞いた瞬間、頭の中が闇でいっぱいになったような気持ち悪さを覚えた。


「……っ」


 とっさに、自分が何を言おうとしたのかわからない。きっと、表現できない感情が言葉になろうとして失敗したんだと理解する。


 結衣のチームが根城にする廃工場の真ん中で、咲希は強く握りしめた拳を震わせていた。


「今、なんて言った?」


 まるで、自分の声じゃないような声が廃工場の中に響く。心の中で燃え盛る怒りの炎は、目の前にいる秋山とその仲間たちに向けられていた。


 秋山静香。結衣の幼馴染。共に高校を中退後、現チームを発足。チームの№2として結衣を支えてきた。あまり言葉数の多い方ではないが、不思議とカリスマ性があり、彼女を慕うメンバーも多い。


 多いと表現するのは、このチームがいわば、結衣派、秋山派といった形で分類ができるからだ。


 結衣は太陽のように温かい人だった。家や学校で行き場を無くした子たちに声をかけ、心の支えとなり、必要があればチームに居場所を作った。他チームのように積極的に縄張りを拡大したりカツアゲや万引きなどの犯罪をすることなく、あくまでもその子が立ち直るきっかけになる行動だけをしていた。迷惑行為と言うなら、夜中にバイクで走り回ることくらい。それだって、ストレス発散などの意味合いがあった。咲希も、結衣と一緒にバイクで走る時間に、どれだけ救われたかわからない。結衣の目的は、孤独な誰かに救いの手を差し伸べることだった。


 反対に……と言っていいのか。秋山は、結衣とはまるで性質の異なる人物だった。前提として、秋山は結衣の『ぬるいやり方』に難色を示していた。秋山は積極的なチームの拡大……他チームに喧嘩を売り、潰し、自チームの勢力拡大を目論んでいた。加えて、金銭の獲得にも余念がなかった。しかし、結衣のすすめるまっとうなバイトなど冗談ではないという考えで、何の罪もない一般人を脅して金を奪うことになんのためらいもなかった。秋山の目的は、社会への復讐だった。


 秋山は、たびたび結衣と衝突していた。一つのチームの中に、二つ勢力が存在していることを咲希もなんとなく感じていた。結衣のぬるいやり方を批判し、チームのことを語る秋山。秋山が悪の道へ転げ落ちそうになっているのを憂い、止める結衣。その光景は、時が経つごとに表面化していた。


 チームのメンバーたちも、その状況に翻弄されていた。ただ、少なくとも咲希からすれば意外なことに、秋山の支持者も多かった。社会に復讐する。そのためには、犯罪もためらわないという考えに賛同するチームメンバーたち。元々、家や学校でひどい目に遭い、ここへ流れ着いたものばかりだ。秋山自身の恐怖と言う名のカリスマ性も手伝い、社会へ怒りと憎しみをぶつけることを肯定する秋山に味方する者も多かった。結衣に救われ、結衣を救うメンバーにも怒りと憎しみは存在し、加えて、秋山への恐怖で従う者も……また多い。


 それでも……それでも、咲希には信じられなかった。「ちょうどよかった」などという秋山の言葉と。その言葉に誰も反論を唱えないチームメンバーたちに。


「……今、なんて言ったって聞いてんだよ!!!!!」


 誰も答えないことに業を煮やし、窓を震わせるほどの声量で、咲希はもう一度叫んだ。


 あの悪夢の出来事から数日。バイクで事故に遭い、奇跡的に一命をとりとめた結衣は、今、意識不明の重体で入院している。その時のことは、よく覚えていない。ただひとついえることは、咲希が泣き叫んでいたことと、もし結衣があのまま死んでいたら、咲希も後を追い、自ら命を落としていたということだけだ。


 意識不明ながらも、結衣の無事を確認して、ようやく、咲希は秋山たちに結衣のことを伝えなければと気が付いた。そうして、未だ空虚な心のままこの廃工場へと赴き、伝えれば……秋山は、「ちょうどよかった」と言った。


「なにイキってんだよこらぁ!?」

「おい、てめー!!!」

「あぁ!?」


 咲希の怒りの叫びにキレたメンバーたちが、咲希を威嚇するために叫び始める。結衣があんな大変な目にあっているのに、咲希がこの廃工場へ来たとき、へらへらと談笑していた連中だった。咲希は、また怒りが爆発し、拳が、身体が震える。秋山が騒ぐメンバーたちを手を制し、口を開いた。


