第8話 子猫の新しい日々
「結衣姉! わたしもバイクを運転したい!」
「いや、免許なきゃ駄目だろ」
咲希と結衣と出会ってから、一ヶ月が経った。
その間、咲希は頻繁に結衣と会って、色んなところへ行って、色んなものを見た。
最初は遠慮したりぎこちなかった咲希は、けれど、今はもう、可愛い笑顔を見せるくらいに結衣に心を許していて。
世界がこんなにも楽しいことを、誰かと一緒にいることで、こんなにも笑顔になれることを、初めて知った。
「別に免許なくてもいいだろー! 結衣姉が運転の仕方教えてくれよ!」
「駄目だっつの!」
「なんで不良のくせにそういうとこは真面目なんだよ!」
大きな変化は、主にふたつ。
ひとつは、咲希が自分自身を出せるようになったこと。
それまでの咲希は、いつも自分の感情や意見を押し殺し、ただただ親の理不尽な要求を飲みこみ続けていた。
けれど、結衣のおおらかな人柄と、なによりも「この人は、自分を受け入れてくれる」という安心感が、咲希の心をきちんと表に出せるようにしてくれた。
それはとても好ましい変化……なのだけれど、あまりにも結衣に心酔過ぎるあまり、咲希は結衣の口調や仕草なども真似し始め、いつの間にか、言葉遣いがやや粗雑なものになっていた。
結衣から「元の口調の方が可愛かったぞ」と言われても、「なんでそういうこと言うんだよ!」と、咲希は素直に自分の気持ちを表現する。
まあ、我慢しているよりはいいかと結衣も納得し、同時に、そんな風に自分を慕ってくれる咲希のことが可愛くて仕方が無くなっていた。
「結衣姉」なんて呼ばれて懐かれれば、なおさら。
「なんかあったら、どうすんだよ! ちゃんと免許取るまで我慢しとけ」
くしゃくしゃを頭を撫でれば、いやがるそぶりを見せつつも咲希は決して逃げることがなく、甘えるような笑顔を浮かべてしまう。
「離せよー」
もうひとつの変化は、咲希が自分の家に帰らなくなったこと。つまりは、今年から通うはずだった高校には一度も通っていないということ。
これについては、結衣も咲希と真剣な話をした。
結衣自身、高校を中退し、今は不良グループのリーダーを務めており、自分の家にもまったく帰っていないという状態なので、強くは言えないが……だからこそ、咲希にはきちんと自分の家に帰り、学校に通う生活を送って欲しいと思っていた。
けれど、家にも学校にも居場所がなく、自分の殺すことでしか生きることができなかった咲希が、結衣という希望から離れることはできなかった。
結衣としては、別に咲希とかかわりを断ち切るつもりはなく、咲希が健やかに過ごせるように配慮するつもりだったが……徐々に、これまでの咲希の現実が過酷なものだったことを感じ始める。
そうなると、似たような境遇の結衣としては、猫のように甘えてくる咲希を拒絶することもできず……これが本当に咲希のためになるのかと思いつつも、咲希の気持ちを受け入れることにした。
本来であれば、咲希は元の世界に戻るべきだ。けれど、その世界が、咲希を傷つけるものであり、自分のそばにいることで、咲希が心から笑顔になれるというのなら……これが正解かもしれないとも思う。
……だが、結衣の生きる世界は、ヤンキーやチーマー、レディースなどという言葉で認識されるようなもの。
当然、巻き起こるのは楽しい時間ばかりではなく、危険なことも待っている。
「おらっ!」
「死ねや、結衣!」
この近辺には、不良グループが複数存在する。
縄張りの拡大や縄張りを巡る喧嘩は、日校茶飯事。
道を歩いていたら、釘バットやナイフを持った不良たちから突然襲われる……なんてことも、普通にある。
「ぐはっ」
「ちくしょう、てめえ! ――が!」
その日の相手は、七人だった。
姉妹のように仲良く歩いていた結衣と咲希にとってみれば、明らかに多勢に無勢。
普通に考えれば負けるのだが……結衣は、とにかく強かった。
