第26話 週刊誌編集室

 週刊誌の事務所は他県にあって、他の仕事や準備をしてから出発し、現地に到着する頃にはもう23時を回った頃だった。

「こんな名前の記者は、ウチにはいません。お引き取りを」

 週刊誌の編集室は、異様に殺風景だった。照明がいくつか切れていて、薄暗い。10人程の記者がパソコンに向かい合って黙々と作業をしているため、淡白なタイピングの音が鳴り止まない。

 俺の対応をしてくれたのは40代と見られる男で、首から上げた名札には編集長と書いてある。きっとこの中では偉い人なのだろう。

「いや、いるはずなんですが。このAI教育ロボットに関しての記事を書いた記者が、ここに」

 わざと大きな声を出した。何かやましいことがあるなら、きっと編集長はそれを隠す。ならば他の平社員の反応を伺え。そうやって橋下先生は教えてくれた。

 効果はあった。10人の中の1人が、急にタイピングの手を止めた。ほんの一瞬のことだったが、俺は見逃さなかった。

「いませんよ。そんな記者」

 編集長は依然としてシラを切り続けている。もうこの時点で、この週刊誌が何かを隠していることは容易に想像ができた。

「武田っていう記者です。いますよね?この中に」

 さらに強い口調でそう言った。俺の声は確実に記者たちに届いている。

「だから池谷さん。いませんて」

 そう編集長が言い終える直前に、1人の記者が小さく手を上げていた。俺は彼が出したそのシグナルを見逃さなかった。その男性のデスクへと近づき、目を合わせた。

「あなたが武田さんで間違いないですか?」

 彼は小さく頷いた。

「このAI教育ロボットについての記事に関して、お話を伺いたいんです。お時間大丈夫ですか?」

「ダメです。武田は今職務中です」

 遮るように、編集長が俺と武田さんの間に割って入る。

「武田さん、いるじゃないですか」

「ははは。そういえば、いたね」

 編集長はわざとらしい笑みを浮かべた。口を開けた時に姿を見せた銀歯が、暗い室内では煌めいて見える始末だ。

「10分で良いんですが。それでもダメですか?」

「忙しいんです。お引き取りを」

 編集長は俺を強引に押して、武田のデスクから無理矢理遠ざけようとした。床には足の置き場もないほど書類やファイルが散乱していて、バランを崩してしまった。

「さあ、帰った帰った」

 編集長は手を差し伸べることもなく、そう言う。俺はなんとか踏ん張って、落としてしまった鞄を拾った。

「編集長。片付けましょうよ少しは」

「こいつらが散らかしたんだ。俺は知らん」

 記者の目が一斉に編集長へと向かったのがわかった。今の編集長には、それに気づく余裕などない。

「それに部屋も暗いですし。これは編集長の管理不足ですよね」

 切れた蛍光灯を見上げ、指をさした。

「明日付け替えるんだよ。明日」

「掃除してませんよね?だいぶ匂いますよ」

 飲み物か何かをこぼしたのだろうか、シミが床に ちらほら見える。

「なんなんだよ。それが何か悪いのか?」

 編集長は俺に詰め寄ってきた。

「悪いです。労働基準法の特別法である労働安全衛生法には、職場における労働者の安全と健康を確保し、快適な職場環境を形成することを雇用の条件としています。どうもこの環境がそれに見合うとは思えません」

「あ?お前一体何言ってんだ?」

「それに、毎日23時まで皆さんは働いているんですか?そのようなら、1日の労働時間は8時間を超えると思われるので、残業代が必ず発生します。きちんと払えていますか?」

「……払ってるよ。払ってるさ」

 編集長は少し考えた様子を見せた後、無理矢理に笑顔を作りながらそう言った。

「私は弁護士です。調べれば簡単にわかるんですけどね」

「……」

 編集長はとうとう答えることすらやめた。橋本先生に教えられたイチャモンからの決め台詞は、見事なまでに完璧に決まった。行きの電車の中でひたすら暗唱していたことが役に立った。

「武田さん、10分お借りしますね」

「……」

 編集長はもう何も言わない。負けを認めたに等しい。

「では武田さん、ちょっと外出ましょう。ここではなんですし」

 武田さんは編集長をチラチラと気にしている様子だったが、素直に俺に付いてきてくれた。


……………………………………………………


「てんや」を守ると自ら言い出したものの、有村は何から手をつけていいかさっぱりわからなかった。土地を買い漁っている企業のことはなんとなく調べてはみたが、面白いネタがあるわけもない。

「やっぱり素人じゃダメかなぁ……」

 独り言は先ほどからずっと後ろ向きなことばかりだ。やはり、心のどこかには池谷に頼みたいな、という思いがあるのだろう。自分から行動することにやや気が引けた。

「やるしかないよね……」

 これはもう今日だけで20回ほど言った。その後に缶ビールを流し込むのも決まっている。

「うーん……」

 自分でやると決めたなら、自分でやりたい。それが本音だ。実際、有村は人一倍行動力があって、それを成し遂げられるような知識も力もある。そうしたこともあってか、責任感が強く何かと抱え込む節がある。

 だが池谷の存在を知ってからは、彼に相談することも増えていった。彼もまた一人で抱え込むようなところがあって、でも頼り甲斐があった。もちろん彼は不器用で、人とは相容れない雰囲気も持っていたが、それは有村には大して気にはならない。最近は特にそう思う。

 だからこそ、今回は自分にこだわりたい。「てんや」の問題であることも増して、彼女にはそれなりの覚悟がついていたのだ。

 だが覚悟だけではどうにもならないのが世の常で、何かしら方法を考えなくてはいけない。と、そう考えると、また振り出しに戻るのだ。そんな繰り返しを、彼女は一晩中続けたが、何も思いつかなかった。

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