第15話 不要な気遣い

 車があるとは言ったものの、もう長らく乗っていない。運転が苦手なわけではないが、好きではない。事務所に通う時も車ではなく電車を乗り継いで行っているほどだ。おかげでマンションの駐車場に止めてあった俺のプリウスのボンネットには埃が溜まっている始末だった。

「え、大丈夫なの?」

 心配そうに内田さんが呟く。内田さんはストーカーの件もあって、有村さんの家に住まわせてもらっている。今日は有村さんと一緒についてきた。

「まあ、慎也くんの運転信じましょ。全く運転してなさそうだけど」

 有村さんはそう言ってドアレバーを引いた。そこにも埃が溜まっていたらしく、うわっと驚いて手を引っ込めた。

「べ、別に運転が苦手なわけではないんで。安心してください」

 俺がそう言っても、3人は半信半疑の状態だった。車がこんな有様でも説得力がないのは薄々気づいていた。仕方がない。

「ま、早く乗って」

 俺は運転席に乗り込んだ。3人もあれこれ言いながらも結局は素直に乗った。若く同い年同士の咲ちゃんと内田さんが後ろに座り、有村さんが助手席に座った。咲ちゃんと内田さんは今日が初対面だったが、価値観が合うのか、もう仲が良さそうだった。

 俺はエンジンを入れ、グッとアクセルを踏み込んだ。ハンドルを回し、駐車場を出る。

「池谷先生、めっちゃ良い先生だよ。きっとどうにかしてくれる」

 咲ちゃんは後部座席でそう話している。

「咲ちゃん、あれからどうなの?長居先生は」

「もう私に話しかけてこなくなりました。池谷先生のおかげです」

 咲ちゃんは胸を張ってそう言った。俺は弁護士として誇らしかったが、あの時の長居の態度が未だに気にかかる。タダで泣き寝入りするような男だとは思えない。まだ完全に終わったわけではない。

「真知子ちゃんも、最近はストーカー見なくなったって。私のところに来たからかしら」

「そ、そうかもしれないですね。ありがとうございます」

 ナビに従って車を走らせる。今のところはブランクを感じさせない安定した走りができている。10分ほど直進すると、もう俺の知らない土地に出て、少し慌てた。

『200メートル先、左方向です』

 200メートルなんて言われても、土地勘がなく慣れてないもんだから、一体どの信号で曲がれば良いかがわからない。この信号なのか、次なのか。200メートルなんて言わずに、もっとわかりやすい表現がなかったのか疑問に思う。車を出す度にこのわかりずらさにイライラする。ドライブが好きじゃないのはこれが理由の一つだ。

 しかし高速道路に乗ると、そんな否定的な考えは少しばかり収まった。高架の道路からは輝かしい都会のビル群と、その奥にドッシリと山脈が連なっているのが見えた。そこに見えたのは、自然と人間の全く協調が取れていない、不完全な美しさだった。俺は運転しながらその景色に暫く見惚れていた。

 そんなことに一切興味を示さず、談笑に励んでいるのは女性陣だ。楽しげに笑い合う姿をルームミラー越しに見ていると、何だか不安になってくる。それはきっと疎外感以外の何者でもないのだろう。俺は目線を正面に戻し、また運転に集中した。


………………………………………………………


「初めてだなぁ、ここに来るの」

 立体駐車場からエレベーターに乗り、店舗階に出た。家族連れやカップルなど、土日だからか店内は人でいっぱいだった。

 俺は辺りをぐるっと見回した。お洒落なお店がズラリと肩を並べている。どれも俺をお呼びではない雰囲気を醸し出している。俺は黙って唾を飲み込んだ。

「じゃ、早速行こっか!」

 咲ちゃんはいつにも増してテンションが高い。そう言って彼女はもう歩き始めた。彼女について行けば良いことがありそうな気がするのは俺だけだろうか。

「慎也くんは何が欲しいんです?」

 有村さんは俺に尋ねた。

「お、俺おしゃれとか全然わからないんです。良いのがあれば、って感じですかね。別にこれって決めてはないです」

「へー、そうなんですか。じゃあ私が選んであげます。慎也くんの」

「い、良いんですか?ありがとうございます」

 俺が礼を言うと、有村さんは顔に笑みを浮かべた。彼女のセンスに任せておけば、俺も人並みになれる気がする。根拠はないがそんな気がしてならない。

 買い物も好きではない。それは俺にこだわりがないからだ。何を選んでも良いと思えてしまう。だが今はちょっとワクワクする。こんな感情は初めてだ誘われた時は少し面倒臭かったが、今はもうそんなことはない。

「ね、ここ見よー」

 と、内田さんが言う。彼女はスキップをしながら入っていった。女性の服がズラッと並んでいる。店の名前は何語かも分からず、読めない。

「あ、すいません池谷先生。空港に行くんですよね」

「え?」

 咲ちゃんが軽く頭を下げた。

「空港、車で通りましたよね?あっちの南出口から出るとすぐです」

 丁寧に空港への経路を教えてくれる。

「あ、いや、もう別に大丈夫です。買い物に付き合いますよ」

「ありがとうございます。でも遠慮しないでください、先生。終わったら連絡しますから。それまで空港を楽しんでください」

「あ、はぁ……」

 正直に言えなかった。咲ちゃんに言えなかった。みんなで一緒にいたい、と。

「あっちですよ。じゃあまたあとで!」

 彼女は俺に元気よく手を振って、そのまま店内に消えた。彼女に悪気がないからこそ、俺は自分の気持ちを伝え損ねてしまった。

「……」

 気づけば1人だった。目の前を大勢の人が行き来しているが、みんな俺を避けるように側を通っていく。不思議な感じがした。俺は障害物か何かなのか。と、そんなことで馬鹿みたく落ち込んでいる俺だった。1人でいる方が好きなのに、今日ばかりはそんな気分になれそうにない。

 カバンの中からカメラを取り出した。紐を首からかけ、空港付近に出れると言う南出口へと向かった。足取りは重かった。

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