第22話 因縁の相手
帰宅しようとして事務所を後にしたちょうどその時、俺の携帯が鳴り出した。
「はい、もしもし池谷です」
《あ、慎也くん?有村です。ちょっといい?》
焦った様子は、声だけでも十分にわかった。
「は、はい。もちろんです」
《今すぐこっちに来て欲しいの!真知子ちゃんのストーカーかもなっていう人がいたの!》
「え!?本当ですか?」
《うん。急いで!現在地送るから!》
「はい、了解です」
そのまま電話は切れた。位置情報もあっという間に届いた。ここから歩いて10分ほどのカフェを指している。俺は現場に向かって全力で走り出した。
5分ほど走ったら、例のカフェが見えてきた。窓際の席に、何やら人だかりができていた。俺は急いで店内のドアを開けて、中に入った。
「あ、慎也くん、こっち!」
唖然とする光景だった。1人の女性が店員さんと有村さんによって、床に押さえつけられていた。その女性は必死でもがいて抵抗していたが、動けそうにはない。またそれを囲むように、野次馬が携帯を片手に店内をウロウロしていた。内田さんは1人、怖がった様子で席に腰を下ろしていた。
「い、一体どういう状況ですか?警察は呼びましたか?」
「はい。もうすぐ来るかと思います」
そう男の店員さんが答えた。彼は女性の首元をガッチリと掴んでいる。
「おい!!離せ!」
取り押さえられた女性は大声で叫んだ。気性が荒ぶっているのは見てわかる。
「彼女が一体何をしたんですか?」
「盗撮です!この女、真知子ちゃんの写真をずっと撮ってたんです。ストーカーです!」
「な、なるほど」
俺は急いでメモを取った。確かにこの彼女が内田さんのストーカーの可能性が高いが、それは現時点では断言できない。であれば付き纏いではなく、盗撮の容疑がかかっていることになる。
「すいません、この携帯ですか?」
「はい」
現場にある携帯を拾った。電源はついてあったままで、写真フォルダには内田さんの写真が多数存在した。しかもそれは今日の写真だけではなかった。数にすれば数百枚にも及んだ。盗撮の容疑はほぼ確定で問題はないだろう。
「おい!!さっさと離せ!!押さえつけるなんて立派な暴力だ!暴行罪だぞ!お前らも警察に捕まるぞ!」
その女は大声で怒鳴った。押さえつけていた有村さんと店員さんは、その言葉を聞いて躊躇いの表情を浮かべた。力が抜けて、その女が勢いよく立ち上がろうとした。
「お二人、大丈夫です!そのまま押さえていてください。あなた方は決して犯罪にはなりません」
「あ、そうなの?」
「はい、特に現行犯の場合は、警察以外の一般人でも犯人を拘束しても構いません。盗撮は東京都の迷惑行為防止条例違反ですので、彼女は立派な犯罪者です」
刑事訴訟法213条により、現行犯人および準現行犯人に対しては私人逮捕が認められている。やや強引な気もするが、今回の拘束は全く違法にはならないだろう。
しかし、今回は盗撮でしか逮捕できない。内田への付き纏い行為に関しては、後日警察に捜索され、間もなく迷惑防止条例、ストーカー規制法などにより再逮捕されるだろう。いずれにせよ、有村さんがこの女性を捕まえてくれたおかげで、きっと内田に対するストーカーはなくなることは確実だ。
そうこうしているうちに、警察官が到着した。彼らに身柄を引き渡し、女性はその場で現行犯逮捕された。パトカーに乗せられ、近くの署に連れて行かれるそうだ。
俺たちはその場で軽く事情聴取を受けた。内田も最初は怖がった様子で縮み上がっていたものの、時間が経つにつれ犯人が逮捕された安堵感からか、いつものように明るい彼女が戻ってきていた。
「先生、本当にありがとうございました」
「い、いやいや。礼なら有村さんに言わなきゃ。捕まえてくれたのは彼女なんだから」
「はい。先生にも有村さんにも、本当に感謝です」
内田は顔に大きな笑みを浮かべた。これでグッと解決に近づくと思うと、達成感が胸を駆け巡った。俺はこの瞬間を味わうために、弁護士になったと言っても過言ではない。それぐらい、内田の笑顔は俺や有村さんをもホッとさせた。
