第3話 ある少年を拾いまして
いつもお父さまは言う。
【何のためにその色で産まれたんだ、上級の魔法使いくらいなって当然だろう!いいから勉強しろ!】
──はい、がんばってまほう使いになります。
いつもお母さまは言う。
【フフフ、素敵な黒髪に産んだのは私!偉いのも凄いのも私よ、アンタはさっさと魔法使いにおなりなさいな】
──はい、がんばってまほう使いになります。
お父さまに言われた。
【ふざけた真似を…!そんなもの捨ててこい!お前は王子に気に入られることだけ考えてればいいんだ】
──はじめてした抵抗、あとでこっそり泣いた。
お母様が言った。
【アッハハハ!なぁにアンタその色で産まれた癖に魔力すらちゃんと扱えないのね?とんだグズじゃない】
──何も言えずに、ただ胸元を握りしめていた。
ごめんなさい、ごめんなさい。
お父様の期待に応えられませんでした。
お母様の希望を叶えられませんでした。
結局のところ私は砕け散ったガラクタと同じ。
【この役立たずが】
最期まで二人の役に立てなくて、ごめんなさい。
****
時は少々遡り、ウェンディが主の部屋ですやすやと寝付いた頃。同階にある書庫にてダリアは一人勉強していた。
屋敷の中はそれぞれ仕事をこなしている侍従達の優秀さ故か余計な物音がしない。まだ幼いダリアにしても騒ぐような子供ではなく、必然的に物静かな空間となるのだろう。しかしこの屋敷内に流れている入りたての布団の如くどこか寒々しい空気は、本来の主であるスカーレット家の夫婦がほとんど帰ってこないからなのかもしれない。
がさがさ、かりかり。ここ最近勉強でよく使う二階の書庫はそれなりに大きく、机いっぱいに積まれた本をめくる音とペンのはしる音が絶えず響き渡る。
「こっちのまほうをうまく使えば……うん」
時折そんな呟きをこぼしながら黙々と机に向かう。古びた魔法書や新たに買い足された新書の匂いは芳しく、更に冬の近づく季節が運ぶひんやりとしたすきま風によって室内は満たされていた。
どれだけの時間そうしていただろうか。
気付けば夕焼け色の空は常闇へ変わり始めていた。その証拠に、高い天井から壁面まで数多く設置されている感知魔法付きランプがどれも灯りを主張している。手元に伸びる色濃い影。そして、ふるりと感じた妙な寒気にようやく顔を上げて──ほう……感嘆の息が自然ともれた。
ダリアにしては珍しく幾分大きな音を立てた椅子だったが、あまり気にする様子はない。それもそうだろう。
「わぁ……すごいきれい……!」
窓の向こう側が銀世界だったのだから。
しんしんと降り続ける雪は辺り一面を白く染めあげる。吐息が白くなろうとお構いなしに開けた窓から吹きすさぶ冷たい風すら好奇心を刺激してやまない。月光に照らされた白き結晶が舞い落ち、溶けるように地へ消えていく様はなるほど確かにそこらの芸術品にも劣らないほど美しい。
降る量が多いのか、どんどん積もる雪を踊るような気持ちで眺めていたダリアの目がある場所をとらえた。
銀世界に紛れる別の色──眩い白と、赤。
「……!大変、人がたおれてる……っ!」
それが何かなんて考えてやしない。ダリアの頭の中にあったのはただ……今にも消えてしまいそうな、倒れている誰かを助けることだけ。椅子の時より激しい音を鳴らし飛び出した書庫、一階の玄関に近い階段を駆けおりながら強く思う。
「〜もうっ!むだに大きいんだから!」
今はこの随分と大きい屋敷が恨めしい、と。
そろそろ寝付いておかしくない時間だったのもあり、玄関へ続く廊下をバタバタ騒がしくしてもひとまず侍従達が出てくる様子はない。たどり着くまでにいくつかオレンジのランプを灯しつつ、肩で息をするダリアが頑丈な扉に触れた瞬間発動した魔法が押し開いていく。
登録した者以外に開けない一級品だ。その重厚な見た目と違い、なめらかに動く扉は決して遅くないのだが完全に開くのを待たず外へ出た身体は記憶を頼りに探し歩いた。そして、思いの外すぐに見つけることが出来た。
「っぁ、うう゛……っ!!」
強くなってきた雪が既に身体の半分以上を覆い隠してしまってもわかるほどの、赤い赤い血だまり。
初めてみる光景と鼻を刺激する鉄臭さに身が竦む。けれどここで自分が動かなければ死んでしまうだろう、この冷たい雪に埋もれてたった一人。
「……ダメ!死んじゃダメよ!」
もう恐怖なんか消え失せた。
倒れ伏す少年に──いくつか年上にみえる──降りしきる邪魔な雪を手で必死に掻き分ける。降りたてのやわらかい雪も、固まった半ば氷のような雪も全部どけた頃には指先どころか手首に至るまで真っ赤になってかすかに震えていた。
幼い少女の手ではキツかっただろうに躊躇うことなく迅速に行われた救出作業のおかげか、雪の重さから解放された少年がようやく反応する。とはいえ、意識は朦朧としていて目を開けないらしい。
