第7話 子猫と海

「バイクに乗るのは、初めてか?」


「――は、はい!」


 廃工場から脱したバイクは、そのまま長い長い道路を爆走し続ける。


 もう、夜明けが近く、道路に車の姿はない。


 薄暗い夜の道を、貸し切りのような形で満喫する。


「怖いか?」


「――へ、平気です!」


 なぜ、その時の咲希が精一杯の強がりを口にしてしまったのか、今でもわからない。


 ただひとつはっきりしているのは、それが命取りになったこと。


「はは! なら、もっと飛ばすぜ!」


「ひっ!」


 その言葉通り、さらにバイクは爆音を響かせ、凄まじい勢いで風を切り裂きながら爆走する。


 体験したことのない爽快感、凄まじい風圧と、事故ったら終わりという恐怖。


 それは、咲希が今までに知らないことだった。


「こんなスピード出して、事故になったらどうするつもりですか!」


「ああ? なんだって?」


 激しいバイク音と風の音で聞こえないのか、結衣は首を傾げる。


 そして、咲希の方を向くものだから、咲希はさらに恐怖を感じる。


「前! 前見てください!」


「? だから、なんだって? 聞こえねえよ!」


「前ええええええ!」


 そんな感じでひたすら走り続け、気づけば街を抜け出し、海へと出ていた。


 海と砂浜と並走する道路を、ちらほら増えてきた車と共に走る。


「……」


 ぎゅううと、会ったばかりの少女の背に抱き着きながら、咲希は戸惑っていた。


 なぜ、こんなことになったのか。


 自分は何をしているのか。


 様々な疑問とバイクで走っていることへの恐怖が、咲希の心を混ざり合う。


 ……おまけに、こんな風に、誰かに抱き着くなんて、初めての事だった。


 これが、人の感触。


 自分以外の人間の温かさ。


 ……咲希は、なんだか不思議な感覚を覚え、そのことに戸惑っていた。


「咲希!」


「っ!?」


 ついさっきまでの悪夢の爆走は終わり、今は法定速度よりもゆるめに走っている。


「海! 見てみろよ!」


「……海?」


 ―――――――――


 その瞬間、だった。


 海の水平線の彼方に、一閃、一筋の光が走り、世界を切り裂いた。


「……」


 その光の筋は、徐々に広がり、やがて、輝く太陽の光の白さが、世界を染め上げた。


「――」


 その光景は……咲希の心に、感動を齎した。


 生まれて初めて見る、自然の美しさ。


 バイクの後ろで、風を感じながら、そんな光景に魅入る。


「……へ」


 言葉を忘れ、海と太陽に見入っている咲希の様子を見て、結衣は満足げに笑う。


 ウインカーを出し、左に折れ、そのまま速度を落としてゆっくりと砂浜へ入っていった。


 太陽は昇り続け、海が輝き、朝が訪れ始めていた。


「どうだ、すげーだろ?」


 バイクを砂浜へ止めて、歩いて海へ近づいたふたり。


 結衣は、自分の宝物のように、世界の美しさを自慢した。


「……」


 感動のあまり、言葉を紡ぐことができない咲希は、けれど、素直に頷いた。


 それを見て嬉しくなった結衣は、くしゃくしゃと咲希の頭を撫でた。


「だろ?」


「! な、何するんですか!?」


「お前、よく見ると、可愛いな」


「――!」


 頭を撫でられながら、至近距離でそんなことを言われて、思わず咲希の顔が赤くなる。


 人のことを可愛いなんて言っているけれど、そっちこそ、呼吸を忘れてしまうくらいに綺麗な顔をしている。


 同性が相手なのになぜかどきまぎしてしまう咲希。


 笑いながら頭から手をどけて、結衣は言った。


「なあ、咲希」


「……なんですか?」


 乱された髪を整えながら、咲希は、結衣を見上げた。


「またなんかいやなことがあったら、わたしんことに来い。また、この景色を見せてやるよ」


「……」


 にかっと笑う結衣の眩しい笑顔に、咲希は、一瞬、時を忘れる。


 そのまま、しばしの間、固まったまま結衣を見上げていた咲希は、何かに気付いたようにはっとなって、顔をそむける。


「あ、あなたは……不良、ですよね」


 不良。社会の落ちこぼれとして評される称号。


「あん、そうだよ。それがどうかしたか?」


 なんの悪びれもなく肯定する結衣に、咲希は心臓を締め付けられたような痛みを覚えた。


 社会から逸脱する――否定される――それは、それだけは、あってはならないことだと、父から厳命されているからだ。


「……不良の人とは、付き合えません」


 だから、言った。


 言ってしまった。


 何をするかわからない不良を相手に。


 けれど、その不良以上の恐怖を咲希の心が支配していた。


 父という名の、恐怖が。


「はは、お前も立派な不良だろ。家出娘」


「……!」


 その太陽みたいな笑顔が――咲希の心の暗闇を溶かしていく。


 急に、波音が響いた。


 海と光の世界で、咲希は、ぽつりと聞いた。


「……あの」


「ん、どうした?」


「……どうして、わたしなんかにかまうんですか?」


「……」


 もともと小さいのに、さらに咲希が小さく見えるくらい……彼女が不安がっていることがわかった。


 だから、結衣は微笑んで、言ってやった。


「放っておけるわけねえだろ。言ったろ、わたしも家出娘だ」


 また、咲希の小さな頭を撫でる。


 初対面なのに、気安い。気安すぎる。


 けれど咲希は、逃げ出さずに、そのまま撫でられていた。


 その撫で方は、まるで子猫を撫でるように優しかった。


「お前の気持ちはわかるよ。もちろん、全部じゃねえけど」


「……」


「だからさ、わたしを頼れよ。な」


「……っ、――、っ」


「……やれやれ」


 泣き始めてしまった咲希を、結衣は優しく抱きしめた。


 こんな、会ったばかりの人に優しくされたくらいで泣いてしまう……それほどまでに追い詰められた少女がいることに、こっちまで泣きたくなる。


「ま、今はさ、泣きたいだけ泣けよ」


「……ひくっ、うあ、ああああああ!」


 ――そうして、咲希は、それから、結衣と一緒に過ごすようになった。

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