第5話 無事何とかなりまして


 気づいた時にはもうすでに遅い、ウェンディはただ名前を叫ぶしか出来なかった。ダリア様!?と。

 少年の振りかぶったナイフはお腹に刺さることなく。代わりに、いつの間にか目を覚まし飛び込んだダリアの左肩を突き刺したのだ。両手で勢いよく振り下ろしたナイフが柄のギリギリまで深く、深く。



 数秒待っても身体に何かがぶつかった小さな衝撃しか感じとれず、中々やってこない痛みに可笑しいな……とゆっくり目を開いて、言葉をなくした。自身を刺し貫く筈だった刃が幼い少女の肩にあるじゃないか。


「ぁ、え……?」


殺すつもりで侵入したのに、一瞬それを忘れてしまうくらいショックな光景だった。自分が、人を、この手で刺した。


 呆然と固まる少年を庇った当の本人はといえば、あまりの痛さと熱さで意識が朦朧としている。肩から先が千切れたんじゃないか、そう錯覚するほどの激痛。ナイフに貫かれた箇所なんて燃えるような感覚がいつまでも消えない。

 断続して迫りくる、形容し難い苦痛に閉じた瞼の奥がチカチカと明滅して更に意識が遠退いていく。


 それでも。無意識なのか、偶々なのかわからないが、少年の痩せこけた細い腰に回す腕を離す気配はなかった。 


「は、なせ……っはなせ、ってば」

「っ、ぅ゛」


 カタカタ、恐怖心から震える右手でダリアの肩を何度か押してみても余計にしがみつく力が強くなっただけ。もはや朦朧とした意識の中で、ただ縋れるものに縋っている状態なのかもしれない。

 握るナイフ伝いの感覚──刺さった肉と脈打つ血──がおそろしくてたまらなかった。離せって言ってんだろ!!その恐怖を振り払うために、引き抜いたナイフを持つ左手も使って思い切り突き飛ばした。


 ──ぶしゅり。血飛沫が舞う。


「ぃ゛っ!?う゛ぁ゛あ……っ!」


 栓の役割を果たしていたナイフが引き抜かれればどうなるかなんて想像に容易い。ぼたぼたと滴る血で床に鮮やかな赤い花が咲いた。

突き飛ばされた勢いと、しがみつく先を失った身体が力なく叩きつけられるギリギリのところで何とか間に合った。背中を抱き止める手にどれだけの血がつこうと構うものか。今はダリアを助けることが最優先なのだから。


「今治しますから……っ!」


 『癒やせ』

 『癒やせ』

 『この腕に在るモノ』

 『血よ』

 『傷よ』


 言葉と腕に最大限魔力を込める。

きっと自分の省略した魔法じゃ治せない。だったら範囲を絞ってでも治してみせよう。魔法はイマジネーションだ、想像力こそが何よりの力となる。だからこそウェンディは確実な効果が出るようにはっきりとした言葉で想像力を補った。より明確に、より具体的に。


「『治れ』ッ!!」


 ダリアに限定した狭い範囲の治癒魔法。流れ出る血を、貫かれた傷を、意地でも治す!

 発動した魔法により作り出された薄い緑色の膜が床に膝をつくウェンディの腕の中にいるダリアを覆い隠した。すると脂汗を流し、粗い呼吸で痛みに耐えていた顔色が少しずつだが落ち着いていく。キツく引き結んでいた口元も解け、ほっと安堵の息を一つ。


「ダリア様、もう大丈夫ですよ」

「うぇん、でぃ……」

「はい」

「かれは……だいじょ、ぶ……?」

「っ」


 治癒したからといって痛くない訳じゃない。


 流した血や、さっきまでの耐え難き苦痛の影響は少なからず残っていて喋るのも大変なはずだ。くたりと腕に預けたままの身体が物語っている。しかし、ダリアは自らが庇った少年の安否がどうしても気になるらしい。指先で軽くウェンディの服の袖を握りしめ、弱々しい声が大丈夫かと問う。

 一番大丈夫じゃないのは貴女でしょう!正直今ここでそう叫んでやりたかったが、口を噤んだ。ちゃんとした説教は後でみっちりやるべきだし、何よりマシになっても未だ顔色の良くない推しのためにならないだろう。自身を落ち着かせようと深く息を吐いた。


 推しの健康がまず第一である。



 床に身体が触れないようにそうっと抱え直し、少し前まで少年がいた場所を見上げる。何か動きがあるかもしれないと警戒していたのだが予想に反し先程と変わらない場所で黙って佇んでいた。


