2-18

「――胃の内容物はグローバル展開しているコンビニエンスストアの期間限定クリームパスタとホットスナックのレモン唐揚げ、千切りキャベツ、ルビーチョコレート、プリン・ア・ラ・モードで、全品がどの国・地域でもコンビニで標準的に陳列されたものであるため、犯行場所の特定にはいたっておりません」


 定時はとうに過ぎている。でもわたしの今日はこれからだ。


「防御創なし。羽のほかに外傷なし。性的暴行なし。〈修復〉や〈治癒〉を頻繁に植えられた形跡なし。持病その他疾病なし。〈肥満〉で強制的に体重を増やされてはいましたが、からだは健康そのもので栄養状態にも特に問題はございません」


 ラクロワ先生が今までに分かっている事実を落ち着いた様子で並べていく。


「アナログで定期的にシャワーをしていたようで、全身が清潔に保たれていました。リンスやヘアミルク、化粧水、ボディクリーム、ネイルオイルまで使っており、〈変化へんげ〉が一般的な現代において少々過剰とも言えるケアが行われています。歯もきれいなものですね。これらすべてコンビニで購入可能な男女兼用メーカーでした。犯人はあまり被害者と肉体的接触をしなかった、または的確に処理をしたのでしょう、遺体に犯人のDNAは残されていません」


 言い切るとラクロワ先生は眼鏡を押しあげた。


「羽は体中のあらゆる神経に繋げられ、激しい痛みに耐えれば可動するよう人体を改造されています。怪我と言うべきか否か迷うのは、『傷』については治りきり、改造されたあとの状態を基本とすれば完治と考えてよいためです。ただし犯人が医学を齧ったことはないでしょう。でたらめに処置された神経にかなりの無理が生じ、おびただしい魔力量で補っています」


「……ラクロワ先生って病棟のお医者さんなのに、検死もできるんですね……!」


 わたしがしみじみと尊敬の念をこめて言うと、先生は人あたりのいい微笑を浮かべて物腰やわらかく返答した。


「おや、どうやらあなたはうちの課長と親しくなさっているようですから、お聞きになっていたかと。俺は人々を癒やすことにのみ、やりがいを感じていますが、なにも遺体を痛めつけることができないとは申しておりませんよ? もちろん、ご存命のかたを痛めつけることもできますがね――ねえ、ジェトゥエさん?」


 …………………………う。


「さて続けさせていただきますね。被害者の利き手は右。魔法構造――体内の魔力生成および操作をつかさどる聞き手首に損傷なし。被害者は身体的に魔法が使えたことになりますが、おそらく逃亡や攻撃を防ぐたぐいのブレスレット型魔法装置をつけられていたでしょう。シャワーなどがアナログで行われていた点から、生活魔法の大部分も制限されていたと考えられます。死因は急性魔力欠乏症、四大原則を違反した可能性が高いですね」


 此処に集まった全員がすでに知っている情報だったけど、改めて最初から整理しようということになって説明が行われていて、わたしにとっては大変都合がいい。夜の事務室をラクロワ先生とレト先輩、犯罪課五人、鑑識課三人、そしてわたしが貸切状態で陣取っていた。


 冷めたココアをティースプーンでのんびり混ぜつつわたしは頭をフル回転させていた。


「亡くなったときはうつ伏せ状態でしたが、死斑がおおきくでる前に体勢を変えられ、〈着替え〉させられています。出血はなし。死後硬直が出始める頃、遅くとも死後三、四時間ほどで学園都市公園の万年樹にもたせかけるようにして長座の姿勢で設置されました。犯人は白昼堂々人通りの多い公園でこれをやってのけ、膨大な魔法を残しています」


 話しながらみんなの前を行ったり来たり歩いていたラクロワ先生が不意に立ち止まった。


「四大原則『関係性の希薄化』で目撃情報を消し去るためかもしれません。目論見どおり被害者は公園の利用者数十人に気づかれないまま一番目立つ万年樹の下に三、四時間座り続けています。発見時は死後硬直が完了しておらず、直腸温三〇・二度。死亡推定時刻は十四時頃です。ヴィーノ、シュプール師としての見解はいかがですか?」


「相違ない。街角レコーダーにかからない移動手段もしくは共犯者があり、遺棄する際にアリバイ工作へ関心を示さなかったらしい。体温、死後硬直、死斑等々を魔法で細工した形跡は無いな」


 レト先輩が断りもせず事務室の真ん中で煙草に火をつけたので、ラクロワ先生がこれみよがしに盛大な溜め息をついて〈分煙〉を発動した。レト先輩は当然だとでも言うようにしれっとしている。


