第7話序章7
「ところで、女児は以前から現場付近で遊んでいたそうだな? 事件当日以前の防犯カメラ映像で、女児と接触したり様子を窺っている様な人物はチェックしたのか? 思い付きの犯行だった可能性もあるが、以前から狙われていた可能性もあるからな」
西田は突然思い出した様に、重要事項を尋ねた。無論、女児の動向を警察側はチェックしていたという話を既に聞いていたので、これも「確認済み」であることを確信した上での話だった。
「映像が残っていた、事件当日以外の2週間分についてはチェック済みです。その間にトータルで9日分の映像に女児が友達もしくは1人で遊んでいる姿が映っていました。晴れている日には、かなりの確率で現場に遊ぶ為通っていたようです。さっきも言いましたが、友達と一緒の時でも1人の時でも、学校から戻ってすぐに現場で遊んだ時にはほぼ毎回、一度夕食を摂りに帰宅した後でまたやって来て、夜にも遊びの続きをやってたみたいですね。殺害された日も、午後3時前には既に駐車場で遊んでる姿が防犯カメラに残ってました。それで、過去の映像の中には、犯行当日と見られる日にも映っていた男の何人かが別日にも映っていましたが、特に変わった様子も無かったです。スーパーへの買い物なんて日常的なモンですし、時間帯も会社や学校帰りとなると、ある程度規則的ですから、別におかしくもなんともないでしょ? それで高須の姿も、犯行時とは別日の女児が遊んでいた日の映像に2度程確認出来、女児に視線をやっているようには見えたものの、接触した形跡はなかったです。そして、さっきの誘拐で逮捕された前がある怪しい男についても、他の日のカメラ映像でも、女児が現場に遊びに来ていた日に3回程度映ってましたが、特に接触する様子はありませんでした。こちらも念の為言っておきます」
吉村にすぐに詳しく説明され、西田は「それはそうだよな」と言った感じで頷くしかなかった。
その上で、
「そうなって来ると、決定的なDNAの痕跡と現場へのアクセスの痕跡の無さのコントラスト。一方でアリバイもはっきりせず、性的嗜好もマッチしないが、本人自身もアリバイを何か誤魔化している風にも見えると言う微妙な状況の組み合わせだな……。逮捕された時点では、かなりわかりやすい事件の様だったが、実態はやっかいなパターンに陥って、
と言って、西田はここまでの話の結論を述べた。吉村はそこは素直に同意したが、ここで話を急展開させ始める。
「実は精液については、本人は事件当日から3日前と6日前ぐらいの間に、お気に入りの『嬢』が居るススキノのファッションヘルス数店舗に行ったので、その時にコンドームに射精したものが使われて、自分はハメられたんじゃないかと、逮捕された翌日に言いだしたんですよ。何でもここ数ヶ月は、気に入ったのか1週間に2回ぐらいのペースで通ってたとか」
「おい! 何でそんな大事な話を今まで黙ってたんだ?」
西田はテーブルに両手を付いて、目の前の吉村に掴みかからんばかりに迫ったが、
「マアマア! 話の順序ってもんがありますし」
と、元部下はらしくもなく、西田の圧を落ち着いて軽く両手でいなした。
「確かに、精液中の精子の生存日数は一般的に3日程度が限度だから、論理的に考えれば、別日に採取されたものが利用されたってのは完全にあり得ない話じゃない。だが、そんなことまでして高須を陥れる目的もわからんし、利用した奴が居るとするなら、高須の強姦での逮捕歴について知識があったとしか思えんな……」
西田は話を整理しながら続ける。
「それで、そんな荒唐無稽な話があり得ると無理に仮定すれば、高須を陥れる目的以外には、自らの犯行を高須のやったことだと偽装して、捜査を撹乱しようとしたということになるのか? いや、両方も可能性だけならあり得るか……。ただ、少なくとも後者の目的があるのなら、相手は高須である必要はなく、たまたま精液を手に入れられたのが高須だったということになる。いや、しかしその場合でも警察にDNA情報が既にあるという知識があった方が撹乱能力は高いのだから、高須の前歴についても知っていたのかもしれない……」
ここまで口にすると、話が急に複雑になってきたので軽く唸った。
「一方で、単に高須をハメようとしただけなら、わざわざ殺人まで犯すとも思えん。覆面被って強制猥褻で、現場に精子残すので足りるからな……。ニュースバリューから考えれば、十分報道されるレベルだろう、女児への強制わいせつでも。となると、犯行目的は何にせよ性的な欲求が根本にあるが、同時に前のある奴に罪を
西田はさっきの
