第7話 面倒になりそうでして(2)
11月23日。
いつもよりちょっぴり華やかにした料理と、大好物であるトロトロ卵のオムライスをテーブルへ。一緒に食べることは出来ないけれど、その分大食堂はふんだんに飾り付けた。ガチャリとウェンディに連れられやってきたダリアを控えめな紙吹雪が出迎える。
「「「お誕生日おめでとうございます」」」
今日はダリアの7歳の誕生日だ。
回収しやすいよう敷いてあるマットの上、自分にふりかかった祝福の欠片に目を見開く。そしてじわりじわりと理解したのか、手の平に落ちたピンク色と前にいる侍従達、斜め後ろのウェンディとを交互に見つめて……満開の花が咲いた。
「っみんなありがとう!本当にうれしいわ!」
ふふ、なんて素敵な誕生日なの。
垂れ下がった眉も、うっすら涙の膜が見える瞳も、喜びのあまり溢れ出した感情によるもの。ダリアにとっては侍従達からもらうこの祝福こそが何よりのプレゼントに思える。欠片がない右手で思わず胸元を握りしめる。これは感情が大きく揺れた時のダリアの癖であり、落ち着くための仕草だった。
肩より少し長めの、手入れが行き届く美しい黒髪に着地した数枚を、さりげなく取り払ったウェンディに促されて座る朝食の席。
「おめでとうございます、ダリア様」
その直前……ひっそり贈られた祝福の言葉がたまらなくダリアを喜ばせる。ありがとうと小声で告げる幸せいっぱいの表情に、ウェンディもまた穏やかな微笑みを浮かべた。
「(せめて今だけは)」
どうか素直に笑っていてほしい。そう願うことしか出来ない自分の不甲斐なさに唇を噛み締めた。
──── ──── ────
大好物に目を輝かせながらも、相変わらず洗練された所作で朝食を済ませたダリアはテキパキと身支度を整え学園に向かわんとしていた。
トン、磨きぬかれた新品同様の靴に足を滑らせ並んで待つ見送りの侍従達と向かい合う。斜め後ろには風で靡く紫色の髪を押さえたクロが、いつでも送迎用の車に乗せられるよう控えている。細目であるのと、常に微笑をたたえているせいか何を考えているのかわかりにくい人物だ。
「いってきます」
「あ、ダリア様お待ち下さい」
「あれ……?忘れ物あったかしら」
ウェンディが半歩前に出ていってらっしゃいませ、そう言おうとした瞬間大事なことを思い出した。
かけられた静止の声にもしかして忘れ物をしたのだろうか?自分の持ち物を確認していくが途中で「ドレスについてです」と告げられ動きが止まる。見つめ返す表情はどこか強張っていた。
「準備する必要がありますから」
「……うん、そうね」
「どのようなドレスに致しましょうか」
それもすぐさま笑顔へと切り替わる。あんまりキラキラしすぎてないドレスをおねがい!との希望にいくつかあるドレスを思い浮かべ、心の中で頷いた。
「「「いってらっしゃいませ」」」
「いってきます!」
今度こそ出て行く主人を見送った。
執事のクロが運転する乗り物……魔力接続型自動走行車、通称「接続型走行車」はその名の通り魔力を繋いでいる間運転し続けることの出来る代物である。
一度本人の魔力を登録してしまえば基本的に許可がない限り他者には使用出来ないため、防犯性に優れており個人で所持する者が多い。
反面、繋ぐ魔力が切れた時点で使えなくなりただのガラクタと化してしまうデメリットもある。
他にも種類があるが、今はおいておこう。
接続型走行車で学園へ向かったのを確認し、屋敷に戻った侍従達はこれからうんと忙しいのだから。
「さて……皆さんわかってますね?タイムリミットはダリア様が帰宅される時刻までです」
と、普段から乏しい表情を厳しくして凄む。
短くはっきりした返事が重なって聞こえた後、各自が散っていった。ウェンディも自分の担当する場所へ足早に歩き出したその時、玄関先に立つ何やら訝しげな様子のオクシスに引き止められる。
「アイツ誕生日なんだな」
「それが何か?」
「オジョーサマだろ、こういうのってもっと派手にやるもんだと思ってた」
実は朝食の席から大食堂におり、キッチン付近でダリアと侍従太刀のやり取りを眺めていたが故の疑問だった。
貴族の誕生日といえば派手にパーティやってアホほどプレゼントをもらう。そんなイメージしかなかったオクシスにとって不思議で仕方がない。元々充分豪華な食事とはいえ、それを少し彩り鮮やかにしただけの朝食と祝いの言葉のみ。むしろプレゼントも何もなく、ダリアを慕っていそうな割に冷たいんだなと考えたりした。
