第2話 ぽっくり死んでまして


 私は、嬉しかったのです。


 たとえそれが安物だとしても。

 気まぐれから渡されたんだとしても。

 もっと高価なものが手に入るとしても。


 …何の効力もない、ガラクタであっても。


 嬉しく思ってしまったのです。何よりの宝物にして、こっそり眺めて、一等大切な思い出になりました。だって初めてだった。今まで誰かに何かをプレゼントされたことなんてなかったから。私への贈り物というその事実があの時の私には奇跡であるかのように思えて、どうしようもなく舞い上がったのでした。



 嬉しかったのよ、ほんとうに。








 ****



「大丈夫、ですよ」

「で…でもウェンディ…っ!」

「えーっと、少し混乱していただけなので!」

「……ほんと?」

「ほんともほんとです!問題ありません」


 マジでパニックだっただけで幼女を泣かしたい訳じゃなくてね?むしろぐすぐすと鼻をならしては大きな瞳いっぱいに溢れんばかりの涙がたまってる癖に、時折唇を噛み締めたりしてなんとか我慢しようとする姿が気になって仕方ない。

 さっき駆けつけて来た時もそうだ。

 堪え慣れていそうなその仕草を、まだ幼い女の子が当たり前にしてるんだよね。声を出さないように、涙を溢さないように。泣かしたい訳じゃないけど、泣いた方がいっそ健康的な気がする。まぁこれは私自身というよりも、この身体の意識故に思うのかもしれない。


 問題ないという私の言葉を信じた美幼女ことダリア・スカーレットは、徐ろに立ち上がり扉へと駆けていく。

 一瞬立ち止まり振り返った時、肩より少し長い黒髪が揺れる隙間から見えた笑顔はさっきまで暗かった表情をまったく感じさせない。ころりと変わる感情はウェンディ…私を信用してる証だろうか?それとも環境がそうさせてる?



 なんて考えている間に出ていく幼女。


「ふふっ…ウェンディったらしゃべり方があわあわしてて少しおもしろいわね!でもそれだけ頭がぼーっとしてるんだわきっと」

「あっ、そうですね、多分?」

「お水もってくるからまってて!」

「いや…ちょっ!」


 がちゃ。


 こちらの静止を聞かず、ぱたぱた愛らしい足音は扉の向こうに颯爽と消えていってしまった。



 …あれっ普通コレまずいのでは?ダリア・スカーレットは原作において伯爵令嬢だった人物であり、正真正銘のお嬢様。そんな上司ともいえる存在にメイドの自分がお世話させるとかクビ案件では??


 そもそもこの部屋が、だ。シックな色合いにフリルがいくつかあしらわれたとてもオシャレでだだっ広い一室。妙に大人びた色味なのは気になるが、あちこちにある装飾品や肌に感じるベッドの質感…どれをとっても高級感しかなくダリア・スカーレットの部屋に違いない。

 本来ならそこの主が眠る大事なベッドを占領して、すやすや眠りこけてたとか普通にダメだと思います私。


 おそらくぶっ倒れたウェンディを助けた際ここに運び入れて、そのまま今に至る流れなんだろうけど…。


 磨きぬかれた窓にうっすら見えた顔を見やる。赤みがかったピンク色の髪以外たいして特徴のない、幸薄そうな顔だ。頭に巻かれた布切れと少し痛む頭は、強かにぶつけたのだと訴えている。


「あ〜もう、色々な意味で頭痛い…」


 物理的にも精神的にも。

 とはいえ現実逃避したって意味がない。痛む頭も、ふかふかの質感も夢というには現実味がありすぎるんだから。ひとまずは戻ってくるまでにある程度状況を整理しなくちゃ。



 私の記憶が正しければ、ここは異世界だ。それも好んで読んでいた作品──「クレッセントムーンの道標」の世界。


 ジャンルとしてはよくある学園モノの王道ファンタジーで、当然魔力や魔法があるし「魔法使い」だって存在する。そして魔力の大きさ、量…いわば素質は髪と目の色にあらわれるという。


 より黒に近いほど優秀な魔力を持つ。

 白に近い色で生まれたら魔力が乏しい。


 色素の濃淡がそのまま魔力の大小、すなわち優劣に直結するある意味シンプルな世界観は原作小説とコミック版で多少の違いがあっても変わらない部分のはずだ。

 漫画「クレッセントムーンの道標」はそんな世界を舞台にして主人公、シモンが王立魔法学園に編入するところから始まりあらゆる困難に立ち向かいながら夢へ突き進む…と、全体的にわかりやすいストーリー。各キャラクターと魔法の描写が丁寧だったし、主人公も魅力的で読みやすかった。


 孤児院で育ったシモンの過去、いくつも起きる学園内トラブルなどが描かれるけど知りたい情報はそれらじゃなくて。勿論わたしウェンディの髪色からして魔力が並以下だってことでもない…うん、でもね?



 どう考えても無理でした!!


