第20話 1つ目の恋の終わり

 有村結衣は周辺を走り回った。時間はそんなに経っていない。内田はまだこの辺にいるはずなのだ。そもそも、内田が何故勝手に家を飛び出したのか、有村は不思議に思いつつも、ストーカーに見つかってなければいいなと、願う他なかった。

「真知子ちゃん!真知子ちゃん!」

 陽はもうとっくに沈み、月明かりと街灯のか弱い光だけが頼りだった。有村は目を凝らして周囲を見渡すが、内田の姿は見えなかった。

 携帯電話をもう一度取り出した。着信履歴を確認したが、彼女からの折り返しはない。彼女はもう一度電話をかけたが、内田は出てくれなかった。

「はぁ……はぁ……」

 久々に走り回った彼女には、もう体力的な限界が迫っていた。足がもう動きそうにもなかった。彼女はそのままその場でかがみ込んだ。

 だがこうしている間にも、内田の身に危険が及んでいるかもしれない。有村の頭はもうパンク寸前の状況だった。

「え、あ、そうだ!」

 池谷に電話しようと、有村は考えた。人探しは人数が多い方が良いに決まってる。それに池谷なら、きっとどうにかしてくれるはずだ、と彼女は思った。

 だが、彼女は直前に目にしたニュースを思い出してしまった。池谷の事務所が訴えられると言う記事だ。とても有村たちのことを助けられるほど、池谷は暇じゃないだろうと、彼女は悟った。

「慎也くん……。大丈夫かな……」

 彼女は立ち上がって、もう一度周りを探し始めた。こうなれば1人で駆け回った方が早い。歩道を走りながら、内田の名前を何度も呼び続けた。

 大通りのコンビニの角を曲がって、飲食店が何軒か連なる路地に出た。街頭の光が届かないこの道は、内田のような若い女の子が一人で歩く分には危険性が高いと、有村は思った。迷いなくその道を突き進んだ。

「え?」

 有村が驚いて立ち止まったのは、有村もよく通うチェーンのカフェだった。その窓際の席に、何とコーヒーを笑顔で飲んでいる内田の姿を捉えたのだ。

 有村は胸を撫で下ろした。内田は別にコーヒーを飲みに外に出ただけだった。誰かに拐われたわけではなかった。

「外に出るんだったら、連絡くらいくれたらいいのに……」

 なんて、ちょっとした愚痴を漏らしながら、有村も店に入った。内田は入り口に背を向けた席に座って、のんびりとコーヒーを飲んでいた。誰かと楽しそうに喋りながら。

「え?」

 内田は、別に一人でコーヒーを飲んでいるわけではなかった。内田の前の席には、割と歳をとった男性が座っていて、内田と談笑していた。

 しかも驚くべきことに、内田と仲良く話しているその人物は、有村がよく知る人物だった。彼女は唖然とし、あまりの絶望的な出来事に言葉を失った。


………………………………………………………



 なつみはいつもより綺麗に見えた。お世辞でも何でもない。本当にそんな気がした。でもそう思えたのは、きっともう会うことができないからであろう。言葉には出さなくても、2人ともそんな予感にはとっくに気づいていた。

 10年間被り続けた皮を剥いだ俺は、今日という日にようやく、人間として一歩成長できた。それだけは彼女に感謝をしなければならない。

「じゃ、も、もう行くよ」

 俺は床に無造作に置かれてある鞄を拾い上げた。ここを出るのにはある程度の覚悟が必要だったが、今の俺が気にするほど大きな問題ではなかった。

「うん」

 なつみはやや大きな声で返事をした。

「あ、ありがとう。色々気づかせてくれた気がする」

「うん」

 なつみはそれしか言わなかった。でもそれが少し懐かしく、愛おしく感じたのは、俺が新しい自分を見つけることができたからであろう。もう何も、隠すことはないような気がした。

「じゃ、おやすみ」

「うん」

 俺は震える右手で、小さく手を振った。彼女は露骨に困った顔を見せたが、仕方なく手を振り返してくれた。やがて、ドアはゆっくりと閉じた。

「……」

 俺はその場に立ちすくんだまま、足を動かすのに暫し時間が掛かった。やっとの思いでマンションのエレベーターに辿り着いた時には、俺の頬は再び濡れていた。

 別に悲しい寂しいとか、そんな平凡な理由ではない。改めてなつみに振られたからとか、そんなことで泣いているわけでもない。どちらかと言うと、嬉しくて泣いているようなものだ。

 実際、今も気分はすごく良い。落ち込んでいるわけでも、何かを後悔しているわけでもない。なるべくしてなった結果に、いつもより少し胸を張れた自分が大人びて見えたのが1番の理由かもしれない。また、10年間もの無駄だと思っていた月日にエンディングを迎えさせてあげられた。一つの完結した物語を作り上げることだできた。素晴らしい充実感に包まれていた。

 俺はマンションのエントランスの自動ドアを抜け、外の空気に触れた。すっかり真っ暗になった夜空には、大きな月が浮いている。月を愛でるなんてことは今までなかったが、ようやくその幻想的な美しさを知れた気がした。

 俺は、俺が思っているかよりも人間だった。自分は良くも悪くも普通じゃないとずっと思っていたが、今日は少しまともな人間でいれている気がする。

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