「誕生日パーティでしたらやりますよ、ここではなく旦那様と奥様が暮らしている別邸の方で」
「ふーん」
「まぁ貴方の想像するようなきらびやかなパーティじゃないかと。帰宅されたらすぐ準備しなくてはなりませんし、何よりめんど……ゲフンッ旦那様が迎えに来ると連絡がありましたので今日は忙しいですよ」
「ん?面倒って言いかけてねぇか?」
「そんなまさか」
ウェンディの頭の中に昨晩受けた旦那様からの連絡が過る。帰宅したあとパーティの間に合う時間に迎えに行く、とだけ伝えて切られた簡素で冷たい業務連絡。ダリアを思いやる言葉一つなく終わったソレに一人キレ散らかしていたことまで鮮明に蘇ってしまい、本音がこぼれかけた。
やれやれ危ないところだった。有無を言わさぬ笑顔でオクシスの追求を黙殺し、そのまま歩き出すかと思われたが今度は与えられている部屋に向かおうとしたオクシスをウェンディが引き止める。
「無理のない範囲で構いません、オクシスも少し手伝って頂けませんか?勿論簡単なものです」
ちゃんと侍従もつけますよ。
数秒悩み、案外あっさり頷いた。誰かつくなら面倒な仕事はないだろうし重要なモンだって任せねェだろ。なんて考え以上に、大分回復しつつあるオクシスは意外と暇であった。
ちょうどよく素早い足取りで横切ろうとしていた侍従を一人呼び寄せる。やってきたのは肩より少し短く切り揃えた淡い紫色の髪を、一房三つ編みにして耳にかけるメイド……ウェンディの先輩にあたるロメリアだ。
しかしそれもダリアに仕える歴ならウェンディの方が長いということでメイド長を任されている。
「ロメリアさんにお願いがありまして」
「その少年でしょう?」
「話が早くて助かります、まだ無理はさせられませんが面倒見てあげて下さい」
「了解いたしましたメイド長」
髪色と比べて赤みがかった目を伏せ、メイドの見本になりそうな美しいお辞儀をみせたロメリアは白い頭を一瞥したかと思いきや、何も言わず立ち去ってしまうではないか。慌てて後ろをついていった。
両腕に抱えた大荷物が顎先まで積んであり視界不良に思えるが、もはや慣れたもの。ふらつく気配なく軽快に屋敷内をすすむロメリアの少し後方、バタバタと若干駆け足気味の足音が続く。
どこへ運ぶのか、自分も持った方がいいのか。一体どうしたら良いのかわからずただついていくしか出来ない。
一言も喋らないロメリアとオクシスのリズムの違う足音だけが響く気まずい空間はふいに破られた。
突如口を開いたロメリアによって。
「オクシス、と言ったわね」
ぴたり。急に止まった背中に当たらないよう何とかブレーキをかける。前を向いたまま投げかけた言葉は温度があれば相当冷えているだろう。
「ダリア様は気にしておられないし、ウェンディにしても戸惑ってたのは最初のみで今じゃ普通に接してる」
「……はっきり言えばいいだろ」
「えぇそうね、正直遠回しな言い方は好きじゃないから言わせてもらうわオクシス」
敬語をやめ、冷たく棘のある言葉遣い。
近くの壁際にあった小さなテーブルに腕の中の物を一度置いて振り返った。治療の甲斐もあって多少キレイになった白髪を見下ろし告げる。
「あの二人以外、貴方が嫌いよ。いやちょっと違うわね色無しという存在への嫌悪と恐怖があって苦手なの」
「そーかよ」
「色無しを受け入れた事でダリア様は絶対に嫌な思いをする、もしそうなっても絶対に表に出そうとしないわ」
色無し自体への嫌悪と、それによってダリアにかかる負担への恐怖。なるほど確かに見上げた先の瞳は声ほど冷たくない。むしろダリアを思う温かさが感じられた。
真っ直ぐ見つめながら素直に曝け出された感情はたとえマイナスであっても中々どうして悪くない。
「怪我人として屋敷におくことは認めてるけど、苦手意識はそうそう消えないの、覚えておいて」
「おーよろしくロメリアサン」
オクシスの返しに眉を顰める様子があからさますぎる。色無しであることもそうだが、ダリアを「殺そうとした」事実から好きになれないのもあった。それでも下手に誤魔化されるより遥かにマシだろう、少なくとも治るまで安全に過ごせるのだから最高レベルの宿といえる。
「自分達は貴方が苦手です」と言われる程度なんの痛みもない。降り注ぐ魔法や拳、突き刺さるゴミクズへ向けるような視線、自分は存在してはならないモノだと突きつけられてただ何となく息をしていた時と比べればずっと良い。悪意と呼ぶには優しい忠告だ。