「……魔法痕跡の消失レベルを見ても、背中の羽維持に関する神経系魔法は発見時間から六時間以上前に切れている。十時間は経っていない。昼食前後だろう。胃にそこそこ残っていたので昼食後だな。〈着替え〉や〈櫛〉などはそれと比較して約一、二時間後だ。十七時から十八時に公園へ移動し、〈犯罪証拠隠滅〉で入念に指紋やDNAを――」


 レト先輩がお得意の喘息発作を起こしかけていったん言葉を切った。咳を珈琲と一緒に飲みくだそうとしているとラクロワ先生が流れるような動作で〈バッグ〉から吸入器を差しだす。持ち歩いてあげているんだ……。これも当然だという態度で受け取り、使い終わったらポイとラクロワ先生に投げ返す。


「……失礼。あー、被害者の背中は生前相当に痛んだだろうが、〈鎮痛〉が犯人によって背中と喉を重点的に使われ、おそらく死後にもかけられている。一番新しかった。三、四時間程度。〈証拠隠滅〉のあと最後にそれをやってから立ち去ったものと見られる。身支度をアナログじゃなく魔法で整えていることも合わせ、被害者をある種の尊厳をもって扱っていた可能性がある。ただし、後悔や罪悪感は見られない。蘇生系の跡が皆無だからだ」


 レト先輩が空中ディスプレイをつけてみんなに見えるよう画面を拡大した。レヴ――魔力量についての表だった。


「成人した一般人の平均は一日あたり八〇から一二〇レヴが一人で体調に無理なく使える量とされている。現場の痕跡から導きだされた犯人の消費量は、遺体の遺棄と証拠隠滅でおおよそ二七〇レヴ、羽維持の神経系は二五〇レヴが監禁日数分、羽接続が四〇〇レヴほどだ」


「うわぁ。単独犯だった場合致死量どころじゃねっすねぇ」


「とはいえ、溜められない量じゃない。一般人でも半年から数年頑張れば装置に溜めておける。相当頑張る必要はあるがな。また、本来は半分から三分の一以下でできる内容を、あえて無駄使いしているように見受けられるので、余裕をもって溜めてあると考えるべきだ」


「なるほどなー」


 犯罪課班長さんが腕立て伏せをしながらうなるように相槌を打った。……って、えええ!? なんでこの人此処で筋トレしてるんだろう?


 起きあがって今度はリズミカルにスクワットをやりだしつつ、レト先輩のあとを引き継いだ。


「所持品はなかった。現場にも毛髪一本物証がねえな。〈証拠隠滅〉でキレイサッパリだ。〈肥満〉前の予想顔画像を作って検索にかけたが見つからねえ。ま、普段は〈変化へんげ〉してたんだろ。着せられてた白いワンピースは大手カジュアルブランドの今年のやつで、夏に向けて大々的に発売されたもんだ」


 スクワットをしているのに息切れも無くて、いきなり「よっ……と!」バク転した。身体能力どうなっているんだ、この人。


「んで、六歳から八歳くれえまでの捜索願を片っ端から見てっけど、決め手になるもんがなーんもねえ。歯型や指紋の登録がねえんで照合しようがないんだよな。うちの娘だーって怒鳴りに来る親から順番に〈変化へんげ〉を逆算してんだが、ガイシャの顔と役所登録の顔が魔法陣と計算合わねえの。身元不明のまんまよ」


 ずっと黙って聞いていた犯罪課の二十代くらいの男性が挙手した。


「少女の遺体が発見されたのは二十一時くらいですが、まだ日があるうちに誰かが――犯人かもしれない誰かが撮影したとおもわれる遺体の映像が国営放送に届き、ニュースで使用されました。電動式機械カメラの映像データっすけど、〈仕分け〉〈郵送〉がかけられてなかったので直接放送局のポストに入れられたんすね。〈監視カメラ〉に女子高生が入れてる場面があったんで、探しだして訊いてみたところ、〈監視カメラ〉の死角あたりの地面に落ちてたらしいっす。封筒の宛先が放送局だったから拾って入れたって。問題は誰がいつ落としたかですが、分からずじまいです」


 今度はスキンヘッドの犯罪課職員がこめかみを抑えつつ発言する。


「レト執行官が話したとおり、レヴ消費量は個人で計画的に装置で隠し持てるもので、共用レヴタンクからわざわざ魔力を盗みだしたとは考えにくいです。厳重ですからね、共用タンクは。一応全国の病院や学校、役所などなど、それから生活困窮者向けのレヴ買い取り企業にも問い合わせましたが、不審な減りかたはしていないとのことです」


