第28話 閉店セール

「SNSですか……」

 武田さんは俺に背を向けたまま、事件の真相を語ってくれていた。

「ああ。しかもこれは酷かった。自分の端末でもユーザー名を変えてログインし直せば、簡単に人のメッセージを見たり、なりすましてメッセージを送ったり出来たんだ。パスワードすらもなかった」

「そ、そんな……」

 ありえない話だ。学校に導入される教育設備として以前に、そもそもSNSとして最も大事なプライバシーが保護されていないのだ。ここまで聞いて、コトの重大性の全容が少しずつ見えてきた気がする。

「そんなSNSの欠点をすぐに見抜いた生徒は、それを乱用して遊んだ。もうその続きは、言わなくてもわかるだろう?」

 武田さんはタバコを地面に投げ捨て、革靴でギュッと踏んで火を消した。

「はい。イ、イジメ、ですか?」

「ああ。それで2名の自殺者が出た」

「ふ、2人も!?」

 空いた口が塞がらない。

「そんな未完成の状態のままで、誰が無理に急いでEDYを導入してしまったか。それは当時、薪葉小学校の教頭で、EDY推進委員会の理事を務めていた男、長居だ」

 やっぱりか……。もう驚きは感じない。それ以上に膨れ上がったものは、長居に対する怒りだ。腹立たしい感情は、俺の書くメモ帳の字にも表れている。

「結局、その事実は隠蔽された。隠蔽を首謀したのは、おそらく長居と前田だ。奴らは学生時代の部活で先輩後輩の間柄で、その後も親しかったそうだ」

 武田はズボンのポケットからガムを取り出し、口に入れた。

「話は以上だ。なんか進展があったら連絡をくれ。俺が記事にする」

「あ、あの。前田が離婚したんです。それも不倫した側なのに、親権まで奪って。この事件と繋がりがあったりしますかね?」

「さあな。それを調べるのがあんたの仕事だろ?」

「ええ、まあ、そうですね」

 武田さんはガムの包み紙に電話番号を書いて、俺の鞄に入れてくれた。俺はメモ帳を脇に挟んだまま、深々と頭を下げた。礼を言っても言い足りないことはわかっている。でも、頭を下げることぐらいしか、その場では思いつかなかった。


………………………………………………………


 大和田屋はこの町に暖簾を下ろしてもうすぐ100年という老舗和菓子店だ。有村の叔父がてんやを始めた当時から、この店は地元のみならず全国区の人気を誇っていた。しかし、度重なる洋菓子ブームに飲まれ、ここ最近は客足が遠のく一方だった。

 有村が訪れると、4代目店主の大和田邦一さんが店の奥から顔を見せてくれた。

「あらら、てんやのお嬢ちゃん。どうしたんだい」

 大和田は老眼鏡を外し、有村の元に小走りで向かった。大和田は有村のことを毎回お嬢ちゃんと呼ぶ。ただの姪だと何回言っても、聞く耳を持たない。

「すいません。今お時間ありますか?」

「大丈夫だい。客なんかどうせ来ないんだ」

 大和田はそう笑って見せたが、どこかぎこちない。店内に飾られた歴代店主の顔写真も、なんだか切ない表情をしているのは、決して見間違いであるはずがない。

 有村は店の奥の部屋に通された。席につくと、お茶を持ってきてくれた。

「で、話ってなんだい?」

「この辺の土地の再開発計画に関してです」

 大和田屋はてんやと大通りを挟んで真向かいである。てんやに土地買収の話があるのなら、大和田屋にも同様の話があって不思議ではない。

「あー、これね」

 大和田はテーブルの隅に山積みされた書類の中から、比較的新しそうなものを引っ張り出した。表紙を見ると、それが某一部上場企業による再開発計画であることはすぐにわかった。

「すいません。見せてもらっても構いませんか?」

「ええよええよ。お好きにどうぞ」

 細かい内容はよくわからない。だが、大和田屋に持ちかけられた話もてんやのそれと同じで、強引で詐欺まがいなものに違いはなかった。

「これ、もう納得されたんですか?」

 有村は聞いた。それが聞きたかった。

「いやいや、お嬢ちゃん。勘違いしないでほしい。納得はしていない、ただ丸め込まれたんだよ」

 有村は歯を食いしばった。悔しい。創業100年の老舗でさえも、時代の流れには勝てないのか。大企業様の足元にも及ばないのか。

「お嬢ちゃんが来た理由は大体わかる。引き止めにきたんだろう?」

 大和田の質問に、有村は小さく頷く。

「でも、きっとてんやの大将も俺と同じ気持ちだろ?変に揉めて店を残すより、今貰える金を貰って老後の資金の足しにする方が利口だ」

 そう言われると、反論できないのが有村だった。大和田屋を説得して風向きを変えるはずが、そう簡単にいくはずもない。100年の歴史を持った老舗でさえも、その判断に至ったのだ。有村がどうこう言いに来たところで、大和田の決心が変わるはずもなかった。

「……わかりました。ごめんなさい。急に押しかけて、変なこと言って」

「ええよええよ。お嬢ちゃんの気持ちも痛いほどわかるからな。でも仕方ない」

 有村はお茶を全て飲み干し、礼を言ってその部屋を出た。店内に戻ると、幼い少女がお菓子を片手にキョロキョロしているのを見つけた。

「大和田さん!お客さん来てるよ!」

「ええ?ホントかい?」

 有村と大和田が先ほどまで話していた奥の部屋から、大和田が急いで出てきた。老眼鏡は胸ポケットに刺さっている。

「これが欲しいのかい?」

 大和田を見つけた少女は彼の元に駆け寄り、何も言わずにそれを渡した。

「ははは。わかった。じゃあこれも持って行きな。サービスや」

 大和田は紙袋の中に店内のお菓子を五、六個入れ、少女に渡した。

「100円でええよ」

 少女は笑顔で100円を渡すと、そのまま走って帰っていった。大和田は少女が車の影に隠れて見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。

「大和田さん、では失礼します」

「ああ。またいつでも来てよ、お嬢ちゃん」

 有村は軽く会釈をし、歩道に出た。大和田屋の前に置かれたのぼりに「閉店セール開催中」の文字があったことに、有村はしばらく気づかなかった。

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