ロメリアの知らぬところで好感度があがっていた。
──── ──── ────
「ふざけてるのかッ!!?」
男の怒鳴り声が響く。
屋敷内は当然として外に聞こえていてもおかしくない怒号。ワックスで軽く撫でつけていた深い緑色を振り乱し、前髪がいくらか垂れたまま目の前に立つ幼い少女をキツく睨みつける。少女は俯いて喋らない。けれど、帰宅してから侍女達が気合をいれて準備してくれたドレスの端を握りしめる手がかすかに震えていた。
カッチリした正装、最高級のアクセサリー。清涼感漂う香りを纏うこの男の名はロベロ・スカーレット。
「何か言ったらどうだ、ダリアッッ!!」
──ダリアの父親であり本来の屋敷の主人だ。
ことの真相は簡単である。学園から帰宅したダリアを誕生日パーティに備えて準備し、最後の確認をしていたタイミングで怒鳴り込んできたのだ。後ろにクロを携えて。
怒り心頭といった様相でダリアの名を呼び、いる侍従を遠ざけたロベロ。要件は一つ……「色無し」を助けたどころか屋敷に招き入れたことについてだった。
乗り込んできたのがわかった瞬間、オクシスと一緒に空き部屋へ隠れたウェンディの顔が曇る。
「(連絡もらった時にそんな様子はなかった……!何でこんな大事な日に伝えたの、クロさん!)」
ロベロの斜め後ろに控える執事、クロのにっこり貼り付けた笑みが此時ばかりは憎たらしい。
今朝送り届けたあとにでも伝えたんだろう。どう言ったのか知らないが、もう少し言うタイミングを考えてくれないものかと内心舌を打つ。
扉の向こう側、玄関からすぐの大広間の状況は依然かわらない。離れた位置で様子を見るしか出来ない侍従たちとダリアをひたすら怒鳴るロベロの構図だ。いつも叱る時以上のすさまじい憤慨っぷり。黙して抵抗しない、出来ない見慣れた幼女の姿に強く唇を噛みすぎて血の味がした。
「おい…何で助けねェんだよ」
「っ黙ってくれますか」
「なに、」
「貴方を隠した意味がなくなってしまう」
とうとう手の平がまろい頬を打った。
「ふざけた真似を…!そんなもの捨ててこい!お前は王子に気に入られることだけ考えてればいいんだ」
色無しなんて汚らわしいもの捨ててしまえ!
肩で息をしながら叫ぶ。打たれた頬を押さえる娘の姿が見えているのに、気にもとめない。せっかく可愛く編み込んでもらった黒髪がその衝撃でバラバラに解れて酷い有様だ。
ロベロは更に続ける。
「とっとと出せ、私が処分する」
「……」
「いいから出せ!言う事が聞けないのか!?」
「(まぁ、しょうがねぇわな)」
結構居心地良かったんだけどな、妙に胸があったかくなったし。でもここが潮時ってことだ。オクシスは快適な宿がなくなっちまったな、と脳裏にこびりつく柔らかな笑顔を頭の片隅に無理矢理追いやる。
色無しを出せ!そう喚く男を冷めた目で見つめ立ち上がる──が、背後より拘束され動けなくなった。
「ダメですよオクシス」
小声で喋る、人を殺しそうな表情のウェンディによって抱え込まれてうまく動けなくされてしまう。
「テメェ何しやがる!オレが出ていけばそれで全部解決すんだろうが!むぐっっ!?」
「声を小さく!ダリア様が許可していません」
「はっ?」
「昨晩、言われてるんです」
出て行こうと抗っていた動きが止まる。確かにオクシスが出て行けば騒動は終わるだろう。けれど当のダリアが昨晩、こう言っていた。
──もし明日……お父さまが、オクシスを見つけたり気づいてしまっても絶対にわたさないで。どうするかなんてわかりきっているもの、そんなこと私が許しません。
それで自分がツラく当たられようとも構わないと、決意のこもった瞳がウェンディを貫いた。
唯一無二の主人たるダリアの決意を無にする訳にはいかない。だからこそ即座にオクシスを隠した。まぁ、そもそもやってくる時点でバレているとは思っておらず最悪の事態と化しているのだが。
それに、まだ治療中の怪我人だ。
「貴方を差し出すつもり、ありませんから」
「ならアイツらは……!」
「全員ダリア様の意思を知っています」
「ッッ!!」
馬鹿じゃねェのか!!感情のままに出そうとした大声は咄嗟に飲み込んで、音にならず消えていく。