「ー、」


 いや、違う。

正確にはこちらに聞こえていないだけだ。うつむく顔をボロボロに傷んだ白髪が隠し、だらりと手を下げたまま微動だにせず立つ姿は薄い色素も相まってさながら幽鬼のよう。ぽた……ぽた……ナイフに付着した赤い雫が床を汚すこと数回。突如髪を振り乱して荒れ狂う。


「何で……何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で!!何で助けた!あのまま野垂れ死んで良かったのに!それなのに……勝手に助けて勝手に庇って……っ」


 激しく激昂する少年に身構える。いつでも反応出来るように片膝立ちの姿勢をとった。


 そして、ナイフの刃がきらめいた。

 ウェンディとダリア目掛けて──ではなく、死にそこねた自身の首へ向けた鈍色の鋒。無感情にソレを見つめる。


「今度こそさよならだ」



 結果として二度も助けられてしまった。それも一番嫌ってきた裕福で、きっと馬鹿みたいに幸せの中を生きてきたであろうヤツらなんかに。イヤだ、イヤだ、イヤだ!!普段受けてきた侮蔑と同じくらい吐き気がする。

でも初めて人を刺した。オレの嫌いなヤツだ、どうだっていいだろ。そう考えようとしても刺した時の感触がこびりついて離れない。罪悪感と、恐怖心と。憎悪、憤怒、嫌悪……それから少しの安堵?

 わからない、何もわからない。

今まで知らなかったぐっちゃぐちゃの感情が濁流みたいに押し寄せて、頭の中大混乱。こんなの知らない、気持ちが悪い。嗚呼そうだ……死んでしまえば全部消えてなくなる。



 少年のナイフが首筋に触れた。


 が、皮膚を突き破ることはなかった。


「させる訳ないでしょう!!」

「っぐぁ!!」


 一切の躊躇いなく振り抜かれたウェンディの右足が、ナイフを握る右手ごと蹴り飛ばす。力加減のされていない蹴りによってバキ、だかゴキ、だか痛々しい音のした手は軽くてもヒビが入っているだろう。カランカランと遠くへ飛んでいったナイフを苦悶の表情で睨みつけた。


 優しくダリアを床に寝かせてからのウェンディは素早く。自決しようとしている、そう気づいてすぐに動いたのだ。させるものかと。


「テメェ……ッ」


 三度にわたって助けられた形。手の痛みよりも止めた相手への忌々しさが勝る。ふざけんじゃねェ!身勝手な怒りをぶちまける前に、ふざけるな!もっと怒りに満ちあふれた目が少年を射抜く。怪我していようと知ったこっちゃない!乱雑にシャツの襟を掴み上げ包帯まみれの額目掛けて渾身の一撃をぶちかました。

 ガツーンッ!!互いの額がぶつかり合う。


「ふざけないで下さい」

「テ…っ何、」

「正直貴方が死のうが生きようが私にはどうでもいいことです、勝手にすればいいと思います」

「だったら!!」

「ですが!!」


 どうでもいい。どうでもいいけれど。

 どうでも良くない理由がある。


「貴方の命はダリア様が助けたもの、それを自ら手放すなど……許す訳ないでしょう!生きてほしいと心から願い掬い上げた大事な命です、たとえ貴方自身であっても粗末に扱うなんて許さない!!」


 頭突きをしたまま、少年へ告げる。これ以上の理由がどこにある?ダリアが助けたのだ。だったらおいそれと死なせてはいけない。ぎう……つい力が入ってシャツをぐしゃぐしゃにしてしまったのは申し訳ないと思う。ほんの少し。

 目を見開いて固まる表情だけみるとまだ幼いのがよくわかる。白髪に白い目、縁取る長めの睫毛も同じく白だが全てほんのり金色混じりらしく光の加減で思いの外キレイに輝いていた。改めてじっくり見てみれば包帯関係なしに随分とボロボロでみすぼしいこと。

方やまじまじと容姿を観察し、方や予想してなかった答えに固まり、どちらも無言という謎の空間が生まれどのくらい経ったのか。


 げほっごほっ。


「「!」」


 少し離れた場所から聞こえた咳に双方我に返った。勿論ウェンディは全速力で主人(推し)の元へ駆け寄り起き上がろうとする背中に手を添えて支える。大丈夫ですか、とかけられた声に小さく頷いたダリアが次いでぎこちなく立ち尽くす少年へ視線を流す。


 それはとても優しい目だった。

まあるい目がやんわり弓形に崩れ、無事を心から喜んでいるのがはっきりわかるそんな色。しかし自分の目で安否を確かめたことが安心材料になったのだろう、幼女らしからぬ穏やかで慈愛のこもった微笑みは徐々に形をなくし睡魔にいざなわれていく。

