2-19

       ◆


 相変わらずの曇り空を背景に、一五〇建ての無機質な超高層ビルが堅牢に天を貫く。行儀よく並べられた石畳を小走りしながら、わたしは前を歩く足早な背中を追いかける。


 赤い髪が、か細い月明かりに照らされていっそう鮮やかに夜へとける。陽が世界に色をもたらす時間帯から徐々に彩度が落ちて、今ちょうど一日のうちでいっとうモノクロに近づいたとき、赤は安易には埋もれない強烈な存在感を視界のなかで皓々と放ち、それが彼そのものの在りかたのようにおもえて、つまり、わたしはあの髪がよく似合うとおもったのだ。


 遠い人なんだと実感した。量産型の優等生である自分とは大違いもいいとこ。わたしなんか、あたりさわりの無い挨拶ができて、会話ができて、適度に愛想を振りまいて、灰色の人混みにあっさりとのまれ、何者かになりたいのに何者でもないただの十六歳、こんなのと比べたら失礼極まりないよね、でも。


 彼にとってわたしは通りすがりの景色みたいなもので、バディを組む人間として――経験や知識や年齢やいろいろの差はあれど、複雑なたましいの持ち主であるという意味の人間として――対等だとは感じないんだろうな、と不意に納得してしまった。


 まだ入局してひと月も経っていないのにこの人の噂は四方八方から聞こえてきた。例えば、誰彼構わず発砲するとか。態度が悪すぎて(悪いなんて可愛いもんではなくて)何回も上司にキレられているとか。重度のヤニカスだとか。子どものときに殺人鬼に監禁されて、両腕両脚を切り落とされ、復讐のために嬉々として殺しを楽しんでいるとか。


 だけど音無しなのにSランク国際戦闘資格者でめっちゃ難関なシュプール師資格も持っていて、作りものみたいに完璧な顔面の配列で、見惚れるほど気品のある所作を、乱暴な言動でわざと隠すようにしていて、ふとしたときに隠しきれない優しさを見せる、賛否両論、レト先輩は人々が噂せずにはいられないタイプの人種なんだって事実が、まだひと月も経っていないのに突きつけられてる。


 ――送る。


 わたしが犯人について推測した人物像を事務室で発表して、犯罪捜査のプロたち一同が呆気にとられていたとき、けたたましく響いた着信音はママからわたしへのものだった。怪我をしたって機構から連絡があったけど病院に行ったら退院したあとだった、どこにいるの、と叫び声が受話器から飛びだして、みんな今日の業務をここまでにすることとなった。


「――送る。自宅は何処だ」


 おのおの帰り支度を始めた喧騒のなかでレト先輩がいきなり睨んできたから、わたしは度肝を抜かれたのだった。意思が揺るがないのを通り越してもはや決定事項。何故だか一方的に決めつけられている。いや、なんでだよ。


「レト先輩、わたし自分で帰れますよ」


「だろうな」


「……えっと、だろうなじゃあぜんぜんありませんよ? 〈治癒〉が済んでいますんで、完治です」


「だろうな」


「えーっと……心配してくれるのは嬉しいけど、」


「心配はしていない。頑迷なガキだ」


「がっ……!?」


 こうしてバイクのある駐車場へ強制連行されていた。


 なまぬるい四月下旬の仄暗い月明かりのもとで、わたしは足早に突き進む先輩の広い背中をこそっと見あげる。この人とは必死に愛想を振りまいて機嫌をとってお世辞とか並べたてながら会話繋げなきゃならないという強迫観念が無い。沈黙していてもいいのだとなんとなく分かる。


 ――あんたがどんなに頑張ろうと一生俺に嫌われることはできない。同様に、好かれることも不可能だ。安心して楽に振る舞うといい。


 お前なんか眼中に無いと宣言されたみたいで今さら腹が立つ。


 ――我儘でも悪口でも自由にしてくれ。俺の態度は変わらない。業務に必要なOJTも、連絡も、世間話も。つねに一定で提供する。


 手がかかって迷惑もかかって比較的面倒な後輩であるわたしが、戦えないから、昨日の今日だしってわざわざ先輩が家に送ろうとしてくれている。守んないといけないか弱い存在で、そのくせおとなしく守られる気なんて無く、だから向いてない、執行課を辞めるべきと病棟ではっきり断言された。


 ――以上で説明を終える。安心したか?