「科捜研の情報では、精子の状態は間違いなく『元気』ではあったそうですから、射精してからの時間経過で言えば、西田さんの見立の2、3日って話ですらかなり微妙で、もっと『フレッシュ』なものだろうと言うことでした。それで、『あり得ない話』だとは思いつつ、一応は高須が直前の3日前に行ったという、贔屓にしてた「
昔から巨乳好きの吉村らしく、風俗嬢の余計な情報を入れてきたが、西田は無視して、
「で、その結果は?」
と尋ねた。
「確かに、高須の行ったと証言した日に相手していて、さっきも言った様に1週間に2度程度の割合で、来店してミハルを指名していたそうです。ミハルは精液の入ったコンドームなんて気持ち悪いから、何時も通りすぐに室内のゴミ箱に捨てると証言していました。事件当日は平日勤務の普段通りに午後9時から出勤して、翌朝の3時まで店に勤務していたんで、本人のアリバイは完全に成立しています。通常の勤務体系が平日勤務でその時間帯らしいです。その上、ミハルの住んでいるのも、白石区の
吉村はやや投げやりな言い方をして、高須への怒りが再度多少湧いていたようではあったが、気を取り直して話を続ける。
「ただ、高須の逮捕歴については知ってましたね、ミハルは。何でも、以前に高須が店に来た時、「興奮して女子高生相手に思わずやっちまった。反省している」みたいな感じでニヤニヤしながら告白したとか。他の店のお気に入りの嬢の話なんかもよくしていたそうです。本人曰く『このレイプ話は色んな嬢にしている』とかほざいていたらしく、『会社じゃこんな話は出来ないが、風俗嬢相手なら心置きなく話せる』とまで聞いていたミハルは、高須を心底クズな男だと思ったそうです。まあとにかくお喋りな女でしたよ……。一方、取り調べでの高須自身の話でも、他の店の馴染みの風俗嬢にも強姦逮捕歴の話をよくしていたことがあると主張していて、それが『精液を利用されて陥れられた』という高須の都合の良い想像話に繋がってくるみたいですね。とにかく、まあそういう結果だったんで、話の順序というだけでなく、わざわざ西田さんに率先して言わなかったんですよ」
吉村はそう言い訳した。
しかし、西田は少しの時間思慮した後、
「確かに荒唐無稽な言い訳にしか思えん。しかし、ミハルや他の風俗嬢も知っていたという点では、高須の話も一応筋は通ることになる」
と呟いた。
「うん? そこやっぱり気になります?」
吉村は西田の思案げな顔を覗き込む様にして聞いてきた。
「まず直接的な殺害が高須によって行われたかは、その精液の存在だけでは確証にはならんってことだ。そして高須を陥れようとした奴が居たなら、あくまで居たならだが、逮捕歴を利用しようとしても、さっき言った様に可能性としては無くはない。行きつけの風俗嬢も知っていたとなると余計にな……。まああくまで、高須が犯人じゃないという、限りなく低い確率の上での話だ。そもそも精子の状態を考えると更に厳しくなった」
「そりゃあ常識的には無理筋ですよ。確かに可能性という点だけ『アリ』でしょうね。それにミハルの所に行った時より前に射精したのは、高須の記憶では事件の5日ぐらい前で、アダルトビデオを見ながら自宅で『処理』していた時だそうですが、『真犯人』がゴミ出しの際にごみ袋を漁ったとか家に押し入ったとしても、精子の状態から時間経過的に無理があります。疑問点が幾つかあるとは言え、このままだと現場の精液の存在だけで、普通に起訴まで持っていくことになるでしょ。詳細な殺害方法の手口なんかは、状況証拠から結局こっちでシナリオ作っちゃいますからね、基本褒められたことじゃないですが……。俺が文句言っても、
吉村は西田の見解に理解を示しつつも、西田もよく知る警察捜査手法の「現実」を淡々と口にしていた。言うまでもなく、今回の状況証拠で起訴に持っていくこと自体は、西田も間違いだとまで考えている訳では無いが……。
「それで念の為確認するが、精液のDNA分析は間違いないんだな?」
西田は、聞く必要も無いが、敢えて本質的な部分に探りを入れた
「そこ疑っちゃいます? 道警科捜研のDNA分析のエース連中がしっかり手順を踏んで確認していますから、その点は間違いなく大丈夫に決まってます!」
吉村は本人の仕事でもないのに胸を張ったが、近年のDNA捜査の進歩は著しく、道警本部レベルの科捜研の研究職員なら問題が無いのは事実だろう。その上で、
「まあそれはそうだろう。で、残された精子の状態は、本当の殺害時間帯近辺に射精されたものと見て間違いないんだな?」
と念を押した。
「そこも科捜研が言ってるんですから」
吉村は少々しつこい西田の確認に対し、「いい加減にしてくれ」という態度を隠さなかった。それでも西田は、
