第13話 新たな仕事

 学校からの帰り道、車窓に映る自分の顔は非常に情けなかった。電車が左右に動くたびに、俺の力のない表情はガクガクと揺れた。そんな光景を俺は見ていられなかった。

 後悔の念がどこまでも尾を引く。だが今回はまだどうとも言えない。長居と校長が今後どうなっていくのかは、今の俺には想像もつかない。事態が好転する可能性だってあるのではないか。そう思うと、良いように言うとスッキリしたが、悪いように言うと責任逃れな気がして素直に胸を撫で下ろせなかった。

 

 事務所の最寄駅に到着した。急行も止まらない小さな駅だが、駅前のロータリーの街路樹が綺麗で、俺は大変気に入っている。季節ごとに変わる景色は見ていて飽きない。それに人通りも少ないから、人目も気にせず自分が納得いくまでこの景色を楽しめる。

 駅から事務所まではほんの5分もかからない。片側2車線の道路をしばらく歩く。随分と疲れたのか、歩きながら大きな欠伸が出た。

「ただいま戻りました」

 事務所のドアを開けて、帰社を告げる。橋本先生と田所さんはコーヒーを飲みながら談笑していた。

「お帰りなさい、池谷先生。お客さんが来てますよ」

「え、あ、俺にですか?」

「どうやら、池谷先生と親しい方だそうです」

 田所さんは気味が悪い笑顔を俺に向けている。橋本先生もそれは同じだ。

「彼女いたんなら言えよ、池谷」

 橋本先生が本当にそう思っているはずがない。ただ俺をいじっているだけだ。

「端の部屋です」

 俺はそう言われて、急いでメモ帳やなんやらの準備をし、その部屋に飛び込んだ。

「す、すいません。お待たせしました!って、あ、有村さん?」

 彼女は照れた様子で俺に小さく手を振った。だが彼女の隣の女性は誰なのかわからない。長い黒髪のその女性は有村さんよりは少し小柄で、俺よりもかなり若いように見える。20歳やそこらではないのか。

「あ、この子は内田真知子ちゃん。会社の後輩」

「こんにちは、内田です」

「は、初めまして。池谷です」

 財布の中から名刺を取り出し、差し出した。内田さんは静かに受け取った。緊張なさっているのか、少し手が震えている様子だったが、きっと俺の方がもっと緊張している。

「ごめんなさい、どれくらい待たせちゃいました?」

「20分ぐらいかな?慎也くんにメールしてたんだけど、気づいた?」

「え?」

 俺はポケットの中から携帯を取り出した。ホームボタンを押すと、通知が2、3件溜まっている。学校に行ったときにミュートにしたのを、そのままにしてしまっていた。

「すいません、来てました。ごめんなさい」

 俺は彼女たちに頭を下げた。

「いいのいいの。それよりちょっとね、相談があるんだけど」

 有村さんはそう言った。内田さんは下唇をグッと噛んだ。

「はい、お聞きします」

 俺はソファーに浅く座った。メモ帳とペンを取り、軽く身構えた。

「……」

 内田はまだどこか引っかかっている様子だった。俺があまりに頼りなさすぎたか、あるいは人に話す覚悟が出来ていないのか?おそらく前者だろうと薄々気づいてはいる。

「真知子ちゃん、大丈夫。どこか変で抜けているところも多い人だけど、それなりに良い先生だから」

 有村さんは俺のことを褒めているつもりだろうが、あまり褒められた気はしない。だが変なのも抜けているのも自覚があるので何も言えた身分じゃない。弁護士として最悪の欠点な気がする。

 内田さんは有村さんをチラッと見た。彼女は優しく微笑み返した。

「……私、ストーカーに悩んでて」

 突然、意を決した内田さんは話し出した。俺はスムーズにペンを走らせた。

「な、なるほど」

 と落ち着いた様子で言いながらも、ストーカーと聞いた瞬間、心臓が飛び出そうだった。本当に相談する相手は俺であっているのだろうか。自分に自信がない。

「詳しく聞かせてもらっても良いですか?」

 内田さんは小さく頷いた。その様子は何かに怯えているかのようだった。その何かがストーカーであれば、もう彼女に残された心の余裕はないのかもしれない。

「どんな人か教えてください」

 有村さんは内田さんの肩を持って、励ました。内田さんはゆっくりと少しずつ、口を開いてくれた。

「女性なんです。30代くらいの、金髪でスタイルの良い方です。面識はたぶん無いと思います」

 俺は丁寧にメモを取った。一言一句、彼女の言葉を漏らさず書いた。

「女性のストーカーって、珍しいですよね?」

 有村さんはそう聞いた。

「いえ、実はそうでもないんです。15%弱ですが、女性の加害者もいます」

 何年前だろうか、学生の頃、同じ疑問を教授にぶつけたことがあるのを思い出した。犯罪に性別なんて関係ない、やる奴はやる、確かそう答えられた。

「警察には相談しました?」

「はい、でも女性が女性を付き纏うなんて、ただの被害妄想か何かじゃないかって言われて。一応調べてはくれてるみたいですけど、何も変わらないんです」

 日本の警察は優秀だ。刑事事件になれば警察・検察側が99.9%の確率で勝つ。もちろん確実に有罪と決まってから起訴されるからという理由もあるが、その贔屓目を省いても彼らの捜査能力には脱帽させられる。弁護士が検察に打ち勝つドラマや映画をよく目にするが、基本あり得ない。警察と検察の捜査規模を舐めない方がいい。

 そんな優秀な警察が、今回は苦戦している。もしくはそもそも捜査すらしていない。順当に考えれば後者であることは想像に容易い。

 ならば俺がやらなければ、どうにもいかない。俺には経験も実績もない。それなら絶対に警察に任せたほうがいい。そんなことはわかっている。でも警察に動く気がないなら、他に誰が内田さんを助けれると言うのか。

「どう?慎也くん。真知子ちゃんのこと、助けてくれないですか?」

「わ、わかりました。お受けさせていただきます」

 有村さんと内田さんは目を合わせ、にっこり微笑みあった。その光景は、大役を引き受けて緊張している俺を少し安心させた。

 その後の協議の結果、しばらくの間は、内田さんは有村さんの家で一緒に過ごすことになった。加害者を見つけることも大事だが、内田さんが少しでも安心できる環境にするのが先決だった。

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