第25話 てんやの危機
橋本先生は俺の話を聞くと、何やら渋い顔を見せた。昨日の咲ちゃんの話だ。前田は教育委員会として、長居は教師として2人ともAIの導入を拒否していた。単なる偶然といえばそうかもしれないが、俺には気になる点が1つあった。咲ちゃん曰く、長居は「今は駄目」と行った趣旨の発言をしたらしいのだ。その「今は」と言う言葉の真意に、何か隠されているのではないか。それが俺の見解だ。
「確かに気になる。調べてみる必要がありそうだな」
そう言うと橋本先生はパソコンを開き、検索エンジンに「AI教育ロボット」と打ち込んで検索をかけた。俺は横からその検索結果を覗いた。スクロールに合わせて字を追いかけるが、とてもヒントになるようなものは見当たらなかった。
「ストーカー案件の次は、教育の案件ですか?」
田所さんは俺にコーヒーを持ってきてくれた。
「あ、どうも。これは前田の一件に関係あるのでは、っていう感じです」
田所さんはふーんと頷いた。橋本先生は彼女には目もくれず、まだスクロールを続けている。
「ん?ちょっと池谷。これ見てくれ」
橋本先生が指差す場所を俺は見た。それはとある週刊誌のネット記事だった。それも、AI教育ロボットに関してだ。週刊誌ともあって、信憑性には欠けるが何かを掴んでいる可能性だって十分にある。
「すいません。URL僕にもください」
「わかった。今送る」
自席に座った俺は、コーヒーを定位置に置いて、パソコンを開いた。すぐにURLが届き、俺はそれにアクセスした。
その内容は、ある意味期待外れな内容だった。記事は半年前のもので、AI教育ロボットを導入した市町村があったが、それは失敗に終わったという内容だった。わずか100文字にも及ばない、週刊誌の記事にしては短すぎて、内容も薄い。
「橋本先生、これは一体?」
「うーん。なんだこれ」
橋本先生も困っている様子だった。まさしく俺と同じ反応だった。
「ちょっとこの記者に会って話を聞いてきてくれないか?やっぱりちょっと気になる」
「そうですよね。わかりました」
俺は記者の名前と週刊誌の名前をメモった。それは知らない週刊誌の、知らない記者だった。
………………………………………………………
有村結衣は、珍しく叔父に呼び出されていた。休業日の札がかかった「てんや」の扉を開けて、店内に入った。
「こんにちは」
「結衣ちゃんか、ごめんね急に呼び出して」
「いえいえ。どうかされました?」
有村にとって、叔父は特別な存在だ。古風すぎる父親とは違い、有村の意思を尊重してくれる。おかげで夢だった看護師にはなれなくても、人の役に立てる仕事ができている。感謝しても仕切れない存在なのだ。
叔父は有村を席につかせた。そしてまもなく自分も有村の正面に座った。
「どうしました?何かあったんですか?」
彼女は空気が読める人間だ。叔父の様子がおかしいことぐらいは容易く見破った。しかし叔父は、下を向いて唇をグッと噛んだまま、なかなか口を開けずにいた。
「この店のことですか?」
有村は躊躇せず聞いた。叔父はゆっくりと頷いた。嫌な予感は的中したようだ。
「実は、この店を閉めることになった」
「え……?」
この時ばかりは、店の外を流れるわずかな風の音でさえも、有村には聞こえてきそうだった。そんな静寂が2人をゆっくりと包んだ。
「この辺は再開発エリアになっているらしくて。立ち退きを要求されているんだ」
「そ、そんな……。嫌だよ。そんなの嫌だよ。この店は絶対に潰せないの。絶対に」
有村にとってこの店は、ただのバイト先以上の存在なのだ。たまに店の手伝いをしては、常連客をもてなす。休みの日は友人たちと食事を楽しみ、会話に花を咲かせる。ここの存在は、間違いなく有村そのものとも言えた。
「結衣ちゃんの気持ちもわかる。でも、もう潮時かなって、自分でも思うんだ」
叔父はそう続けた。
「……脅されたりしてるの?」
有村は聞いた。だが叔父は答えない。再開発エリアに指定されたことで、そこから強制的に立ち退きさせられたという話を、有村もしばしば耳にしていた。
「まあ、そうだな。圧力はかけられてる。ここを売っても大した金にはならないし、売らなくても潰されるだろうな」
叔父は、それがまるで日本の小さな定食屋の定めであるかの様に、そう語った。諦めているとは違う。だが、それはもう運命であるかのような話ぶりだ。
「待ってよ叔父さん。私、良い弁護士さん知ってるの。すっごい優しくて、強くて、親身になってくれる、すっごい良い先生」
と、そこまで言いながら、有村はそれ以上言葉を発続けるのを止めた。池谷も池谷の事務所も、今はすごく大変な時期なのだ。しかも、有村自身、彼に頼りすぎていると言う自覚があった。何かあったらすぐ池谷に連絡してしまう自分が、少し情けないと感じた。
「いや、私がどうにかする。どうにかするから」
有村はそう言い切った。何をすれば良いかなんて、正直何1つわからない。でもこの「てんや」を守れるのなら、自分が全力を尽くす他ないと、そう誓った。
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