「正直、結衣は邪魔だった。ふわふわと子供の遊びみてーな真似してぬるいことしかできない。私が一生懸命チームのためを思ってんのによお。いつも邪魔ばかりしやがる。けど」


 そこで秋山は笑った。


「あいつがいなくなって、これからは私の好きにできる。お前らも同じ気持ちだよなぁ?」


「そうだ!!!」

「あああ!」

「ウチらは秋山さんについていく!!!」


 また、騒がしくなった。心から秋山に賛同する者もいれば、恐怖から秋山に賛同している者もいた。だが誰ひとり、秋山には異論を唱えない。


「恐喝、暴行、万引き……結衣姉が止めるのは当たり前だろ! 結衣姉は、わたしたちに居場所を作ってくれたんだ!!! 犯罪者集団を作る為じゃねえよ!!!」


 ガコン!!! ガラン!!! ガラン!!!


 咲希にキレたチームの一人が、中身の入ったままの缶コーヒーを思い切り投げつけた。咲希の頭にあたったそれは、廃工場の床に落ちて、転がっていく。咲希の額に、地が流れ落ちる。


「……秋山さん。あんたに確かめたいことがある」


 今すぐに、殴りつけたい衝動を必死に抑えつけながら、咲希は秋山を睨みつけた。


「あんた……結衣姉をハメやがったのか?」


 あの時のことを思い出す。いつものように、咲希が結衣と一緒にいると、チームメンバーの一人が血相を変えて走り寄って来た。


『結衣さん! 助けて! 秋山さんが! 秋山さんが隣町のチームに捕まった!』


 そのチームメンバーは、佐藤という名の女の子だった。年は咲希と同じくらい。見た目は地味で不良になりたての新米だ。気の弱そうな瞳をさらに情けなく緩ませて、佐藤は秋山の危機を告げてきた。


 佐藤が見せてきたスマホには、敵チームから送られてきた写真。そこには秋山がロープでぐるぐる巻きにされ、近くで鉄パイプやナイフを持って笑っている敵チームのメンバーが映されていた。結衣に、「一人で来い」というメッセージを添えて。


『場所はどこだ!?』


 親友の危機に、結衣は当然助けにいくことを選択する。場所を聞いた結衣はすぐにバイクにまたがった。


『結衣姉! わたしも一緒に行く!』


 この時、強引にでもついていかなかったことを、咲希は一生後悔することになる。


『すぐに戻る。待ってろ』


 結衣は咲希の頭に手を置いて、爆音を響かせながら走り去った。……そして、事故に遭った。


 病院で、咲希ははじめて結衣の家族にあった。両親と不仲なため、見舞いに来たのは結衣の姉一人。けれどその結衣のお姉さんは泣いていた。そして詳しい事情も聴いた。警察によれば……結衣の走っていた道にピアノ線のようなものが張られていた疑いがあるとのことだった。


「隣の町のチームに捕まってるはずのあんたが、なんで今ここにいるんだよ?」


「ああ。おかげさまでな。解放してもらえた」


「……佐藤はどこだ?」


 秋山がつかまっていることを伝えにきた佐藤というメンバーの姿が、どこにもない。


「佐藤? ああー、そういやどこ行ったか? お前知ってるか?」


「いえ、知らないっす」


「あいつ影薄いからな。消えちまったんじゃねーか?」


 ぎゃははと下品な笑い声が響いた。その笑い声を背に、秋山は立ち上がり、ゆっくりと咲希に近づいてくる。結衣も長身だが、秋山も長身だ。咲希に、暗い影が落ちる。咲希は、自分を見下ろす秋山を力いっぱい睨みつけた。


「ここからは、私がチームをまとめる。咲希。お前はどうすんだ?」


 ぞわりと心の底を撫でまわすような声が、恐ろし気に染み込んでくる。


「まさか、私に逆らうわけねーよな? お前は結衣についてきたんだろうが、そんなことは関係ねー。このチームに入った以上、逃げることは許さねえ。その時は……殺す」


 もし、結衣と合う前の咲希だったら。こんな状況に放り込まれれば、泣いて謝って許しを乞うていただろう。でも、咲希は変わった。結衣と出会い、共に時間を過ごして……変わった。震える声で、秋山の細長い目をまっすぐ睨み返し、問いかける。


「なあ、秋山さん。結衣姉はあんたの恩人なんだよな?」


 秋山はずっと気の弱い女の子だった。家庭で父親から暴力を振るわれ、学校でいじめを受けていた秋山を助けたのは結衣だ。高校の時、秋山にセクハラをしていた教師をぶん殴ったのも結衣だ。その事件がきっかけで、結衣は高校を中退し、秋山はその後を追った。


「だから、なんだ?」


 その瞬間。咲希の道は決まった。


「昔の話だろ?」


 次の瞬間。秋山の身体は吹き飛んでいた。小さな咲希の身体。けれど、全身全霊の力と全体重を乗せたその一撃は、途方もない威力を持って秋山の頬に叩きつけられた。


「秋山さん!」


 数人、秋山の取り巻き達が慌てて秋山にかけよる。そして、「咲希ィ!!!」と憎悪の眼差しを向けてくる。じんじん痛む右の拳をさらに強く握りしめて、咲希は叫ぶ。


「結衣姉に謝れ!!!!!!」


「……殺せ」


 そこから先は、地獄絵図だった。蟻のように、死体に群がるハイエナのように、チームのメンバーが一斉に咲希に襲い掛かった。次から次へと拳を、鉄パイプを、ナイフを、金属バットを振るう不良たちで埋め尽くされる視界。体中に走る痛み、流れる血、雪崩のように押し寄せる罵声。


 咲希が生き延びることができたのは……どうしてだったのか。結衣から教えてもらった戦術のおかげか。結衣を裏切った秋山とチームメンバーたちへの怒りか。それとも、幸運なことに集中豪雨が地上を襲い、悪くなった視界のおかげか。……もしかしたら、内心で結衣を慕い、そして、恐怖から秋山に従うチームメンバーが咲希に手助けをしていたこともあるかもしれない。


 いずれの理由にしても、咲希は命からがら逃げのびて、ぼろぼろの体で、道路に倒れこんだ。


「ぜえ、は、ぜ……は」


 痛い。全身が痛い。痛みが血となって全身を勢いよく流れているかのようだった。結衣からもらった大切なジャンパーにも傷をつけられ、血が流れているのも見えた。わずかに身体を動かし、塀を枕代わりに寝転んだところで、精魂尽き果てた。


「……なんで、だよ」


 ざあざあと、激しい雨が降りしきる中……結衣の瞳から熱い涙が溢れ出した。


「なんで、こうなるんだよ。なんで、結衣姉があんなひどい目に遭うんだよ! ……あああああああああああああああ!」


 雨音で、咲希の叫びはかき消される。


 もう、咲希には何もない。


 家族も友人も得られなかった咲希が、ようやく手にすることのできた大切な人も、あっけなく奪われた。


 結衣は、咲希とって最後の希望だった。唯一、咲希をこの世界に繋ぎとめる光だった。咲希の心が張り裂けているのは、自分がひどい目にあっているからじゃない。こんな自分を救ってくれた結衣が、ひどい目にあっているからだ。もう、咲希が、この世界を信じることは、ない。


 ……やがて。叫び疲れた咲希の意識が、遠のいていく。もしかしたら、このまま死ぬかもしれない。それでもいいと咲希は思った。


 自分は、世界に嫌われている。希望なんて、どこにもない。結衣をあんな目に遭わせるこんな世界なんて、こっちから願い下げた。


「……」


 ふと、思う。もしかしたら、自分のせいかもしれない、と。自分が、結衣と出会わなければ、結衣はあんな目に遭わなくて済んだんじゃないか? 根拠なんて何もない。でも、ひどく強い確信が、咲希の中に生まれていた。


 そうだ。わたしは、一人だ。一人でいればよかったんだ。そうすれば、結衣姉は……。


「……あの、大丈夫ですか!?」


 どこか遠くで、声が聞こえた。とても可愛らしい、そして、優しい声だった。


『――咲希、覚えとけよ』


 その優しい声を聞いた時、どうしてか、結衣の言葉が蘇った。


『お前は、一人じゃない』


 

 

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