第14話 誘い
「いらっしゃいませー」
「……」
「こちらへどうぞ」
「は、はい」
休日の朝、髪が伸びすぎていることに気がついた俺は、近所の散髪屋に来た。ここ数年はずっとここに通っているが、店員さんが俺のことをリピーターだと認識することはない。いや、逆に認識されては困る。色々話しかけてこられるのが苦手なのだ。店員さんに話しかけられる度に、散髪屋を変えていたほどだ。
俺は案内された席に座った。荷物は店員さんに預かってもらった。新しく入った人らしく、研修中の札が胸のところに貼ってある。
「本日はどうなさいます?」
「あ、もう適当で」
「雑誌とか見られます?色々置いてますよ」
「て、適当で結構です。できれば地味な感じで」
「じゃあ、菅田将暉みたいな感じでどうです?」
「……いや、地味な感じで」
いつもの無愛想なおじさんはどこに行ったのだろう。あの人は無駄な会話をしてこないから好きだ。この若者は菅田将暉が地味だと考えている始末だ。俺とは感性が合わない。俺は髪の毛なんか人並みであれば何でもいいっていう考え方だ。髪の毛を奇抜にすることがオシャレだと思っているこの男を見ると腹が立つ。今すぐ交代してほしい。
「あ、はあ。まあじゃあ地味な感じでいきますね」
「は、はい」
もちろん交代してほしいなんて俺に言えるはずがない。自分から話しかけるなんてレベルが高すぎる。ストレスは溜まるが今日はこれで我慢するしかない。
「お仕事は何をされてるんですか?」
「あ、お、お、俺とても眠いです」
「すいません」
無理矢理、眠るフリに成功した。やや強引だが、この店員さんと会話をするしんどさといえば、こんなものでは済まない。なら変人だと思われた方が100倍いい。
結果、努力のおかげで念願の地味な髪型を手に入れた俺はスーパーで買い物をしてからすぐに帰宅した。二度寝をしようかとも考えたが、そんな気分では到底ない。何をしようかぼーっと考え、棚から数独パズルの冊子を引っ張り出してきた。そのまま机について、お気に入りのYS-11の模型を横目に数独を解き始めた。地味なようだが、これが意外と楽しい。自分の好きなことに没頭できる幸せを感じる。
数分後、ピンポーンとベルが鳴った。
「え、誰?」
宅配便を頼んだ記憶はない。ましてやデリバリーもこんな時間から頼むはずがない。俺は恐る恐るドアの穴から外を覗いた。
「さ、咲ちゃん?」
驚いた。彼女は大きく欠伸をしながら俺の家のインターホンを鳴らしていた。知らない人ではなくて安心はしたが、逆になぜ彼女がここにいるのか。俺は疑問に思いつつも、鍵を開け、ドアをゆっくりと開いた。
「おはようございます、池谷先生」
「お、おはようございます」
「あれ、先生髪切りました?」
「は、はい」
「いいじゃないですか。池谷先生らしいです」
「ど、どうも」
それが褒め言葉かどうかは判断できなかった。だが少なくとも悪い気はしなかった。
「ちょっとだけお邪魔してもいいですか?」
「あ、え?」
喉の奥から変な声が出た。それほど彼女の発言はあまりにも突発的すぎた。身構える暇もない。
「待ってください。何で俺の家知ってるんですか?」
「この前、てんやで飲んだじゃないですか。その時に教えてもらったんです。私たち同じマンションですよ」
身に覚えがない。てんやで飲んだ記憶はあるが、まさか咲ちゃんと同じマンションだったなんて。全く覚えていない。なんか恥ずかしい。
「今から結衣ちゃんと遊びに行こうと思ってるんです。そしたら唯ちゃんが、慎也くんも誘いたい、って言い出して」
遊びに出かけることなんて滅多にない。それに人から誘われるなんて今までの人生で一回でもあっただろうか。30年の歴史を振り返っても思い出せるものはなかった。
「ど、どこに行くんです?」
「最近出来たばかりのショッピングモールです。服とか見に行きたいなぁって」
「な、なるほど……」
正直に言おう。とても面倒くさい。服には微塵も興味がないし、買い物をレジャーだとは思えないタイプの人間だ。家で鉛筆を握って数独に時間を費やす方が俺に合っている。
「そういえば池谷先生、確か飛行機が好きなんですよね?」
「え、あ、はい。でもなんでそれを?」
と、そこまで聞いて気づいた。俺は誰にだって趣味が飛行機だって自慢して回っているわけではない。俺の趣味を知るのは俺のことをよく知っている人間だけだ。橋本先生か田所さんは考えにくい。そうすると、自動的に答えはなつみと導かれる。なつみの子供の担任が咲ちゃんだから、十分接点もある。
「ま、それはそれは先生に詳しいお方が教えてくれましたよ」
咲ちゃんの言い方に微妙に悪意を感じる。これは絶対になつみで間違いない。きっと俺たちの昔の関係の事も喋ったのだろう。咲ちゃんは全て知ったうえで俺をいじっているに違いない。
「確か、その近くに空港があるんです。近くで飛行機いっぱい見れますよ?一緒に行きません?」
趣味で俺を釣ろうって言うのか。咲ちゃんも中々姑息な手を使ってくる。ペットを餌で懐かせようとしているのと同じだ。俺は動物なんかと一緒にされるほど馬鹿ではないし、30年磨き上げた大人の理性だって持ち合わせている。そんな雑な誘い、俺が断れないわけがない。
「はい、喜んで」
「あ、ほんと、ありがとう!」
口は嘘をつけない。仕方がない。撮影用のカメラでも持っていこうか。
「ちなみに先生、車持ってます?」
「はい、一応」
「じゃあ乗せてってください!ありがとうございます!」
「いや、待ってください。有村さんは?」
「電車です」
「咲ちゃんは?」
「車持ってません」
「……やっぱり俺?」
咲ちゃんは黙って頷いた。笑いを堪えているのが鈍感な俺にでもわかる。俺を誘ったのは初めからそう言う理由だったのだろう。まあいい。咲ちゃんや有村さんと喋るのは、他の人と違って嫌な気分にならない。どうせなら久しぶりに飛行機の撮影をして楽しもう。そんな休日も悪くない。
「じゃ、もうすぐ有村さんたち来るんで、お願いします!」
咲ちゃんは笑顔のまま、マンションの廊下を駆けていった。俺はその姿を暫く見守って、彼女が見えなくなってからゆっくりとドアを閉めた。
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