わけもわからず彷徨う指先が雪をかき、空をつかむ。咄嗟にその指先を掴んで……出かけた悲鳴をのみこんだ。触れただけですぐにわかるくらいボロボロの手、爪なんてほぼまともな形をしていないし肉づきだって酷い。
更に、雪をどかしたからこそわかったあまりにも傷だらけの身体はどうしたらこんな風になるというのか。とにかくジワジワ雪に染み入る血を止めるため、脱いだ自身の上着で応急処置をするダリアの手が今度は向こうに掴まれる。
とても弱々しい力で握り返した少年は。
「─────」
ぼそりと何かを呟いたその直後、おそらく限界だったのだろう。弱々しい力さえも失い力なく滑り落ちた手が白い絨毯に沈んだ。
そうして完全に気を失った少年の細く不健康な手を一度優しく包み、そっと手放したダリアに迷いは欠片もなく。むしろ呟きを聞いてより一層覚悟が出来たに違いない。絶対に救うという覚悟が。
「待っててね、すぐもどるわ!」
簡易的な止血をほどこし、走り出す。
大量出血、傷口多数、意識不明。そんな瀕死の人間を雪の中に放置など本当はしたくないが仕方なかった。なにせまだ治せないダリアにはどうしようもないのである。ましてや下手なことをする訳にもいかない。
だからこうするしかなかった。
「あけてっっ!!」
『登録者名ダリア・スカーレット』
『承認、扉の解錠を許可します』
キィン、魔力が煌めき解錠された扉は中から出る時よりも入る時の方が手間のかかること。いい加減走りっぱなしの足が痛む。ぜいぜい、肩で息をしながら崩れ落ちるようにして着いた玄関先で求めた唯一無二の可能性。
「っうぇんでぃぃ……!お願い、たすけて……っ!!」
かくして涙声の懇願が屋敷に響き渡った。
****
耳に届いた悲痛な叫び。たとえ現代の記憶が蘇ろうとこの身は確かにウェンディ・ロスフェル。悪役令嬢に突き放されるまでずっと傍にいたメイド長だ。
本能で目を覚まし、これまでの記憶から悲鳴のした場所を探る。きっと玄関だろうとすぐさま予測をつけて一目散に駆け出した。二階にある唯一の個室、ダリアの自室を抜けていけば何だ何だとびっくりしたように顔を見せる同僚達は申し訳ないがスルーしておこう。どうせ各自気になってこっそり様子見するし問題ない。
「これもらっていきますね!」
「は、はい!!」
途中、心配そうに私を見る新人メイドのもつ大きなストールだけ借りて玄関を目指す。三十路の身体と違って足が軽いのなんの!ちょっぴり浮ついたテンションも、玄関先に座り込む姿を見つけて一瞬で氷点下までおちた。そりゃあ血の気だって引く、寝る前は愛らしい笑顔を見せてくれた幼女がこんな姿になっていれば誰だって。
顔も、手も、冷え切って異常に赤いのは勿論。それよりも所々についた血が衝撃的すぎる。
「ダリア様!?その血はどうされたんですか!どこかお怪我されたのでしたら今すぐに治療します」
「……っは、ウェンディ、」
「っっ!酷く冷えてしまってますね……このままだと凍傷がマズイので先に温かいシャワーを浴びましょう」
「こっちきて、外に……!」
「しかし……!」
怪我はないかとした軽い触診で傷の確認は出来なかったものの、触れた場所から感じる冷たさに鳥肌が立った。あちこちに見受けられる雪の欠片で外にいた想像くらいしていたが中々酷い。ひんやりなんてレベルじゃない、既に凍傷をおこしかけている。
だというのに何故かグイグイ外へ連れ出そうとする意味がわからず、抵抗する私の肩がおもいっきりはねた。
「私のことはいいから!!」
強い眼差しと、強い口調。予想外のことに身体も頭もびっくり仰天。彼をたすけてほしいの!そのまま固い意思で袖をひっぱるダリアに見事連れ出されてしまった。
見るからに寒そうな格好(肩までしか袖がない薄手のワンピース一枚)だったので、ストールをかけるのは忘れない。ありがとう新人メイド、君のおかげだ。
中からのみ登録者が触れただけで開く頑丈な魔法の扉。ソレを開き、案内された先で一人の少年が倒れ伏していた。
赤い血溜まりの中で、ピクリともせず。
「ウェンディ、お願い……!私じゃ治せないの、ウェンディしか治せる人いない……ウェンディ?」
「ぁ、」
雪に紛れるような白髪の少年がそこにいた。
瞳は閉じていてわからない、しかしあの白い髪色は…いわゆる「色無し」と呼ばれる先天的に魔力をもたない忌み子。
ウェンディとしての意識が瀕死の重症である事実よりも、この世界において忌み嫌われる存在への拒絶反応を示してしまって思うように動けない。
大事なお嬢様の呼びかけもどこか遠く、助けたい感情と助けたくない感情でぐちゃくちゃだ。もし助けて、周りに知られたら?ダリア様が悪く言われるんじゃないだろうか?旦那様と奥様は何て言ってまた傷つける?
