第71話 あの日の約束
とにかく泣きじゃくっているホナミをソファに座らせた。ホナミがしきりに千歳を呼ぶから、千歳も隣に座らせた。千歳のシャツの裾をギュッと握っている姿を見て、ふと昔のことを思い出した。
ホナミは小学校の低学年のころくらいまで、しょっちゅう千歳について回っていた。千歳もそれを受け入れていたから、どこに行くにも千歳の隣にはホナミがいた。
でもいくら千歳が受け入れていたからと言って、木登りや川遊びはまだ幼かったホナミには危なかった。だからついて来ても良いけど、一緒には遊べないことを千歳も俺や歳が近かった面々も、何度も説明した。
だけど一緒に遊びたいと言って泣きそうになったホナミと、千歳は指切りをした。遊びにいくときは千歳の手か服の裾を掴んでいるように、と。
約束をしてからというもの、ホナミを連れて遊びに行くと千歳はいつも木の下だったり川辺から、木の上や川の中にいる俺たちに向かって声を掛けるだけになった。手はずっとホナミと繋いでいて、一緒にやんちゃをすることもなくなった。
一度聞いてみたことがあった。
「ホナミの世話してばっかで千歳は全然遊べてねぇだろ? 良いのか?」
「良いんだ。ホナミが怪我をするのは嫌だから。それに楽しそうなみんなを見ているのは楽しいし、ホナミの話を聞くのも楽しいからな」
大人な顔をして微笑む千歳は綺麗で、恰好良かった。まだまだガキだった俺なんかよりずっと周りが見えているみたいだった。だけどそれが心配でもあった。
家の方針もあって作法を身に着けたり勉強も真面目にやっていた千歳は、俺から見たらこの世の心理を悟っているみたいに普段からしっかりしていた。隙なんてどこにもなかった。でも俺にはそれが良いことには思えなくて、千歳が千歳らしくいられる場所がないといつか壊れてしまうんじゃないかと普段から不安だった。
だけど結局あのときの心配は杞憂に終わった。千歳は次第に強くなったから。やんちゃさが綺麗さっぱり面影を失くして、今の堂々とした覇王感のある振る舞いをすることが多くなった。
高校生になってからはその熱がさらに高まって、生徒会長まで務め上げた。俺はそのときの高校に通えるわけがなかったわけだけど、家でも会議の準備をしている姿を見ていたから頑張っていることは知っていた。今思えば、一番自分らしくいられるカメラを構える時間を取り戻したことも大きかったのだろうか。
「ホナミ、カモミールティーです」
「ありがと」
御空が湯気の揺らめくティーカップをローテーブルに置くと、ホナミは顔を上げてズズッと鼻を啜った。
「ホナミ、鼻かみな」
「うん」
千歳がティッシュを差し出すと、千歳から少し離れて鼻をかんだ。ちょっと恥ずかしそうにしているところが可愛い。
ソファの正面になるようにラグの上に胡坐をかく。L字型のソファの短い辺のほうに助とティーカップを運び終わった御空、千歳の隣にサクラが腰かけて全員で話を聞く体制を整えた。
「それで、何があったんだ?」
なるべく穏やかな声で聞くと、ホナミはグッと唇を噛んだ。
「……しろって」
「え?」
「リョウマくんと結婚しろって」
ホナミは止まりかけていて涙をまた溢れさせて、言葉に詰まった。
「誰がそんなことを」
「おじいちゃん」
「トモゾウさんが……」
「でも、なんで急に?」
助が怪訝そうな顔をする。だけど無理もない。この村で家同士の結婚を進めるために親が勝手な婚姻を結ばせていた歴史は江戸時代まで遡る。最近は本当に恋愛結婚しかしていないんだ。
「私が大学を卒業するまでに結婚したい人を見つけて紹介しなかったら、リョウマくんとの結婚話を進めるって急に言われて。私、嫌で。家を飛び出してきちゃった」
トモゾウさんもめちゃくちゃなことを言うものだ。大学生のうちに結婚相手を見つけるなんて無茶だ。大学は結婚相談所じゃないし、恋人がいない人も多い。結婚を前提に付き合って欲しいと言われても付き合えるような人間も少ないだろう。
「私、結婚するなら千歳くんが良いの」
「え?」
千歳から久しぶりに素っ頓狂な声が漏れた。ぽかんと口を開けてる千歳を見てホナミはうるうると目に涙を溜めていく。
「だって、昔大人になったらって言ってくれたから……」
「いや、それは言ったけど」
「言ったんかい」
「言った」
つい突っ込んでしまった。でも千歳は中学生のころまで色守の娘さんが好きだったはず。小さい子の夢を壊さない優しさだったんじゃないだろうか。
「嬉しかったからな。でも俺はあのころ違う人が好きだったし、今もホナミに恋愛感情は持っていない」
優しさではなかった。でもきっとあのころも今も、妹や娘のように思っているだけなんだと思う。ちょっとバッサリ言い過ぎな気もするが、下手に期待を持たせてしまってもいけないから。無駄な優しさはホナミを傷つけるだけだ。
「そ、んな……」
ポロポロと涙を流すホナミが千歳の服の裾から手を離すと、頼る場所を失った手が彷徨うように揺れ動く。その手を取ってあげたいけれど、俺にホナミを助けることができないことは分かりきっている。どうしたら良いのか分からなくて、顔を覆って泣くホナミをただ見ていることしかできなかった。
無力感に苛まれていると、ホナミの背中側からお腹にスルリと手が伸びた。そして柔らかく抱き締めると、あとを追うようにふさふさのしっぽも優しく巻き付いた。
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