それがなんでもないことのように、一人、また一人と、凄まじい拳や蹴りで沈めていく。誰も結衣に敵わない。武器を持っていようと関係ない。
「やっぱり、強いな、こいつ!」
「くそがああ!」
人数の有利を活かし、ひとりが囮になり、もうひとりが後ろから結衣に襲い掛かった。
背中にまともに蹴りを喰らった結衣は、少し顔をしかめるが、問題はない。
そのまま、振り向きざま、拳を相手の顔面に叩きつけようとして――。
「てめえ! 結衣姉に何すんだ!」
「! ば、出てくるな! 咲希!」
それは、その日に限って起きたイレギュラー。
それまで物陰から様子を見守っていた咲希が、あろうことか飛び出してきてしまった。
そういえば、咲希の前で誰かから一発喰らうのは、これが初めてだと結衣は頭の片隅で気づく。
「は? なんだ、こいつ!」
「邪魔だ!」
「うわっ」
相手のひとりに顔を殴られて、咲希は吹っ飛んだ。
そのまま、道路の上へ倒れて――そして、結衣がキレた。
「てめえらぁ!」
「――え?」
「うわ!」
「ひいっ」
「ただじゃ返さねえぞ!!!」
妹分をやられた結衣の怒りは凄まじかった。
襲ってきた不良少女達を、あっという間に吹き飛ばした。
その不良少女達とは、何度も拳を交えた仲だ。けれど、ここまで……ここまで鬼のようにキレた結衣を見るのは、その日が初めてだった。
「……やっぱり、結衣姉、すげえ!」
あっという間に喧嘩が終わった。
結衣の戦いぶりに、どきどきと胸を高鳴らせた咲希は、思わず声をあげた。
気絶した不良少女達が倒れている中、咲希は子供のように結衣に近づいてきた。
殴られた頬は腫れているが、大事はないようで、ぴんぴんしていた。
だが、当然、結衣の怒りはまだ収まっていない。
そもそも、怒りの原因は咲希の軽率な行動なのだ。
本来なら、つい怒鳴りつけてしまうところだが……結衣は、駆け寄ってきた咲希の頭に手を置いた。
「……咲希。喧嘩の時は、隠れて見てろって言ったろ?」
「……そうだけど。でも、結衣姉がやられてるところ見たら、我慢できなかったんだ」
嬉しいことを言ってくれるが、ここで甘やしてはいけない。今後、咲希が安全でいるために。
「咲希。約束してくれ。もう二度と、こんなことしないでくれ。怪我でもしたらどうする?」
「そうだけど……でも、約束なんてできないよ。結衣姉が危ない目に遭いそうな時は、わたしは助けに行く」
無邪気な気持ちをまっすぐに伝えてくる咲希に、結衣はたじろぐ。
……が、咲希のために、ちゃんと話をしないといけない。
「……いいか、咲希。約束できないなら、わたしはもうお前とは一緒にいられない」
「! ……な、なんでだよ! なんでそんなこと言うんだよ!」
「お前のためだよ。お前が傷つくとこなんて見たくねーんだよ、わたしは」
「……いやだ」
しかし、咲希は不満げに駄々をこねる。
その幼い見た目も相まって、完全に子供だ。
「結衣姉が危ない時は、助ける。それで、結衣姉とも一緒にいる」
「……お前な」
我儘を言う咲希に、結衣は困ってしまう。
「……それなら、結衣姉。わたしにも教えて」
「? ……何を?」
「喧嘩の仕方。わたしも、強くなる。誰にも負けないくらい。それなら、いいだろ?」
「――いや、よくねえよ!」
「……っ。……やだ! 絶対、そうする!」
「……おいおい」
心を開いてくれた可愛い妹分。
だけど、その分、我儘を言うようになってしまった。
まったく、ガキみたいで面倒だと、結衣は思った。
……でも、どうしてか、心が温かく、そして、口の端が微笑みを浮かべてしまう。
🐈
「いいか、咲希」
それから、数日後。
相手のことを思いやり、初めての姉妹喧嘩のような真似までして……結局、結衣が折れた。
なので、今日は、結衣直々に、咲希に喧嘩のやり方を教えていた。
「お前は身体が小さい、背も低い。必然的にパワーが足りない。だから、そもそも、真っ向からのパワー勝負に向いていない」
「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ?」