 事務室の掛け時計を振り返るともう二十二時近かった。これだけ何時間も話しているのに決定打となる情報は出てこない。みんな手元にメモを広げないでよどみなく解説しているから、暗記するくらい何度も何度も確認した情報なのだとわたしは気づいた。


 鑑識課の若い女性がおずおずと手を挙げた。


「えっとですね……、データメモリそのものは、放送局でいろんな人が無警戒に触ってしまって、指紋が取れませんでした。どうして警戒しなかったのか甚だ疑問です……。カメラについては、アナログ写真を手軽に撮れるアマチュア用のモデルで、最新機種ではないですし、手軽に買えたでしょうね。初期設定のオート設定のままで、特筆すべきことはありません。ただし、珍しく非魔法アナログです。ええと、映像から撮影者の身長は一七八センチメートル、痩身、ってことは分かりました。それが果たして犯人なのか、公園で遺体を見つけて通報もせずに野次馬しただけのろくでなしなのかは、知りませんけど……」


 くたびれたスーツを着た犯罪課の男性が袖をぐちゃぐちゃにまくりあげてはおろしてまたまくりあげてを延々とやりながら言った。


「オレが公園の聞き取りをしたんだけどねぇ。案の定目撃証言はあてになんないの。つーか、学園都市公園は万年樹とかのメンテナンスのために毎日国立学園の学生が魔法かけまくっていて、事件なんかなくたって『希薄化』が起こりやすいわけよ。失恋したら万年樹に記憶を消してもらえ、って学生たちが語り継いでるそうなんでね。青春だねぇ」


 班長さんがうめいておおきく天井をあおいだ。


「あんなに目立つ場所で遺体が四、五時間放置されてたくれえだもんなあ……」


 事務室はいっせいに沈黙してしまう。壁の掛け時計がカチカチと秒針の音を立てているのがやたら響き渡る。夜の機構はまだ残業している人もいるだろうけれど人数は減っていて、なんとなくビル全体が静まり返っているような感じがする。


 どうにももやもやする事件だった。犯人の意図が分かんないし、どうやって街角レコーダーに見つからずに済んでるのかも分からないし。当然、公園で〈証拠隠滅〉とか〈鎮痛〉とかしたやつは街角レコーダーにばっちしとらえられている。それ以外が過去二百年遡ってみてもいないのだ。世界の、何処にも。


「あー、念のため付け加えておくんだけどねぇ」


 困り果てた口調でくたびれたスーツのおっちゃんが欠伸交じりに言った。


「公園の聞きこみでね、長時間近くに停まっていた不審な自動車はなかったそうだよ。あったらさすがに目立つだろうって、さ。――んー、犯人も被害者も身元どころか国籍すら分からないねぇ」


 事務所は今度こそ完全に沈黙してしまった。


 事務室のおおきな窓からおぼろげな月が雲に隠されたり姿を見せたりしている。その隙間で星が個々にささやかなひかりを放っている。この椅子に座って見る風の速度は雲の緩慢とした動きと同じ感覚だけれど、雲を流す風は実際にはとても強くて速い。そんなどうでもいいことを考える。


 見えている景色と、事実は、違う。


 わたしはゆっくりと椅子を引いて立ちあがった。このなかで唯一あまり発言しなさそうな人物の動作に、一同がぽかんとわたしに注目した。


 雲に月が隠される。


「……未熟ながら、わたしの個人的な、えっと、考え? を話してもいいでしょうか。っていうか話します。聞き流してください。では……」


 返事を待たずに矢継ぎ早にまくしたてた。


「えー、犯人は紅龍国クロウコク人もしくは長らく紅龍国に在住していて、二十代から三十代、男性、交際歴あり、社会的地位のある職業についてて、交際相手もそうです。でもこれは単独犯で、交際相手や家族、友人などには知られていないか、もしくは口出しをさせない関係性。初犯じゃないです。小中高大を卒業していますが、不登校の時期があったかもしれません。子ども時代は家庭か学校が厳しかったけど、外からは立派な親や学校だねって言われていたとおもいますね。その頃に精神疾患の病歴があるかもしれないです。今は通院していない気がします。おおきな自宅、または別荘をいくつか持っていて、国や世界をあちこち転々とする仕事に就いているでしょう。性格はかなりの自信家、って周囲の目には映ってるんじゃないかな、傍若無人ですぐにマウントをとる偉そうなタイプです」


 誰も、声を出さなかった。

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