 この人との沈黙は苦じゃない。


 心底嫌いなのに。


 こんな奴。


「先輩。ラムネ監督の映画って観たことありますか?」


 怪訝そうな仏頂面でレト先輩がちらり振り返った。その流し目にどことなく上流階級の貫禄じみたものがあってわたしはまたムッとする。育ちがよくて無意識的に余裕が有って他人を下に見ることをどうともおもっていない人間のなにげない行動って感じがする。


「あの埴輪ってなんの意味があるんでしょうね? 埴輪と、ココア。調べに行ったとき撮ってたじゃないですか? ラムネ監督は意味深なアイテムをたくさん使うことに定評があるらしくって、会ってみたらすごく奇抜な人だったし、わたし自身は彼の映画を観たことないんですけど、あの埴輪はどういう意味だったのかなぁ」


 どうしようもなく凡人でしかない自分自身への焦りで胸が締めつけられる。


「埴輪? ふん、あんなの凡人の悪足掻きだろ」


「は、……えっ?」


 おもわず立ち止まった。


 じとっと湿気を含んだなまあたたかい空気が夜の地平あたりによどんでいる。沈む。月が雲に隠された。いっせいに灰色に塗りつぶされる。高い高いビルの影の威圧感。呼吸が、重い。


「あのあといくつか映画を観た。始終あんな調子だ。要らない箇所に置いた階段や扉、三葉虫、リップクリーム、黒板消し、家系ラーメン、インターホン、キックボード、エトセトラ。埴輪も同じだ。何故だかもてはやされているが、意味なんか無えだろ」


 わたしは絶句した。かなしみと怒りと虚無の激情が爪先から頭のてっぺんまでを駆け巡った。そんなわたしに気がつかず先輩は平然と言いきった。


「あれはな――コモディティ化を拒み、考察厨をにぎわせ、才が有るような見せかたをしたい、凡人の典型だ」


 泣き叫びたい衝動を抑えて尋ねる。


「……ほんものから見ると、そう見えるんですか。あのラムネ監督でさえ? ほかの人たちもみんな、みんなですか?」


「へえ。あんた挑戦的だな」


 ――ハッとしたときには高層ビルの壁に追い詰められていた。背中の壁の硬い感触。吐息がかかる距離。先輩の鮮やかな髪が、触れそうな近さでかすかに揺れる。義手を両方とも壁についてわたしが横からすり抜けられないように閉じこめてから、レト先輩は少しだけ屈んで、まっすぐに見下ろしてきた。


 長いまつ毛の下の、強く燃える瞳に、吸いこまれそうだ。


「あ、え、あ、……だって、なにをしても怒らないって言ったのレト先輩ですよっ……」


「いのちがけでやることかよ?」


「いのちより大事なことだってあるんじゃないですか、た、ぶん」


 心臓が激しく打つ。振動が全身に伝播する。どうか外にまで漏れていませんようにと祈る。汗がこめかみをつたって落ちた。刺し殺されそうな眼光がこわいとおもう。でもわたしは毅然と見つめ返す。


「わたしは、」


「ほんものだにせものだのために無理やり〈治癒〉で退院したのか。それほどまでに今日中自分の価値を知らしめたかったか。そのためなら犯罪者が振りまわす銃口の前に飛びだすのか」


「わたし――」


「あんた、執行課向いてねえよ」


 ほろ苦い煙と同じ匂いがする。


「――先輩だって、死んでも殺すんでしょ!?」


 こんな奴、心底嫌いだ。

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