第24話 AI教育ロボット

 あれからと言うもの、俺や橋本先生の捜査は難航していた。前田の居場所は掴めず、新たな糸口が見つかるわけでもなかった。

 その日の夜、俺は有村さんに「てんや」で飲もうよと誘われた。仕事の息抜き気分で、俺はありがたく行かせてもらうことにした。

 「てんや」に行くのは久しぶりだった。事務所の仕事は減っていくばかりで、時間はあるのだが、外食するような心の余裕はあるはずもなかった。

 俺が店に向かったのは18時ごろ。騒がしい大通りを疲れた足で歩いていく。すれ違う3人組のサラリーマンは肩を組んで陽気に歌っている。こんな夜も浅い時間にも酔っ払いはいるものなのかと、暫く彼らの背中を目が追いかけていた。

 あんな風になれたらな、とは思わない。だが少なくとも彼らを羨ましいとは思えた。心の底から笑えたことなんて、特にここ最近は一度もないような気がしていた。

「いらっしゃい!」

 店の前で有村さんは待っていてくれた。

「あ、どうも」

「ささ、早く早く。咲ちゃんはもう来てるから」

 彼女の言う通り、咲ちゃんは店内のカウンター席に座っていた。だがもうかなり飲んでいるのか、テーブルにぐったりと倒れ込んでいた。

「うわぁ、咲ちゃんだいぶ飲んだんですね」

「そうなの。まだ30分も経ってないのに」

 俺も鞄を置いて、彼女の隣に座った。かすかに彼女のいびきが聞こえた。

「何か食べます?私でよければ作りますよ」

「本当ですか?じゃあすき焼きで」

「はい、喜んで」

 俺は水を一口で飲み干した。その後首を鳴らした。

「だいぶお疲れのようですね」

「まあ、はい。色々とあったんで」

「色々と、ねぇ」

 お互い様だね、と言わんばかりな表情を浮かべ、小さなため息をついた。お酒の力を使っても、悩みの本質は消えるわけじゃない。忘れようとしても出来ず、酔いが覚めてを繰り返すだけなのだ。

「うがぁあ」

 そんなだらしない声をあげたのは咲ちゃんだ。その時、彼女が勢いよく起き上がった弾みに、彼女の鞄が床に落ちてしまった。

「あ、ほら咲ちゃん。しっかりして」

 俺は席を立って、彼女の鞄と散らばった書類をかき集めた。そしてその書類の中の1つに、俺の目を引くものがあった。

「AI教育ロボット?」

 俺は思わず読み上げた。

「あぁ、それね。さっき咲ちゃんが言ってましたよ。教育現場の人手不足は一層深刻化していて、それを解決するにはある程度AIがいてもいいんじゃないかなって。でも結局その提案もダメだったらしいです。上には通らなかったって」

「へぇ〜」

 教育と医療の現場にAIやコンピュータが入り込むのはまだ先のことだと思っていた。導入が目と鼻の先だったとは、正直驚かされた。

 俺はそのAI教育ロボットの資料に、パラパラっと目を通した。よく出来た資料だ。咲ちゃんが1人で作ったのだろうか。こうして読んでいると、リスクは大きいながら今の教育現場が抱える大きな問題を解決しえる存在が、まさにAIなのではないかと、そうとすら思えた。

「先生、勝手に見ないでくださいよ」

 重そうに体を持ち上げ、咲ちゃんは言う。

「あぁ、ごめんごめん。でもこれ、面白いですね」

「ですよね?長居先生、今はだめだ!ってこの資料を見た瞬間、怒っちゃって」

「この資料を見て、怒ったの?」

 とても人を怒らせる内容を含んだ資料とは思えない。ましてや人件費等の経費にもうるさそうな長居にとって、この話はプラスでしかないはずなのだが。

「AIとか苦手なのかなー」

 咲ちゃんは呟いた。確かに、AIにいいイメージを持っていない人も多い。長居もおそらくそうだったのかもしれない。考えることも古そうだし。

「私ね、これ市の教育委員会にも持っていったんです」

「へぇ。咲ちゃんアクティブだね」

 と、厨房から有村さんがそう言う。

「でも結果は同じでした。担当の人に色々ダメ出し言われて、取り付く島もありませんでした」

「それで悩んでたのね、咲ちゃんは」

「そうなんです〜」

 咲ちゃんは嘆いた。なんだか上手くいかないのは、みんな一緒らしい。

「ホントにイラつく!あの教育委員会の担当者」

「まあまあ。そう言うこともあるよ」

 咲ちゃんはまたビールを喉に流し込んだ。人の慰め方など知らないが、とりあえず俺はそれっぽく励ます。

「それが、聞いてくださいよ先生。その担当者、あの前田さんだったんです」

「え、は??」

 俺の箸を動かす手が止まった。前田?

「ごめん。もう1回言って」

「教育委員会の担当者が、前田さんだったんです!しかも私のこと覚えてないんですよ!お子さんの担任は私なのに!」

 咲ちゃんの怒りは止まりそうにないが、正直俺の中にはそれ以上の問題が生まれつつあった。俺たちは居場所を掴めなかった前田が、咲ちゃんの前には簡単に姿を見せたのか。おそらく、前田自身が咲ちゃんのことを覚えていなかったのがその理由の1つでもあるだろうが、それにしても不自然な気がする。

「ごめん、咲ちゃん。詳しい状況を説明して」

「はい、良いですけど。何かあったんですか?」

「もしかしたらだけど、なつみの離婚のこととかと関わってるんじゃないかな、と思って」

「えっと、確か先週だったはずです。長居先生にこの資料を見せてダメだったんで、直接薪葉市の教育委員会に電話をかけたんです。そしたら、AIの担当者がいるから、その人に変わりますって。それが前田さんだったんです。びっくりしちゃいました」

 俺の頭の中で、前田と長居の関係性こそが何かのヒントなのではないかと睨んでいる。それは学生時代の先輩後輩というだけじゃない何かだ。それを繋ぐキーワードが「AI教育ロボット」なのかもしれない。正直なところ、この件はただの偶然だった可能性も高い。しかし急に前田が出てきたことからも、引っかかる点がないことはない。

「はい、出来上がり〜」

 ちょうどその時、いい匂いと共にすき焼きが目の前に置かれた。

「ありがとうございます。いただきます」

 俺は前田の名刺を咲ちゃんに返し、お箸を取った。思いがけない角度から進展があった。それだけで、今日ここに来た意味があったと言える。もう少し調べる必要がありそうだが、今日は楽しく食事が進む予感がした。

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