「色無し」を助けていいことなんて──。
バチンッ!!両頬が小さな手に挟まれた。
「ウェンディあなたの主人はだれ?」
「だりあ、様です」
「そう!ただ一人私だけのメイドさんでしょ」
突然の痛みに驚く私へかけられた言葉が不思議と胸に染み入る。ただ一人の主人、なんだかいい響きだ。その主人が目一杯背伸びをして見上げてくる瞳と見つめ合う内余計な思考をシャットアウトした私に気づいたらしい、凛々しい表情へと変わる。
「お願い、たすけてウェンディ」
主人と言った口でお願いをする幼女はどうしたって優しい子なんだろう。それでも口ごもる私に。
「言いたいこともウェンディの心配だってわかってるわ、でもねそんなことどうでもいいのむずかしい話はあと!」
「……」
「私が、たすけたいし生きてほしい!他に目の前の死んじゃいそうな男の子をたすけるのに理由がいる?」
キッパリ言い切ったダリア・スカーレット。いや……ダリア様。私はそうですね、そう言いながらあまりの情けなさに顔から火が出そうな気持ちである。この世界の常識なのは確かだが、それを見捨てていい理由にしちゃダメだろう。
ああ情けなさい、みっともない!元三十路のくせに、自分よりずっと幼い子供に諭されなきゃわからないなんて!
「軽い止血はされてるようなので、治癒魔法をある程度かけたら屋敷の中でちゃんと治療しましょう」
「っうん!ありがとう!」
「ダリア様だけのメイドですもの」
迅速に応急手当の魔法が必要だ。どうしようもなかったにせよ冷たい外でさらされ続けた少年の状態は非常に悪い。最低限止血されているのがせめてもの救いか。やはりダリア様は優秀で度胸のある子だと心から思う。
本格的な治療をするためにも、ここでやることは決まっている。何が何でも命を繋ぎ止めることだ。
大丈夫、ちゃんと覚えている。
大丈夫、使い慣れている。
物理的にも精神的にも引っ叩かれたおかげでぐちゃくちゃした感情はスッキリ爽快。原作で描かれてない過去?それがどうした私の名前はウェンディ・ロスフェル!たとえ現代での記憶を取り戻そうが、ダリア様と過ごした時間は嘘じゃない。思い出したのだから自信をもって言える。
そうだシンプルに考えるんだ私。ちょっぴり違う知識を得ただけ、新たな生を授かっただけ。
ウェンディ・ロスフェルとして生きるだけ!
「『癒えよ』」
ほのかな緑色に包まれた手が少年に触れた。
「『癒えよ』『癒えよ』」
魔力をごっそり持っていかれたが気にしない。
「『命ある者』『抗え』『足掻け』」
所詮二級魔法使い。いくら治癒魔法を得意にしていても完全に治せやしない。それでいい、いいから死なないで。
「『癒えよ──!』」
魔法は成功した。
ギリギリだったが、命を繋ぎとめられた。一番酷い出血は止まりか細くなっていた息もマシになったし、体内から魔法が効果を発揮して体温だって下げ止まる、と我ながら褒めてあげたいほど。
玄関前でソワソワ待機していた侍従達の素晴らしい働きもあって少年は助かった、まではまぁ良かったのに。
「っその刃、降ろしなさい」
「ぅあああああ゛あ゛っ!!」
起きたて鍔迫り合いとか勘弁してほしい。
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