第29話 不自然さ

 その日はホテルに泊まり、次の朝の新幹線で帰る予定だった。昨日、武田さんから聞いた情報はすでに橋本先生には渡した。やはり、裏を取るのには彼でも少し時間がかかるそうだ。犠牲者が出たことが本当なら、慎重に捜査しなければいけない。それぐらいは俺にでもなんとなくわかっている。

 翌朝、余裕を持って新幹線の停まる駅に向かった。ご飯を食べてもまだ時間が余ったので、柄になく屋上からのんびり空を見ていた。小さな空港が近くにあるようで、小型機やプロペラ機がひっきりなしに飛び回っていた。俺は携帯を取り出し、その光景の何枚かを写真に撮った。飛行機好きの血が騒ぐ感覚を覚えたのは、一体いつぶりだろうか。

「あれ?池谷先生。お久しぶりです」

 と、そんな俺をよそに、隣の男が俺に話しかけてきた。その男は、まるで俺のことを知っているような態度だ。

「え、あ、どうも……」

 確かに、顔に見覚えはあった。どこかで会った気はする。でも名前までは思い出せない。奥歯に食べ物が挟まった時のような、妙な煩わしさを覚えた。

「私ですよ。河本です。薪葉小学校の」

「あ、あぁ!河本さん!」

 名前を聞いて思い出した。河本聡さんだ。薪葉小学校で咲ちゃんとも仲良くしている先生で、長居のパワハラとセクハラの件では、色々と内部事情を告発してくれた方だ。お世話になった人なだけあって、すぐに思い出せなかったことが申し訳なかった。

「池谷先生はここで何を?」

「昨日仕事でして。今から帰るところです」

「休日もお気の毒に。あんま無理しないでくださいね」

「河本さんは?」

「ちょっとした旅行です。休みの日は遠出するのが趣味なんです」

 たわいもない会話をする。普通の人からすれば、ただそれだけなのだが、俺にしてみれば少し違う。俺は昔から人とコミュニケーションを取ることが苦手だったが、ここ最近、人と言葉のキャッチボールをできるようになった。河本さんとの趣味の話の中でも、俺はつくづくと自らの成長を実感していた。

「池谷先生は、休みがあれば何をしてるんですか?」

「基本的に家は出ないですね。インドア派なんです」

「あれ、確か咲ちゃんと仲良かったですよね?よく先生のこと聞きますよ」

「あー、そうですか。たまに一緒に飲んだりしてるんです」

 共通の知人の話題で少し盛り上がった。何だか微笑ましい。

「そういえば池谷先生、聞きました?咲ちゃん、来週から長く有給取るんですって。びっくりしちゃいましたよ」

「え?咲ちゃんが?」

 残念なことに、微笑ましさは一瞬で姿を消した。そんな話は聞いていない。この間有村さんと3人で飲んだ時も、そんな素振りは見せず普段通りだった気がする。それも、小学校の先生が有給をこの時期に取るなんて、きっと何か理由があるに違いない。彼女はおちゃらけているように見えて、実はかなり真面目なのだ。

「そうだったんですか。私も昨日ぐらいに聞いたものですから。お母さんの具合、悪くなったのかもしれませんね」

「そうですね。心配です」

 咲ちゃんのお母さんは、確か体調を崩されていて入院されていたはずだ。俺が有村さんと咲ちゃんで最初に飲んだ時に、そんな話をしていたことをぼんやりと思い出した。

「確か池田先生、咲ちゃんと同じマンションですよね」

「は、はい」

「たまに様子見に行ってあげてください。私も心配です」

「わかりました」

 とりあえず、連絡はしておこう。何かあったのなら言ってきそうな人だからこそ、違和感を感じた。変なことに巻き込まれていなければいいのだが。

「あ、もうこんな時間だ。では」

 河本さんは時計を見てそう言うと、エスカレーターで駅に戻っていった。

 


「ただいま戻りました」

「お疲れ様です」

 事務所に戻ると田所さんが労ってくれた。そんな彼女を見ると、長い間ここにいなかったような錯覚に襲われるが、実際は半日ぶりかそこらだ。それだけこの事務所がアットホームだということなのだろう。

 事務所の奥の応接室では、橋本先生がホワイトボードに相関図を書き上げていた。それはまるで刑事ドラマに出てきそうな完成度で、思わず声を出して驚いてしまうレベルだった。

「とりあえず、池谷が武田さんから仕入れた情報を元に書いてみた。あってるか?」

 前田と長居。この2人の名前がホワイトボードの中心にやや大きめで書かれている。それを取り巻くように、事件の関係者の名前が周囲にある。

「はい、大丈夫かと」

「よし。じゃあ考えるか。もうネタは揃ってる」

 ここで言う「ネタ」というのは、恐らく情報という意味だろう。今まで調べ上げた事実を精査し、それらの点と点を結ぶ線を見つけ出す。あとは俺たちの推理力に委ねられている。

「まず、8年前のAI教育ロボットEDYによる自殺問題隠蔽。これを主導したのが前田と長居」

 橋本先生は赤いマーカーで、二人の名前を丸で囲んだ。

「それが半年前になって、急に前田が動き出した。池谷が担当した前田家の離婚騒動だ。恐らく、武田さんにEDYの記事を書かれたからだ。離婚が証拠隠滅に直接関係しているに違いない」

 事件になつみが関わっているのは、ほぼ間違いないと言っていい。しかし、なつみはこのEDYの件を知らない。明らかに被害者である可能性が高いのではないか。

「そ、そこまではわかります。でも、何で長居は同じタイミングでハラスメント問題を起こしたんでしょうか。それがEDYの事件を隠蔽することに繋がるとは、到底思えません」

 ホワイトボードの右上を指差して、俺は聞いた。橋本先生はある程度の見通しをつけているようで、

「確かにそうだ。しかし、長居のハラスメント癖はずっと前からあったそうだ。恐らく、長居の人間性が招いた全く別の一件なのだろうな」

 と答えてくれた。

「な、なるほど……」

「だけど、そのタイミングと運が悪すぎた。前田の離婚と時期が重なって、さらに担当の事務所や弁護士までも重なってしまった」

 橋本先生は「池谷」という文字にアンダーラインを入れた。奇しくも俺が持った2つの案件が、間接的に隠蔽工作を見抜くヒントだったとは。

「なるほど。ウチの事務所を攻撃してきたのも、2つの案件に深入りしたことで、橋本法律事務所が隠蔽の事実を掴んでしまった、と思ったからなのかもしれません」

「間違いない」

 整理してみると、多少なりとも新しい発見はあった。前田の離婚が計画的であったこと、それと長居と前田が各所で密接に結びついていることだ。しかし、まだ見えてこない部分が多い。

「この二人、学生時代の先輩後輩だったんですよね?」

 応接室に入ってきた田所さんは、2杯のコーヒーをトレーに載せて持ってきてくれた。彼女はホワイトボードを見ると、首を傾げながらそう呟いた。

「はい。サッカー部だった気がします。長居が先輩で、前田が後輩です」

 俺は黒いマーカーを橋本先生から拝借して、二人を矢印で結び、それぞれに先輩、後輩と書き入れた。

「だったら、やっぱり二人の中でも力関係の差ってあるんじゃない?」

「……」

 俺と橋本先生は、田所さんのその言葉をよく噛み締めながら、ホワイトボードに目をやった。二人の間に力関係の差があったと考えるという視点は、正直なかった。だが、この日はそのヒントが事件の解決に繋がることはなかった。

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