抵抗のなくなった身体を離したウェンディは大広間を静かに見つめる。本当なら今すぐ駆け出したいしあのムカつく男をぶん殴りたいが、違う。自身の選択だと覚悟を決めた主人を信じなくてどうする!腕を握りしめて動き出しかける身体を耐え、ただじっと見守った。飛び出すことになる……その時まで。
場所はかわり大広間。
「……す」
「ん?何か言ったか」
「彼はものなんかじゃありません、私たちと同じふつうの人間です!たとえお父さまのお願いでもきけません」
「は、」
ぎゅ、オレンジを基調としたドレスを握る手に力が入る。俯く顔をあげたために痛々しい頬が丸見えだ。しかし涙はどこにもなく、決意に満ち溢れた力強い瞳の美しさはまさに主人の風格。幼い少女が見せた上に立つ者の片鱗かもしれない。絶対に譲るものかと凛々しく立つ姿に気圧されたロベロの足が一歩下がる。
だが、ロベロも攻め方をかえた。初めて自分に抵抗する娘を一度忌々しげに見下ろし、逸らす。
「誰でもいい、色無しをつれてこい」
ズラリと控えた侍従への命令だった。
勿論、真っ先に動いたのはウェンディである。待ってました!と素早く空き部屋から飛び出した。オクシスが部屋を出ないように魔法で軽く拘束した辺り徹底されている。
ロベロの正面……ダリアの前に立ち深く頭を下げる。女性にしては随分と身長がある上にメイド服も壁となってドレス姿の主人を隠した。
「メイド長のウェンディと申します」
「そうか、お前今すぐ!色無しを連れてこい」
「お断りします旦那様」
「なっ!!……チッ、そういえば娘のお気に入りだったな。おい、他のメイド共誰でもいいそいつを出せ」
「残念ながら無理ですよ」
何?
ウェンディの存在をうっすら思い出し、こいつじゃ無理だと察したものの他も無理とはどういうことだ。威圧感たっぷり見下ろそうが微動だにしない、その後ろに屋敷内の侍従達が勢揃い。背筋を伸ばして綺麗な姿勢でロベロを見やる侍従達は誰一人オクシスを連れておらず、動く気配がない。
全員同じ気持ちでここに立っていた。
「私はダリア様専属ですが元々旦那様に雇われてます、屋敷の侍従にしても雇い主は貴方で違いありません」
「っだったら指示を聞け!」
「いいえ……雇い主が旦那様であれ、今の主人はダリア様です。私達が慕い、ついていこうと心から思う主人の意思を尊重します」
案の定苛立ちがピークに達しているだろうに、何も言えず立ち尽くしていた。若いメイド三人がそれなりの家生まれなのも決断しきれない理由の一つだった。
それでも自分に逆らう者への苛立ちはおさまらない。乱れた髪と崩れてしまった正装も余計に苛立たせる。下がっていた足を戻し、更に数歩前に出て開いた口から罵詈雑言が出てくる──ことはなかった。
「旦那様、お時間になってしまいます」
クロのその言葉にバッ、と右腕の腕時計を見る。魔法仕掛けの高級なソレが示す時間は予定よりも進んでいるじゃないか。本邸までの道程と諸々を踏まえたらあまり時間がない。
「また今度考えましょう」
「ああ……そうだな、たかが侍従といらんものに使う時間が勿体無い。今は誕生日パーティと王子だ」
「では急ぎ車の方へ」
「おいダリア!!行くぞっ!」
「はいお父さま」取り急ぎ簡単に髪を纏めてもらい慌てて駆け寄るダリアの腕が荒々しく掴まれた。大股で歩き出すロベロに、ひっぱられる形で必死についていく足音がパタパタ忙しない。
あとはよろしくお願いしますと、屋敷に残る侍従達へ告げたウェンディも駆け寄り四人はクロの運転する接続型走行車で別邸に向かったのであった。
しばらく静まり返った屋敷内は一番の古株、救護を担当している妙齢の女性オリーブによって音を取り戻し各自ゆっくりと仕事へ戻り始めた。そうして誰もいなくなった大広間にぽつんと人影が一つ。空き部屋から出てきたオクシスは、玄関をただただ睨みつける。
「すぐわかるってこういうことかよ……っ」
苛立ちとも、哀しみともとれる歪な表情でもらす。つい先日ウェンディに言われた意味を理解してしまった。
今朝見せたあの愛らしく咲き誇る花のような姿なんてどこにもなく。父親だという男が来てからずっと、強張った顔ばかりでダリアは幸せそうに見えなかった。
モヤモヤと形にならない感情がオクシスを蝕み、苦しめる。思い切り握りしめた拳を近くの柱に叩きつけかけて……力なくおろす。ロメリアに呼ばれるまで行き場のない怒りを抱えて玄関前に佇み続けた。
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