 第一部の中で主に描かれてるのは、主人公が編入してからのあれこれだ。出てくる過去にしてもほとんど主人公と主人公に関わる人達のもの。せいぜい第三王子の回想で、ちょっぴり挟まる程度でしかない──ダリア・スカーレットの過去なんて。つまり…原作軸より随分と過去にいる私が使える情報は何にもないってわけだ。


 状況を整理したら待ってた悲しい現実。

 まぁいいやもう…諦めて腹をくくろう。これからこの異世界で生きていくんだから。出来れば原作知識を使える限り使って、平穏に暮らしたいなぁ。ん?何で生きていくのがきまってるかって?答えは簡単、思い出してしまった。


「ウェンディ!おまたせ」

「はは…ありがとうございます」



 ──私、死んでこっちにきてる。


「えっと、はいこっちがお水ねっ」

「こちらは?」

「ウェンディが階段からおちちゃったあと、お医者さまにつくってもらった元気になるおくすり!」

「回復魔法を付与した鎮痛剤…ですね」

「んーっ、たぶんそれ!」


 社会人としてのスキルもあって、自然と出てきた喋り方におかしな部分はなさそうだ。ニコニコと愛らしい笑顔で私を見る幼女にそう判断した。上半身だけ起こした私に、ベッド下から覗き込むようにしてまっすぐ目を合わせる幼女。何かのサインだろうか?さらり柔らかな髪を一撫でしてやれば更に華やぐ表情が眩しい。


「んふふ、ウェンディの手大好き!」


 んんんっ!何だこのハチャメチャに可愛い幼女は。危ない、無意識に撫で回しかけた。にしても…仕事の影響か割とボロボロな手だ。マメもささくれもあるし、お世辞にもキレイな手とはいえないのに。それを大好きだなんて最高の褒め言葉じゃん仕えがいのあるお嬢様すぎる…。


 想定外のピュア可愛い美幼女っぷりに一人戦慄していると、改めて部屋を出ていくようで小さな身体が何やら荷物を抱えていた。


「おっ、嬢様どちらへ!?」

「お片付けはきほんでしょ?ちゃんとお片付けして…そしたらあっちでまほうの勉強するの」

「ここでされたらいいんじゃ…」

「ムッ!ダメよウェンディがまだ休むのにじゃまになるわ!私は平気、本がいっぱいあるし、勉強しなくちゃお父さまとお母さまのやくに立てないもの」



 …エッ??役に、何て??


 別の意味で戦慄して固まった。色々嫌な予感はあったけど、やっぱり環境がよろしくないらしい。 


「それじゃあゆっくり休んでねウェンディ」

「あの、」

「あ!何かあったらすぐに呼ぶこと!むりしちゃダメだからね、ぜったいぜったいダメなんだから!いい?」

「はい!ダリア様!」


 よくできました!誰かの真似をしたのか、満足気な顔で告げた幼女が足早に遠ざかる。たとえ素早く出て行ってもぱたりとした静かな閉会音。度々思うが、ダリア・スカーレットはマナーのしっかりしたお嬢様だ。


 もう部屋を出た以上、休むほかない。勢いよくふかふかベッド上半身を沈めた途端急激にやってくるつかれと眠け。

 ぼーっと馬鹿みたいに高い天井を見つめながら思い出す。こっちで目を覚ます直前の、確かな記憶を。





 秋から冬に差し掛かる季節。寒さにかじかむ指先がほんのり赤く染まっていた。残業まみれ、地獄の仕事ラッシュを終えて帰路についたとある歩道橋でのことだった。


 少し前にいる女子高生がふらり、足を踏み外しかけるのが見えて咄嗟に身構えたが女子高生は落ちることなく踏みとどまれた。無事で良かったと一息ついた瞬間…ひっくり返った視界、身体中にはしる強烈な痛み。


 階段を転がり落ちる中でかすかに開いた目が確認出来たのは、ひらひらと優雅に舞うビニール袋で。まさかそれに足を滑ったのか?考えられたのは一瞬だけ。ガツンッッ!!身体の痛みがかわいいと思えるくらいの衝撃で意識はうすれていった。自分から流れる鉄くさい匂い、冷え切ったアスファルトさえもすぐに感じなくなって───。




「うーん死んでるねこれは」


 こうして、ぽっくり逝ってしまった。結果目を覚ましたってことは憑依…じゃなく転生でいいと思う。ダリア・スカーレットが言ってたようにウェンディは階段を転がり落ちて昏倒していたんだから、その衝撃で私の記憶が戻ったに違いない。どっちも階段落ちてるしね!

 ダリア・スカーレットの過去は当たり前として転生先であるウェンディ・ロスフェルの情報もほぼないに等しく。しかも魔法の存在する異世界な上、私がいるのは悪役サイドのポジションときた。平穏に生きられるか…?


 そういえば死ぬまでの半年程残業フィーバーしてたもんで、悪役令嬢を倒して終わる第一部と、第二部の最初しか読めてないけどどこまで出てたんだろう。アニメ化決定したとか、外伝あるとか聞いた気がする…。


「あ〜読めてたらまた違ったかも…」


 特に外伝が気になる、外伝…くそー!情報も知りたいし単純に話の中身気になるわ!おっといいおベット様に寝転んでるから睡魔が…。



 うとうと。おちる寸前、何となく考えた。


 今のピュア可愛い美幼女ダリア。

 作中でのキツイ悪役令嬢ダリア。同一人物でこうまで変わってしまう理由って何なのかなって。あのいい子が変わっちゃうのは、何となくイヤだ。


 普通に笑って生きていけたらいいのにって思うのだ。



「ね、む……ぐぅ」






 ****



 っうぇんでぃぃ…!お願い、たすけて…っ!!


「ッッダリア様!!」


 本日二度目のこと。ぐっすり眠りについていたウェンディはその悲痛な叫びに飛び起きる。自分のことなど構わず、扉を壊す勢いで駆け出した。



 眠る前に窓から見えた夕焼け色がすっかり闇夜へ変わっており、降りしきる雪は辺り一面を白銀に染めていく。












 


 



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