第21話 父親
有村結衣は、2人に気づかれぬよう、少し離れた4人掛けの席に座った。メニューを開いて顔を隠し、2人の会話に聞き耳を立てた。
「へー、そうだったんですか」
内田の相槌を打つ声が聞こえた。
「それで、なんであなたが娘の部屋に?」
男の声だ。そしてその声は、有村にその男が自分の父親だということを確信させた。
「実は私、ちょっとストーカーみたいな人に付き纏われてて。そしたら先輩が、うちに来ていいよって言ってくれたんです」
「あら、そうなんですか。警察には相談なさったんですか?」
意外と父の反応が優しい。有村にはいつも厳しい面を見せている父親が、他人にはこんなに優しくするのだと思うと、少しショックを受けた。
「はい、でも実は、そのストーカーの犯人が女性なんです。それを警察に話したら、あんまり真剣に対応してくれなくて」
「それは大変ですね。大丈夫なんですか?」
「はい、有村先輩と仲のいい弁護士さんに相談したら、結構良かったんです」
「ん?仲の良い?」
有村の父親はそう繰り返した。有村は聞いていることすら辛くなりそうだった。有村の近くに男の影を見つけると、焦ったいほど聞いてくるのが彼女の父親だった。
「お父さんはどうしてわざわざ来られたんですか?何か大事な話でも?」
「ええ。娘にはもうそろそろ結婚して欲しいなと思ってまして。もう32ですし」
有村はため息をついた。彼女も父親のお節介にはもう懲り懲りだった。そもそも彼女の父親は古風な考えを持っていて、結婚して子供を産むことが女の幸せだと、そう考える人だった。それも1つの考え方だが、少なくとも有村はそうは思わない。
「え、あ、そうなんですか」
内田も少し驚いたようで、声が一歩遠のいたような気がした。
「あなたは、えーっと……」
「私ですか?内田真知子です。娘さんの職場の後輩です」
「あー、そうかそうか。『てんや』で働いてるのか」
「え?」
考えうる最悪の事態になりそうだった。女を働かせることに猛反対の父親には、有村が会社勤務していることを教えていなかった。父の頭の中では、有村は叔父の店で働いていることになっているのだ。
もし会社に勤務していることがバレたら、きっと辞めさせられる。このことを黙ってくれていた叔父にも顔向けできなくなる。有村は頭を抱えて、バレないことを天に祈る他なかった。
「『てんや』?なんですかそれ?」
内田はハッキリと聞いた。彼女は気になったらとことん詰めるタイプだ。何かを察して、はぐらかしてくれれば良かったが、驚異的な推理能力と善心がなければ叶わないだろう。
「え?職場って『てんや』のことではないのか?」
まずい。悪い方向に話が進んでいる。有村は顔を隠していたメニューを少し下げ、自らの目で2人を確認した。
「違いますよ、お父さん。私と有村先輩が働いているのは……」
「あ、あれ、お父さん!!なんでこんなところにいるの!?」
有村は最終手段に出た。わざとらしく大きな声を出して、2人の前に飛び出した。有村に気づいた2人は驚いた。
「おお、結衣。いたのか。お前の家に行ったらこの子が出てきたから、びっくりしたんだよ」
「あー、ごめんごめん。ちょっと買い物に行ってただけだから」
ギリギリのところで、内田と父親の会話を遮ることに成功した。あとは適当にそれとなく流せば、父親に仕事の件がバレずに済むはずだ。
「ごめんね、真知子ちゃん。先帰ってて」
「あ、はい。わかりました。失礼します」
有村の父親の前だからか、いつもよりか内田は大人しくて素直だった。彼女は軽く会釈をしてその場を去っていった。
「急いで帰るのよ!あの人に見つからないようにね!」
「はい!」
あの人とは、つまりストーカーのことだ。有村の家に引っ越してからは見なくなったらしいが、やはり一人で帰らすのは少し気が気ではない。有村も父親を早く帰らせて、自分もできるだけ早く家に帰りたかった。
カシャッ!
その時、隣のテーブルから写真を撮る音が聞こえた。普段はそんなことを気にしない有村だったが、その時は何故か変な勘が働いた。その音のする方を向くと、ひとりの女性がテーブルを片付けて、席を立とうとしているところだった。
「ん?」
有村は何かに気づいた。何かを感じ取った。
「どうした、結衣」
父親はそう言いながら、頼んでいたケーキを頬張っている。
「ちょ、ちょっと待ってください!そこのあなた!」
有村はその店を出ようとする女性の腕を強く掴んだ。
………………………………………………………
一旦事務所に戻った俺は、荷物を整理したらすぐに帰宅する予定だった。だが、いつ帰ってきたのか、橋本先生がグッタリした様子で椅子に座っていたのを見つけた。
「橋本先生、お疲れ様です」
「あぁ、お疲れ。前田さんの奥さんのところに行ってたんだって?」
「ええ。今はもう離婚されたので、前田ではなく田沢でず」
「どうだった?なんで前田に親権を譲るなんてことになるんだ?」
「そ、それが、答えてくれませんでした。恐らく何かしら理由をつけられて、譲ってしまったか、それか……」
「それか?」
「前田は主犯ではなく、ただ誰かに操られているだけなのかもしれません。田沢なつみもそれを悟っていたとか」
これはあくまで俺の見解に過ぎない。だが、なつみの態度や雰囲気からすると、無理やり親権を奪われた、というわけではなさそうだった。なつみは前田を助けるために、あえて親権を手放したとも考えられる。
「ポイントは、やはり子供だな。子供が何者かの利権に巻き込まれているのは事実だ」
橋本先生はそう言った。まさにその通りだ。夫婦以外の人間が、この不自然な離婚と親権の譲渡に関わっている。
「あ、そういえば、橋本先生はどこへ行ってらしたのですか?」
「俺はあのニュースの火消しに行ってた。契約を打ち切られたところに行って、頭を下げてきた」
「な、なぜ先生が謝るんですか?あれは前田の嫌がらせじゃないですか」
「今はそうするしかない。メディアと国民が俺らの敵だ。事実無根だとか言っても、誰にも信じてもらえねぇ。今は謝るだけでいいんだ。いずれ前田は地に落ちる」
「契約は、戻ったんですか?」
「うーん、まあまあかな。俺と付き合いの長いところとかは、なんとか契約を続行してくれることになった。ま、ダメージは最小限に抑えれた感じだな」
俺は胸を撫で下ろした。橋本先生のおかげで、なんとか一発KOは避けられた。橋本先生の普段の印象や、信頼関係がそうさせたのだろう。
「わかるな?今は持ち堪えてるけど、新規がなくなればウチは潰れる。危ないのは変わってないからな」
「はい、わかりました」
俺は、胸につけた弁護士バッジを右手でギュッと握った。俺の誇りでもあるこの紋章に恥じぬような、そんな仕事がしたい。
「あ、でも1つだけ。お前が良いって言ってくれる人だっているんだ。だからお前は事務所のことは忘れて、自分のやるべきことをやれ」
俺は大きく頷いた。橋本先生はそんな俺を見て、和らげない笑顔を見せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます