2-20
ひとけの無い超高層ビルの裏側は異様に静まり返っていた。偶然警備員が見まわりしていないタイミングだったっぽくて、残業もすごくしたから人通りもなく、駐車場はガラガラだった。っていうか駐車場に乗りものを停めておく職員自体があんまりいない。駅まで歩いていって〈瞬間移動〉してから家までまた歩くのが普通だ。
なのでわたしは取り繕いなさいと外界から常時命じられているかのような仮面をかなぐり捨ててしまっていた。制止するものがささやかでも一つあれば違っていた。ほんとうだったらこんなことはしないのに、歯止めが利かずにタガが外れた。
わたしよりずっと腕力があって経験やら地位やらそういう評価も高くていつだって殺人をする用意があって実際的に墓無しである先輩に対して、無謀にも感情任せに怒鳴りつけていた。
「――前々からおもってましたけどね、先輩のいろんなことが、ムカつくんですよ! 愛想笑いができないわけじゃないのに挨拶もお礼もしなくて、そんなの社会人として当然の義務でしょ、挨拶するのに技術も才能も要らないじゃん、馬鹿にしてるの!? 喘息のくせに煙草を吸って、上流階級の家に生まれておいて自分だけ不幸のドン底ですってツラで、戦闘資格を振りかざしながら乱暴なことばっかやって、社会不適合の先輩をそれでも気遣ってくれる優しいラクロワ先生のこと蹴りつけたりとか――」
――パーカー男の銃口の前でふわりと両目を閉じた、諦めの、ほほえみとか。
あふれて止まらない。
「持っているものがあっても持っていないものばっかり数えて、できることがあってもやろうともしないで、持ってない人やできない人が一生懸命汗だくで頑張ってるのはるか上空から見下して、で、楽しいですか!? 貴重なものを気だるげに手放そうとしてみせる俺カッコイイ的なやつですか!?」
台詞が子どもの駄々じみていて自己嫌悪に陥った。でも止められない。こんなことママにもしたこと無い。
「そんでアンタを心配する人がいたら拒絶して、でも自分は人を心配するんでしょ!? 他人がすることは価値がなくて、自分がすることは大事なんですね。バッカみたい!」
まくしたてつつわたし自身言わんとすることがわけ分からなくなってきて半ベソになる。
「送ってくれなくていいです――! 執行課も、辞めません! 下手しても最悪死ぬだけでしょ!? レト先輩がクソザコ横暴社会不適合でもみんなから必要とされるのとは違って、わたし、いくらでも代わりがいますから!」
口をついて出る言葉はめちゃくちゃなのに、なんとなく感情は整理されていく感覚があった。
「――そうですよ。なにが悪いの。先輩の言葉どおり、わたしは犯人のプロファイルをどうしても今日みんなに聞いてもらいたかった。それのなにがいけないんですか? 職場で役に立てますって証明しようとしたら罪ですか? 頑張っちゃダメなんですか? 先輩が言ったんだよ、わたしのこと要らないって先輩が言ったんだよ――」
「要らないとは言ってないだろ」
「言ったもん!」
無表情の先輩の前でわたしだけ取り乱してわあわあ号泣することが自分で自分を殺害したいくらいに嫌だった。愛想よく振る舞うことは社会人として最低限の義務で、今わたしはそれを怠っていた。よりにもよってコイツの前でだ。もう嫌だった。全部投げだしたくなった。
逃げだせない義手に挟まれて身動きもとれずただ突っ立ってわたしは気が済むまでわめき続けた。
「飲め」
さびれたひかりをぼうっと落とす自動販売機に現金を入れ、レト先輩はホットカフェオレのペットボトルを投げて寄越す。駐車場のすみで草木に覆われ、忘れ去られたように置かれた自動販売機が
はあ。
にしてもさ。
――この男、ぶん殴ってやろうか。
「わたしがなけなしの所持金でお礼のコーヒー買ったら平気で拒否してくるくせして自分は買うんだ? なにそれ。なにルールですか?」
雨風にさらされてボロボロになった申し訳程度のベンチの端に座ってわたしはペットボトルをためつすがめつする。
「飲め。命令だ」
レト先輩は憮然とした口調だった。そりゃ機嫌も悪くなるだろうとおもったけど、よく考えるとこの人はなんにもなくたってこのくらい不機嫌だし、わたしがぎゃんぎゃん騒いでいたときは反撃してこないでほとんど黙って聞いていた。意味が分からなかった。
「命令ってなんですか。パワハラですよ」
「ああそのとおりだ。文句あるか」
「要らないです。撃てば」
「……んなことで撃つかよ」
「さっきの、反論するならどうぞ」
ペットボトルを突き返したら、押し返された。
「俺は甘い珈琲を飲めない」
は? この男ぶん殴ってやろうか。
「……反論はしないが補足説明をする。言葉が足りないとは、よく言われる」
頭上で雲が流れてまた月を隠してしまった。
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