第2章 子猫の思い出

第6話 子猫を拾う

「かはっ」

「ぐあっ」


 夜の廃工場で、男たちの悲鳴が木霊する。

 腹を蹴られ、顔を殴られた男ふたりは、悲鳴をあげて倒れこんだ。

 しかし、すぐさま起き上がり、自分に攻撃を加えた相手を睨みつけるも……相手が放つ迫力に、反撃することに二の足を踏む。


「さっさと失せな」

「「――っ!」」


 それは、動物的本能だった。

 今、目の前にいる相手には敵わない。

 そのことを、瞬時に察した。 

 自然界における弱者の選択は、逃走のみ。

 男ふたりは、コンクリートの地面を蹴り、背中を向けて逃げ出した。


 その後ろ姿を見送った背の高い少女は、「はあ」とため息をついてから、ついさっきまで、逃げた男達に襲われていた少女に目を向けた。


「おい、大丈夫か?」

「……っ」


 小柄な少女は震え、目には涙を溜めていた。怯えるように、両手で自分の身体を抱きしめている。

 ついさっきまで、自分よりも大きな男ふたりに乱暴されそうになっていたのだから、当然の状態だった。


 ……低い身長に幼い顔立ち、着ている私服も子供っぽい。その姿は、どこか、捨てられた子猫を連想させる。


「こんな時間にこんなところにいるからだぞ? てか、どうして小学生がこんなところにいるんだよ?」

「――っ」

「あ?」


 何か、まずい発言をしてしまっただろうか?

 涙目の少女は、キッ! と自分を睨み、叫んできた。


「わたしは小学生じゃない! 中学生です!」

「――」


 その迫力に、一瞬、あっけにとられてから。


「……いや、小六も中一も変わんねえよ」

「中学三年です!この春から高校生です!」

「――マジかよ。はは! 悪い、悪い、そりゃ、失礼した!」


 背の高い少女は快活に笑う。

 だが、少女はまだ悔しそうに背の高い少女を睨んでいた。

 もしかしたら、自分の小柄な体を気にしているのかもしれない。


「んで、どっちにしても、なんでこんなところにいるんだよ? さっきみたいに襲われたって文句言えないぞ?」

「……」


 視線を逸らし、顔を伏せた少女の様子から、すぐにピンと来る。


「なるほど、お前、家出娘だな?」

「っ」


 図星だろう。

 少女の身体が震えた。


「親と揉めたのか?」

「……」


 言い返せないのか。

 心が弱っているのか。

 いずれにしても、少女は何も答えない。

 背の高い少女は、ぽんと少女の頭に手を置いた。


「ま、その気持ちはわかるよ。わたしも、絶賛家出中だからな。はは、人のこと言えねえ」

「――」


 相手の言葉が意外だったのか、少女は顔をあげる。

 そして、初めて、相手の顔をはっきりと見た。


 ――綺麗だ、と思った。


 どう見ても、ヤンキーで、喧嘩も強くて、男勝りで……なのに、その顔は、とても綺麗で、そして、優しかった。


「まー、事情はわかった。で、どうする?」

「え?」

「家に帰るか? それなら、送ってくぜ? それとも、まだ帰りたくないか?」

「……」


 背の高い少女の質問に……少女は、すぐに答えられない。

 背の高い少女が発したのは、自分の心の深いところに触れる質問だったからだ。

 それでも……少しの逡巡の後、素直な気持ちを伝えた。


「……帰りたくない」

「そっか。なら、ほら」

「え、きゃっ」


 突然、何かを投げ渡された。

 けっこう、大きくて、重いので、受け止めきれずに落としてしまった。

 廃工場に、けっこうな音が響いた。


「ご、ごめんなさい!」


 慌てて謝って拾い上げる。

 けれど、背の高い少女は笑った。


「気にすんな。てか、今のはわたしが悪い。ほら、それを被ったら乗りな」

「……」


 渡されたのは、ヘルメットだった。

 そして、背の高い少女が歩いていく先には、一台のバイクがある。

 バイクに興味なんてなかったけど、そのバイクは、とてもカッコよく見えた。


「これで……いいん、でしょうか?」

「おう、上等。似合ってんじゃねえか」


 ヘルメット越しに、頭を撫でられる。

 恥ずかしさで、顔が、かああ、と赤くなると同時、子供みたいな扱いに、少しだけ腹も立った。

 ドルン! ドルルルン!! ……!!!


「っ」


 突然、バイクのエンジン音がして、アイドリングの音が響き続ける。


「ほら、わたしの後ろ。さっさと乗りな」

「……どこへ、行くんですか?」

「家に帰りたくないんだろ? なら、わたしの暇つぶしに付きあいな」

「……」


 あっけにとられ、少女は、またも逡巡する。

 出会ったばかりの人に、簡単について行っていいのか?

 それも、どう見てもヤンキーな年上の女性に。

 常識的に考えるなら、答えはNo。

 ……でも。

 

「……」


 この人は、襲われていたわたしを助けてくれた。

 ……優しい、笑顔を浮かべてくれた。


「……」


 迷った末に、少女は、バイクの後ろ――背の高い少女の後ろの座席に乗った。


「わたしは、天乃結衣だ。お前は?」

「――」


 突然、始まった自己紹介に、面喰らう。

 ……けれど、少女は、答えた。


「……咲希。愛宮咲希」

「咲希か。可愛い名前だな」

「……」


 名前を褒められたのは、初めてで、また少し顔が赤くなる。


「てか、お前。お嬢様だろ? 話し方とか仕草でわかるよ」

「!」


 今度は、素性を言い当てられてどきっとして。


「じゃ、行くか」

「っ」


 心が落ち着く間もなく、バイクが急発進。身体に急激な負荷がかかる。

 後ろへ落ちるかもしれない恐怖心から、咲希は結衣に抱き着いた。

 バイクは、廃工場を出て、爆走を始める。


「咲希」

「――な、なんですか!?」


 バイク音と風に負けないよう、結衣は叫んだ。


「お前に、いいもん、見せてやるよ!」

「――」


 ――これが、咲希と結衣の出会い。

 ひとりぼっちだった咲希に、一番最初に声をかけてくれた人との……大切な記憶。

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