第12話 余裕
前より少しいい応接室に通された。校長先生と長居先生が黒いソファーに座りながら、お茶を啜っていた。俺の言葉には殆ど耳もくれず、瞼が沈みかけていた。
「あの、聞いてます?」
その時の俺は、燃え盛る怒りが頭の中で煮え繰り返っていた。はっきりとした態度を取らないことに苛立ちを隠せない。
「そんな事実は一切ございません」
長居は適当に返事をした。もうこの言葉は何度目なんだろうか。
「被害者の方達は、今回は訴えないと言ってくれています。しかし次同じ事があれば、躊躇なく次の手段を取らさせて頂きます」
語尾を強めてみたが、俺の気持ちが微塵も向こう側へと伝わる気配がない。そもそも俺の話を聞こうとすらしていない。
「そんな事実はございません」
長居はまた同じ言葉を繰り返すと、眠たくなったのか大きく欠伸をした。到底客の前の態度とは思えない。失礼にも程がある。
「こちら、いくつかの先生からの告発書です。そこには長居先生のパワハラとセクハラが明記されています。言い逃れはできませんよ」
よくドラマにあるように、俺は告発書を勢いよくテーブルに叩きつけた。バン、と大きく音が鳴った。柄にもなく2人を睨みつけた。
だが校長先生はポケットから携帯を取り出し、伸びをしながら携帯を触り始めた。なんだこの無法地帯は。健全な教育現場とは程遠い。
「き、聞いてます?」
「いいえ、全く」
俺の計算は大きく狂った。パワハラとセクハラに厳しい世の中だ。告発書を出せば簡単に謝罪を得られるとたかを括っていた。そもそもなぜ彼らは強行姿勢を貫けるのだろうか。もしこれを俺がメディアに流したら、この学校だってタダじゃ済まない筈だ。こんな態度の2人は真っ先に懲戒免職間違いない無しだ。
「それより池谷先生、前田さんの件、どうなったんです?」
嫌味を含んだ言い方で俺に聞いた。長居は前田さんの旦那さんの証言の偽装に直接関わった男だ。どうなったかを知らないわけがない。
「あなたにお話しすることはありません」
「あまり前田さんをみくびらない方がいいですよ?」
長居はそう言い残すと、ソファーにもたれて足を組んだ。何が言いたいかはさっぱりわからないが、こちらに交戦的な態度を取るのであれば、こちら側も持てる権力を使って法的手段に出るまでだ。
「反省がないようなので、訴える方向で話を進めさせていただきます。宜しいですか?」
「構いませんよ。どうぞご勝手に」
長居はひたすら強気だった。後ろ盾に何か大きな権力があるのか?そうでもないとこんな高圧的な態度を取れるはずがない。下手に自分の首を絞めるだけだ。
「では」
このまま帰ってもいいのだろうか。このままでは彼らの思う壺なのかもしれない。相手の表情にも緊張感は一切なく、余裕を醸し出している。追い込んでいるように思えて、実は今俺の方が追い込まれているのかもしれない。だが、そんなことを確かめる術は俺にはない。
俺は告発書を回収して、鞄に突っ込んだ。そのままドアを開け、礼もせず部屋を出て行ってやった。これが俺のできる精一杯の抵抗だった。
その帰りに、職員室に顔を出した。
「大石先生!」
テストを丸付けをしている咲ちゃんを発見した。俺は少しばかりか声を張って彼女を呼んだ。人気のいない影に彼女を連れてきた。
「こんにちは!で、どうでした?」
「そ、それが、パワハラもセクハラも認める気なんて一切ありませんでした」
「え?」
「もう訴えるしか戦う方法はないかもしれないです」
咲ちゃんは俺の言葉を聞くと、すっかり黙り込んでしまった。日本では訴えるという発想が欧米のように身近にはなく、人の目を気にする性格もあって中々問題解決の方法として定着しない。彼女も同じような理由で悩んでいるのかもしれない。
「ま、まあ時間はいっぱいあるから、落ち着いたらいつでも連絡してください」
「はい、すいません。ありがとうございます」
咲ちゃんは少し悲しそうだった。俺はそんな彼女を見ると悔しくなった。ズバッと解決してあげたかった。被害を受け続ける生活をさらに強いることになるなんて、弁護士として失格だ。俺は1人、廊下で肩を落とした。
……………………………………………………
有村結衣は後輩の内田真知子を連れて、橋本法律事務所を訪れた。池谷からメールの返信がなく、相談するなら早い方がいいと有村は思ったのだ。逆に内田はストーカーの件を弁護士と言えど見知らぬ他人に言うなど気が引けて、やや強引な有村に少し引いていた。だが有村はそれも承知の上で、池谷ならどうにかしてくれる変な期待を抱いていた。
カランコロンカラン……。有村はドアを開けた。
「いらっしゃいませ〜」
事務所の奥の方から声がした。スタスタという足音と共に、事務員の田所さんがいらっしゃった。
「あれ、えーっと、確か有村さん?」
「はい。お世話になってます。池谷先生はいらっしゃいますか?」
「ごめんなさい。今は外出しておりまして……」
「いつ戻られますか?」
「もうすぐかと思います」
「じゃあ少し待ってていいですか?」
「ええ、もちろんです」
有村と内田は角の部屋に通された。内田はやや緊張気味な様子だった。有村も前回来た時は似たような感情を抱いていたが、2回目にもなると、この空気感が絶妙に気持ちいいと感じるのだ。
「そういえば有村さんは前にも来ていただいて」
「はい。それから池谷先生と仲良くさせて頂いてて」
「あら珍しい。池谷先生にお友達がいらしたなんて」
「そうなんですか?」
有村は少し驚いた。池谷は確かに口数が多いタイプではないが、友達がいないような人には見えなかった。少なくとも、有村自身は彼と上手くやっている自信があった。
「それもまた女性とは、珍しいです」
有村はどことなく変な気持ちがした。胸の奥をくすぐられているような、丸呑みにできないような気持ちだった。
「これからも池谷をよろしくお願いします」
「え、あ、はい……」
有村は答え方に困ってしまったが、その間に田所は部屋を出ていってしまった。彼女の真意が分かりそうで、頭を少し傾げた。
「え、有村さんの彼氏さんですか?その池谷先生っていう弁護士さん」
「ち、違うよ。ただの知り合い」
有村は焦って否定する。もちろん付き合ってなんかいない。しかし、内田に聞かれて、有村の額に嫌な汗が滲んだ。内田はあまり見ない有村のそんな姿を見て少し微笑んだ。先程の緊張は少し解けたみたいだ。
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