 しぱしぱ。数度抗うように瞬きを繰り返したダリアだったが、そこはまだ幼い少女である。抗い虚しく夢の世界へ旅立とうとしていた。


「あのね、私ずっときになってたの」


 旅立ちかけながら何故か目を見開いたまま動けずにいる少年へ独り言のように語りかける。


「はやくおきてほしいなって……おもってた」


 ぽつり。ぽつり。今すぐにでも眠ってしまいそうな状態故にたどたどしい口調。喋る内容も繋がっているのかそうじゃないのか。ただ……何かを伝えたいことだけは確かで、ウェンディも止めなかった。



 少年を見つめて、ふにゃり。


「やっぱり、あなたの目……きれいね」


 ──ずっとあなたの目をみたかったの。



 雪の中に倒れ伏した少年を見つけ、助けようと決めたあの時からずっと。キラキラ眩しい髪に負けず、きっと美しいのだろうと。生きて輝く光をダリアは見たかったのだ。


 とろけた笑顔で目が見たかったとだけ伝えてすぐ眠ってしまったダリアは、少年がどんな顔をしているか知らない。


「な、んだよ……それ……っ」


 初めて言われた純粋な褒め言葉が胸を刺す。そりゃもうぶっすりと。キレイだなんて馬鹿じゃねぇのか、そう文句をつけてみても泣きそうな顔ではあまりカッコつかない。目尻と睫毛にうっすら涙を浮かべ、込み上げる感情に蓋をしようと強く噛み締めた唇。

 自分は色無しだ。魔力がない嫌われ者だ。白い髪、白い目はいつだって除け者で邪魔者で。「いい加減いらねぇなコイツ」誰かのその一言であっさり見知らぬ街に放り捨てられる程度の存在なのに。薄汚いガキだと言われてきたのに。


 ああ……たった一言がこんなにも嬉しい。


「っクソ……!ムカつく……!」

「ほらさっさと治療しにいきますよ、病み上がりで激しく動くから包帯に血が滲んでる」

「テメェに蹴られた手が一番痛い」

「何のことでしょう??」

「っっムカつく!!」


 ニヤニヤするコイツも。人を喜ばせといて眠ってるお嬢サマも。口元が緩んでしまう単純な自分もムカついて仕方ないので吠えてみたものの、やっぱりカッコつかなかった。









 ****



「これで大丈夫ですよ」

「……」


 昨晩の疲労と、そこに重なった失血。怪我を塞いだとは絶対安静である。ダリア様の通う学校へ体調不良で休む旨を伝え、今は自室のベッドですやすや眠りについている。お姫様だっこで運び入れる前から運んだ後まで起きる気配がなかった辺り疲れが溜まってたんだろう。


 「クレッセントムーンの道標」の舞台となるこの国、ティグエル王国が認めた国有数の魔法学校──ティグエル王立魔法学園はエスカレーター式でダリア様はそこの初等部……まぁ現代でいう小学校に通っているのだ。

意識があれば行くと聞かなかったに違いない、行かせるつもりないけれど。


 そして私の前で大人しく治療を受けていた少年の処置がたった今終わったところだった。身体能力と同様、基本的な回復力も高いんだろうか?昨晩見た傷口が大分良くなっていたように思う。かけた自己回復魔法の効果もあるかもしれないが。手のヒビはまた別だ。

立て続けの魔法で魔力も限界が近かったため、ダリア様を他の侍従に任せて普通の治療を施した。緩んだ包帯は締め直したし、滲んだ血も消毒したあとしっかり拭きとったし。ヒビの処置も救護担当に頼んでやってもらったしもう大丈夫。簡易的な治療しか流石に出来ない。


「取り敢えず……完治するまではこの屋敷で休んで下さい、空き部屋ありますから」

「……ん」

「その間無闇矢鱈と死のうとしないこと!貴方の命はダリア様が助けたんですよ?」

「……それはさっきも聞いた」

「はい繰り返す!死のうとしません!」


 わかったって!屋敷にいる間は死のうとしない!これでいいんだろクソメイド。若干ヤケクソ気味ではあるけど少年の言質をとって一安心。クソメイドとかいう悪口は聞かなかったことにしてあげよう。強めに右手首をぶっ叩いた。痛い?気のせい気のせい。