「ああ。だけどな……体が小さい分、お前は的が小さい、その上で小回りも利く。だからまず、お前は相手の攻撃を避けることを覚えろ。そうすりゃ、相手をかく乱することもできるし、体力を削ることもできる」
「なるほど、そうか」
なんでか、興味津々と言った様子で話を聞いてくる咲希。
結衣的には、あまり嬉しくない光景だった。
そもそも、結衣は、咲希に危ない真似をして欲しくないのだから。
「……それで、次だ。咲希、お前は人間の急所を全部暗記しろ」
「……人間の、急所?」
「ああ、そうだ。人間には、鍛えたくても鍛えられねー弱点がある。それが、急所だ。そこを的確に捉えれば、お前の力でも、相手を倒せる」
「おお、わかった! わたしは、急所を覚える!」
「やる気満々だな……」
「? ……いいことだろ? 何がいけないんだよ?」
何もわかっていなげな咲希に、結衣はため息交じりに告げる。
「本当は、こんなこと覚えちゃいけないんだぞ?」
「なんでだよ。結衣姉と一緒に戦うために必要なことだろ?」
「だから、戦わなくていいんだよ。本当は」
「いやだ! わたしは結衣姉と一緒に戦う!」
「……この、我儘娘」
と、結衣がまたも頭を抱えた時だった。
「よお、何してんだ?」
「静香」
「……秋山さん」
突然、現れたのは、結衣がリーダーを務めるチームのメンバーだった。
名前は、秋山静香。結衣とは幼馴染であり、チームのナンバー2と呼べる存在だった。
飾り気のない結衣と違い、秋山は髪もいじくり、化粧もしていた。
結衣と咲希がいるのは、チームがいつもたむろしている廃工場の近くなので、秋山は様子を見に来たらしい。
秋山に向け、結衣は、肩をすくめながら答える。
「喧嘩の特訓だよ。不本意ながらな」
「なんでだよ。結衣姉はもうちょっとやる気出せよ」
不満げな咲希と、呆れながらもどこか嬉しそうな様子を見せている結衣を見ながら、秋山は言った。
「ずいぶん、このチビを可愛がってるんだな」
「チビ!」
チビという単語に反応するが、秋山相手では咲希も怒れない。ぐっと我慢した。
「まあ、そうだな。可愛い妹ができた気分だな」
「……そうか。まあ、せいぜい、頑張んな」
「う」
秋山は咲希の頭をひと撫でしてからその場を去った。
「……秋山さんて」
「ん?」
立ち去る咲山の背中を見ながら、咲希は自分の正直な気持ちを言う。
「少し、怖い感じだよな。結衣姉の親友なのに」
「? どういう意味だ?」
「だって、結衣姉は明るいだろ? 爽やかだし」
「あー、そういう意味な。まあ、静香は人見知りなとこあるからなあ……でも、ま。すげえいい奴だぜ」
「知ってる。結衣姉の親友だしな」
そんな風に、時間は過ぎていく。
咲希はそれまで以上に結衣にべったりになり、とうとう、結衣のチームにもたびたび顔を見せるようになった。
結衣は、咲希をチームに入れるつもりは、さらさらなかったが、それも根負けして、了承してしまう。
ただ、咲希はやっぱり人づきあいが苦手なのか。
チームのメンバーと打ち解けることはなく、もっぱら、いつも結衣のそばにいた。
結衣が統率するチームは、一般的に恐れられているものとは違い、カツアゲ、クスリ、一方的な暴力などは振るわなかった。
ただ、表の世界で弾かれた者達に居場所を与え、喧嘩などは、誰かを守るためか、他のチームから売られた時以外はしない。
主な迷惑行為と言えば、夜の街をバイクで疾走することくらいか。
「あはは!」
――それは、世間一般的に見れば、よくないことだろう。
未成年である咲希が、夜の街を彷徨い、反社会的とも言える集団に交じり、行動している。
……けれど、そんな日々は、咲希にとっては、とても大切な時間だった。
それまで、孤独で、苦しんでいた少女が、笑える時間だった。
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