「ただ、現場のDNA情報から絶対確実に得られるのは、現場にそのDNAを持った男の、射精からそう時間が経たない精液があったということだけだ。その原点は、このまま起訴するにしても忘れちゃいかん」
そう食い下がり、吉村を改めて直視した。だが一度視線を伏せると、
「アドバイスなんてレベルのことはしてやれなかったことは、正直なところ悪いとは思うが」
と付け加えた。吉村は吉村で、
「ええ。まあ仕方ないですよ。釈然としない部分もあるが、起訴は出来ないレベルの話じゃない。こっちが気にし過ぎなんだと思います。流れに任せて淡々とやってくしかないでしょうねえ」
と力なく笑った。
吉村が帰った後、西田は自宅に戻って、風呂上がりに、今回の事件について現段階での情報と自分の考えのまとめを改めて行いメモ書きした。正直、引退した自分にとって、何の意味があってそうするのかわからないが、重大事件が起きた時には、やはり興味が湧いてくる上、今回は「身近」な事件だけに尚更だった。
※※※※※※※◎西田のまとめメモ
◯高須には援交や強姦・強制猥褻の前歴はあったが、児童性愛的な兆候は全く見られていない。
◯高須の女児殺害関与を立証するのは、今の所遺体の残留精子だけである。射精後日数的には3日以内(というより3日が限度)の状況と見られる。直接的に性的加害が行われた状況は確認出来ない。
殺害は絞殺で紐状のものが使用された模様。但し遺体にその素材の残留痕跡は見られず。そのため結束バンドなどに使われる素材の可能性が考えられた。
◯高須には当日のアリバイが一切ないし、不可解な行動も見られる。
◯殺害現場自体が防犯カメラの死角であり、殺害現場には隠れて行くことも出来る。
◯被害者の女児はいつも殺害現場近辺で夜に遊んでいる。そのため、以前から犯人に目を付けられていた可能性もあるが、突発的な犯行の可能性もあり得た。但し、やはりある程度用意周到に犯行計画を立てていた可能性も、防犯カメラ網のかい潜り方からすると高い。
◯高須は事件の3日前に風俗店に行っており、その際に射精した精子が勝手に使われた可能性があると主張している。その店には、最近は1週間に2回程度の割合で行っていた。その他の風俗店は8日以上前に行った。
その点については、警察側も相手をした口の軽い風俗嬢(ミハルこと佐藤貴代)に聴取し、風俗利用時の精子を保管したことを否定した他、本人には殺害当日にアリバイがあり、近い人物にもそれらしい該当人物は居なかった。現場周辺の防犯カメラにもそれらしい人物は映っていない。無論防犯カメラには死角も多い。
但し、風俗嬢は高須が自分も含めた馴染みの風俗嬢に、強姦での逮捕歴があると吹聴していたことを証言(高須本人も認める)。
◯仮にそれらの状況を無視して、何らかの形で高須の精子が実際に悪用されたと仮定した考察
その場合、高須の精子のDNA情報を残せば、前歴から楽に高須を犯人扱い出来ると考えるのは容易である。この点については情報を知っていた人間は、近親者や馴染みの風俗嬢含めある程度居るはず。
一方、高須をただ陥れる為だけに、実際に女子児童の殺人まで行うのは、精神的にハードルが高い。強制猥褻を装って衣服に精子を付けるなどすれば良いし、対象は若い女性であれば良く、女子児童である必要もない(というより、高須にロリコンの気がない以上、高須を陥れる為であるなら、むしろ女子高生から20歳辺りの女性の方がピッタリ)。紐状のモノで首を絞めている以上、「騒がれて意図せず」と言った状況も、用意周到さが見え考えにくい。
このことから、犯行理由は、性的(今回の女子児童の遺体状況から、性行為抜きに殺害自体による性的興奮含む)な目的がメインと見るのが妥当。そうなると、やはり犯人が高須であれ別人物であれ、男性である可能性が格段に高い。
その上で、誰でも良いから前歴者の関与に見せかけた捜査撹乱目的か、明確に高須に絞って陥れる目的もあったか(両方含む場合もあり)、高須の精子を利用した。
当然、この仮定は「ほぼあり得ない」
※※※※※※※
西田はそこまでメモを書き終えると、しばらくぶりに色々と考えて疲れたのか、思わずあくびが出てしまった。
「しかし、ほぼ決定的な残留証拠がありながら、色々考えれば考える程おかしな点も出て来る。高須の犯行も精子が決め手にしかならん。だが、実際の犯行は別の奴がやったとして、以前からの計画的な犯行だとすれば、高須の2週間に1度程度という来店頻度に、更に女子児童と出会うタイミングや、どうして女子児童に目を付けたのかもわからん」
そう嘆く様に呟くと、西田は歯を磨きに洗面所へと向かった。
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