「なぁ」


 ひろげた治療道具を片付けていたらヤケに落ち着いた声が話しかけてくる。


「あんな……見るからに恵まれたオジョーサマが何でオレみてぇなヤツ助けるんだ、意味わかんねぇ」


 そういえば治療しながら軽く話したっけ。

 昨晩雪に埋もれて瀕死の少年を助けたのがダリア様だと教えたんだった。それに加えて身を挺して庇われたこともあり本当に意味がわからないんだろう。ぐしゃり、前髪を握り締めた拳がかすかに震えている。


 「色無し」


 これが原因で沢山キツイ思いをしてきた筈。でもわかりようがないし、私が何かを言える立場でもなければ言葉も持ってない。だからといってダリア様を殺そうとしたのを許すつもりもなくて。それを踏まえた上で言えるのはこれだけだ。


「本当にそう思いますか?」

「どういう意味だよ」

「ダリア様は確かに恵まれているでしょう、衣食住に困る訳でも死にかけた経験がある訳でもありません、学ぶ場所が魔力が……貴方からすれば全てにおいて恵まれて見えるでしょうね、間違いではないです」


 だが、恵まれてるのが幸せとは限らない。



「愛されて幸せで、何も知らない無知なお嬢様じゃない、むしろ……いえすぐにわかりますよ」

「は?」

「まぁ助けた理由なんか私が知る訳ないですから直接聞いて下さいダリア様に」

「めんどくせェ」

「はい!空き部屋教えますよ!」


 理由は自分でダリア様に聞いてもらうとして。一階の空き部屋を案内するため一緒に歩き出す。横並びなのは保険だ、何もしないと思うが何かされても困る。少年にとっても無警戒より警戒された方がいいと思っての判断だ。


 ん?そうだ、すっかり聞き忘れていた。

部屋についてすぐふと思い出す。あれやこれやと室内の説明がてら、質素なベッドに座り込む少年へ聞くことにした。


「貴方の名前聞いてませんでした」


 そう。名前だ。もしもあるなら聞いておかねばやりづらい。何度か宙を彷徨った視線、まるでしばらく使っていない記憶を辿るような仕草になんとも言えない気持ちになる。やっと出てきたらしい、少年が口を開いた。


「オクシス」


 ──と。

 全く呼ばれねぇし、自分も名乗らねぇしで綺麗サッパリ忘れてた。へぇ……オクシスって言うんだ、名前ありませんパターンじゃなくて良かったな……じゃないよオクシス!?


「オクシス?」

「あ?あぁオクシスっつったろ」



 原作の登場人物……!


 ダリア・スカーレットの護衛役、オクシス。

 どの時期から護衛をしていたのか一部じゃ読み取れなかった。それがまさかこんな幼い頃に出会っていたとは。


 高身長で真面目な好青年は作中でも指折りの人気を誇っていた。ダリアのキツイ態度にも文句を言わない従者の鏡、自身に対する侮蔑も気にせず、時折見せる笑顔が可愛いと評判だったキャラクター。色無し……は原作でも言われてた気がするけどわかる訳ない。

 原作でオクシスは、身だしなみ然り口調然りきっちりしていたのに対してこっちはどうだ。ボロボロの布切れと見間違う服を着て乱暴な喋り方。いくら髪と目が同じ白だとしたってわかるものか!もはや色しか共通点がないのだから。


「オレ何かした方がいいか?」

「え?いえ、ひとまず今日はゆっくりして下さい」

「わかった」


 おそるおそるベッドに寝転がったと思えば慣れない感触なのかビクつく少ね……オクシス。最終的に丸まって目を閉じる姿は猫みたいだ。白い毛がボサボサした野良にゃんこだ。

 

 それでは。部屋の外にある監視魔法をオンにして立ち去る。そうか…ダリアはオクシスとこういう出会い方をしたのか。じゃあいずれは護衛に?それともこの後何かある?どちらでも推しが笑っていられるなら全てよし!!

 いや、待て。確かオクシスって人気のキャラクターってだけじゃなくて重要人物だった。どこだ、私は何を忘れてる。乾いた洗濯物を畳んで畳んで……まるごと落っことした。



 原作の最終盤に、いた。


 暴走したダリアが主人公達を圧倒的魔力と魔法で追い込み、さらなる力を使おうとした瞬間。背後より白刃で刺し貫き終止符を打った人物こそ彼だ。

脅威を凌いでみせた主人公達と並び、絶望を打ち砕いたオクシスは白銀の英雄ヒーローとなる。


 ……ダリア・スカーレットの死をもって。



「最重要人物じゃん!!?」


 ただでさえ今から明後日が憂鬱なのに、メチャクチャ頭痛くなる登場人物がきてしまった。どうせ洗い直す洗濯物、床に落としたソレにふて寝しよう。


 




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