「じゃ、お先に失礼します」
「1人で大丈夫?」
「はい、もちろんです」
内田はそう言うと、軽い足取りで店を出て行った。久々に自分の家に帰れるのが、楽しみで仕方ないのだろうか。若い人って元気なんだと思いながら、視界から段々と離れていく彼女の姿を見ていた。
「さ、じゃあ俺たちもそろそろ帰りますか」
その時、ずっと横で一部始終を見ていた年配の男性が、俺に声をかけてきた。
「あの、あなたが娘の知り合いの弁護士さんでありますか?」
「え、え?」
突然声をかけられ、また言っている意味が全然わからなかった。俺はオドオドと困惑した。
「すいません、私の父です」
と、影に隠れた有村さんが言ってくれた。
「え、あ、そうだったんですか。ごめんなさい」
なんというか、有村さんの父親だとは正直思えないような、ダンディーで、さらには重厚感があって寄せ付けない雰囲気を持つ男性だった。
「娘と仲良くさせてもらってるそうで」
「あ、いや、まあ、はい……」
歯切れが悪い答えになってしまったのは、後ろで有村さんが必死に体を動かして、ジェスチャーで俺に何かを伝えようとしていたからだ。だが、彼女が俺に伝えたいことが一向にわからない。
「いつ娘とお知り合いになられたんですか?娘は定食屋で働いているわけですから、そこでお知り合いに?」
「いや、えーっと……」
以前、有村さんの店を訪ねた時、彼女からこんな話を聞いていたのを思い出した。彼女の父親は古風な人で、確か有村さんが外で働くことを認められてないんだとか。当時は酒が入っていたこともあり、詳しいことは思い出せないが、彼女が必死で俺に伝えようとしているのはきっとそのことだろう。
「いや、まあ、はい。そうですね。あの店で知り合いに」
本当は彼女が咲ちゃんを事務所に連れてきたのが最初だ。有村さんは職場で咲ちゃんと出会い、俺にパワハラの件で相談に来てくれた。
「ああ、そうでしたか。失礼ですが、おいくつですか?」
「えーっと、今は29です」
「なるほど、弁護士と有れば、やはり儲かるものなんですかね?」
「いや、えーっと、どうでしょうか。また弁護士としても社会人としても未熟ですから、まだそれほどでもありません」
警察か何かに尋問されているような気分だが、強い圧力がかかっている気がして、やけに素直に答えてしまう自分がいる。彼女のお父さんは2、3回大きく頷いて、突然俺の手を取って強く握ってきた。
「もし良ければ、娘を貰ってやってくれませんかね?」
「え?え!?」
訳がわからない。お父さんは俺に頭を下げてきた。
「ちょっと!お父さん!やめてよそういうの!」
有村さんは、やや強引にお父さんを俺から引き剥がした。お父さんはよろけてバランスを崩し、ソファーに倒れ込んでしまった。
「そういうのやめてって、ずっと言ってるでしょ!なんでわかってくれないの?」
有村さんは、珍しく怒っていた。その矛先は彼女の父親だった。
「結衣、俺はお前のためを思ってやってるんだ」
「それが私のためになってないの!私を縛り付けてるのだけなの」
お父さんはゆっくりと立ち上がって、有村さんの前に立ちはだかった。改めて見ると、身長は190cmぐらいあるのではないかと思うぐらい、とても高くて威圧的だった。
「馬鹿言うな。お前ももう32だ!女は結婚しないと幸せになれねぇぞ!」
それが誰にもとって衝撃的な発言だったのは言うまでもない。有村さんはかなり傷ついた様子だった。
「……」
彼女は怒りを鎮めるようにそっと俯いて、何も言わずにその場を離れようとした。
「おい、結衣!待ちなさい!」
「絶対イヤ。もうウチには来ないで」
彼女の心中は計り知れないが、その胸の中に抱えるものの大きさは、少し理解できた気がした。
「慎也くん、さっさと行こ」
「え、いや、でも……」
お父さんを1人にするのは気が引けた。だが彼女は俺の腕をガッと掴んで、無理矢理店内から引っ張り出した。彼女のお父さんは尖った目つきで俺と彼女を睨みつけていた。
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